巷間騒がれているゲーム脳というものに知人が興味をもち、自分の脳波を見てみたいというがどうすればいいだろうかという内容のメールをいただいた。

こんな風に真面目に取ってしまう人もいるのだから、あれを主張している森教授という人も罪作りだ。そもそも脳波というのは一般にかなり誤解されているもので、なにか思考内容が電波にのって出てきているかのごとき理解をしている人も多い。昔、オウム真理教の信者が麻原の脳波パターンを自分に埋め込むとかいって、妙な電極帽子をつけていたりしたが、あれは彼ら独自の妄信などではなく、一般的誤解がああいうかたちで結実しただけのことだと思う。

脳波というのは要するに、脳内の約150億ほどの神経細胞の電気活動の総和である。たくさんの脳細胞が基本的にはランダムといっていいような形で短時間の電気的興奮をおこすが、その総和はある程度の周期性を持つように観測されるわけだ。大ホールで人々が口々にしゃべりあっているのが、「わぁわぁわぁわぁ」という周期的擬音語で表すのがちょうどいいように聞こえるのと同じこと。

活動している細胞の数が少ないと、全体的に同期する傾向になって周期が長くなる。活動数がおおくなるとその反対。あまりいい比喩でもないのだが、凪の日に海岸に出ると海面に吹き付ける風がすくないので、ゆっくりとした波が打ち寄せる。ちょっと三角波がたつような風が吹けば波の周期は早めになる。そして、もっと激しい風になれば、その作用は逆にもっと同期することになって、周期の長い大きな波になる。イメージ的にはこれがα波、β波、δ波の比喩。単純に波が早くなるだけではないところに注意が必要。(睡眠時のように神経細胞活動の減少で同期がまして、大きくゆっくりした波になるのを説明するのがこの比喩ではちょっときつい)

そのほかにも、沖を大きな船が通れば波の周期や大きさは変わるし、遠いところに台風があっても微妙に変化する。いうならば脳波診断というのは、波をみて天気の変化や沖の様子を知る漁師さんがつかう素朴なテクニックに一番近い。もちろんこういうものには、それなりの名人芸というものもあるのだが。少なくとも波自体がなにかを直接表しているわけではなく、海(脳)の状態の反映でしかない。

ゲームなどしていれば意識集中しているのでβになるはずが、ゲーム脳ではαになるからどうのこうのと例の大先生はいうが、どんな作業でも慣れれば集中とリラックス双方の態度でこなせるようになり、次第にα波になるのは当たり前のこと。熟練作業者なんかはみんなゲーム脳だということになってしまう。そもそも森教授と同じような(むろんもうすこし厳密だが)実験は、30年以上前にすでにやられている*。(Kasamatsu A, Hirai T.1966)

それは禅宗の坊さんを被検者にして行われたので有名で、禅を組ませて公案をあたえると、いわゆる三昧の境地でα波がでるというもの。そこではもちろんα波が出ているのをポジティブにとらえているわけで、「禅脳の恐怖!」などと主張されたわけではない。しかもその程度のこと誰でも予想が付くし、ちょっと大層すぎる言い方だったので(大体α波ぐらい、誰だって目閉じて安静にすればすぐ出るわけで)、発表されてもマスコミ以外は真っ白けで、相手が坊さんなら頭に電極つける手間がすくなくてよろしいですな、という反応ぐらいだったというのがおまけ。

最近のゲーム脳云々は、その価値判断を逆にして、しかも実験設定がやたらに妙なのに、本来の専門家は何もいわない。学界というところは明らかにレベルが下がっているといえる。それとも、ああいう大先生でも素人をだまして本を売らないと生活が大変なのだな、とみな遠慮しているだけなのかも。

というわけで、メールの返事は「そんなことしても意味はないが、どうしてもとりたければ病院にいって『てんかん発作を起こした』とウソついたらいい」という、はなはだ木で鼻をくくったようなものになった。気分を壊されないかが心配である。(2003/01/08)

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今日の毎日新聞朝刊の生活欄に、パニック障害を抱える妻と、それを支える献身的な夫の話が出ていて、おいおい、やさしさ物語はいい加減にしてくれよとちょっと辟易。肝腎の新聞がいま手元になく、細かなことはよく覚えていないのだけれど、かなり長期にわたってパニック障害が続いていて、それを今の夫とめぐり合うことでようやく理解してもらえてどうのこうの、というような話になっていた。

パニック障害という、結構厄介なものに対処しなければならない立場を理解してあげて、その人がよりよい治療をうけられるように援助することは大事なことだろうが、なんだか生き方だの人間としてのあり方からこの状態が起こるような書き方して、周囲の人がとにかく尽力的顧慮で接するのがすばらしいことのようにいう記事はどんなものだろう。結局その状態を抱えた人を特殊視しているだけのことではないか。差別の裏返しである。

世の中にはいろんな人がいて、二者関係で絶えざる奉仕と献身を一方的にしていくことが可能な天使のような人もいるのだろう。でも、私は残念なことにそういう人を見たことはない。一方的な献身はしばしば破綻をみせ、突発的DVの原因になったりするのである。もちろんそのDVは深い悔恨をよび、さらに一方的献身の構造は深まっていく。これは一種の支配関係といってもよい。決して健康的な関係ではないのである。

そもそも、パニック障害ごときを(もちろん本人にとっては大変なものなのは承知していますよ)、まるで不治の疾患であるかのように書くのが解せない。結構長く薬物療法が必要になる例もあるとはいえ、ほとんどの例はコントロールが可能であるはずだ。少なくとも私が見ている例では、まず治療開始後3〜4週間でなんとか普通の生活が可能になる。あとは薬物減量のタイミングとかが問題になるだけ。どうしても薬物がいやだ、という人もいるが、その場合だって認知療法がかなり奏功するはずだ(もっとも私はそんな悠長なのに付き合っていられないイラチなので、よそに紹介しますけど)。

確かに十年一日の如く抗不安剤の処方を受け、症状はまったくコントロールされず、その過程でまるで敗残の王とその臣下のごとき関係が固定した家族に出くわすこともある。そういう例でも、適切に薬物の調製をおこない、症状が改善されてくるとそこそこ普通の関係に戻って行くものだ。

妙な関係に落ち込んでいることをもって、人格障害だの病的関係性だのと診断したがる人もいるのだが、私はそういうのにはかなり懐疑的。理由もなくパニックがおこってそのたびに死ぬ思いを続けていれば、他人が助けてくれないのはおかしいと、ふてくされてしまうのも当然だと思う。ただ、一部には明らかに回復を恐れているとしか思えない人もいるのは事実で、よくなりかけると「副作用が怖い」などというような理由をつけて、わざわざ悪化させようとしているかの態度を示す人もいる。

やはりそれは女性例におおく、そういう人の旦那は例外なくやたらに優しい。そして先ほどいったように、時折のDVとか、かげで不実を働くとかいった問題を、まずお約束のようにやるのが興味深い。病歴とっていて、向こうがいいにくそうにしているとき、こちらからそれを指摘したりすると、けっこうびっくりしてくれて楽しい。われながら趣味が悪いとは思うものの、そうしたほうが診察が早くすむからね。

とにかく、わざわざつっけんどんに付き合うことはなく、優しい言葉の一つでもまずかけるというのは基本だとは思うものの、優しさが病気を治すわけではなく、ちゃんとした治療ができる医者を見つけるのがこの状態への対処の第一歩なのだ。毎日新聞の記者にはその当たり前のことがわかっていない。記事になったご夫婦には、まともな医者を早く見つけ、当たり前の関係を取り戻して、人生を豊かに生きていってもらいたいものだと思う。(2003/01/10)

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日本未病システム学会なるところが、「検査で異常な値が出ても本人の自覚症状がない『未病』の人をサポートする『未病指導士』の認定制度を導入する方針を決めた」との報道。必要ない人に商品やサービスを売りつけるという、エグイ商売の基本をおさえた新機軸がいよいよ医療に登場というわけ。独居老人に必要もない家のリフォームを勧めて、大金騙し取る手口と同じ。こうまでして、患者を確保しておかないと、自分らの利権は危ないと思っておるんですかね、この人たちは。

こういう連中に何をいっても、都合のいいように歪曲した統計をもちだして、早期発見早期治療が寿命を延ばす(ただしQOLまでは保障しないけど)のだから、いったん検診などで引っかかったらおとなしく医者の軍門に下って生活を管理するのが当然という押し付けがましい意見に疑問など持たない。人は自分の商売に最適化した行動をとるべきだ、といってるだけのことなんですがね。

私としては本人の自覚症状があるのに、検査で何の異常もないからと相手にされず、インチキ民間療法やエセ宗教のカモにされる多くの人にこそ、エライ先生方が頭を絞って対策考えてやるべきだと思いますがねぇ。人の健康幻想なんかに付け込まなくても、誠実に必要とされる医療サービスを行っていれば、食いっぱぐれることなんかないと思うよ。

などと書いていたら、今日の毎日新聞に折り込まれていた「PR版」の記事にこういうのがあった。

嶌信彦という記者がコラムを書いているのだが、それがワールドカップの時カメルーンチームを受け入れた、大分県中津江村に関すること。何であの村があんなに注目を集めたのか、という分析などがされているのはいいとして、一番面白いと思ったのが、中津江村では、村の大半をしめる老人たちがサッカーファンになって「次のドイツ大会に応援に行こう」と蓄財や応援組織作りに励むようになり、医療費が半減したということ。もちろん、医療費が半減したことは、老人たちがより健康に生活するようになったという文脈で語られているのである。嶌記者が対談した村長がいっているのだから事実なんだろう。

何であれ、「病院にいかない」というのが大事なことのようだ。少なくともその点では、くだらん早期発見早期治療の掛け声よりも、熱中できることができて医療なんかに頼らなくなるというのが、いちばん効果があるようだ。多分、それで医療が中途半端になって、ばたばたとあの村でじい様ばあ様が死に絶えるということはおそらくないだろうと、そう根拠はないものの、かなりの確信をもつものだ。病院にしつこく行くということを、なんだか健康を守る行為であるかのようにいい募って、くだらぬ未病指導士なんてものまでつくろうとしている連中は、ぜひ今後あの村で起ることについて、学術的な調査をすべきだ。

ちまちまと、どうでもいいような検査結果のの逸脱について、いらぬおせっかいをすることが「健康」に役立つのか、好きなことを見つけて熱中するほうがいいのか、確かめる絶好のチャンスではないか。もちろん、絶対にそういう医療系商売に否定的な結果がでる可能性のある調査などなされないのは、明らかですが。

仮にサッカーフリークになったら早死にする結果が出たとして、晩年を楽しく暮らせてよかったじゃないか、と私なんかは思うのですけれど。(2003/01/14)

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とある妙なニュースサイト経由でひろった記事から。

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[ベルリン発、1月9日]

この日曜日正午、ヨハネス・ブルック医師はベルリン再開発のシンボルともいえるポツダム広場に、借りてきた軍用の移動医療診療車をとめておく予定だ。マルチン・ルター病院の形成外科主任医師である彼は、そこにやってきた希望者に早い者勝ちで脂肪吸引術を行うという。

ブルック医師の主張は"Fettabsaugen fuer Deutschland" というもの。「ドイツのために脂肪をすいとる」という意味だ。これは彼が主宰する「ドイツ改革促進連盟」による初の抗議活動として行われるものだ。この団体は医師に対する減税と、医療保険制度を私的医療保険に一本化することを主張している。貧富の差なく、同一保険料を課するべきだというもの。この団体は、それがドイツの医療システムを救う唯一の道であると信じている。

この行動を皮切りに、2月からはドイツ各地で同様の無料脂肪吸引術活動が展開されるとブルック医師は述べている。
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こういうところをみると、ドイツの保険医療制度はえらくうまくいっているようなことが書いてあるんですけどねぇ。それにしても脂肪吸引術というのは、ぶらりとやってきた人に対して、その場ですぐ始められるほど気楽な処置なんだろうか。そのあたりがちょっと気になったので、その後どうなったかとドイツの新聞サイトを調べてみた。

そうしたら、どこにもあのデモンストレーションの記事が出ていない。調べたといっても、検索で出てきたドイツの新聞リンク集をたどって、紙面アーカイブをヨハネス・ブルック医師の名前や"Fettabsaugen"などのキーワードで検索してみただけなので、見逃しはあるかもしれない。

しかしかなり奇妙な示威行動とはいえるので、実際にやっていればマスコミは飛びつくように思うし、検索で苦労するような結果になりますかねぇ。ベルリンにあるマルチン・ルター病院の形成外科主任医師がヨハネス・ブルック氏であるのは間違いなく、彼自身による診療案内記事も読むことが出来る。

ただしそれを読む限り、ヨハネス・ブルック医師が専門にしているのはオーソドックスな再建外科で、例えば乳癌によって乳房切除術を受けた人へのケアとか、神経障害による麻痺への神経接合手術などであって、あやしい美容外科がやるような脂肪吸引術などやっていそうにはない。原則から逸脱しつつも、日銭稼ぎのためにはそういう汚れ仕事もやらにゃいかんのかもしれないけど。

というわけで、どうも昨日の記事はガセの疑いが濃い。だいたい、南アフリカのネットニュースだけが報じるドイツ国内ニュースというのが、ちょっと不自然だったものねぇ。形成外科→美容外科→金持ちあいての胡散臭い荒稼ぎ→あぶく銭つかんで、身勝手な減税と金持ち優先の保険制度改革要求→奇妙な示威行為、てなストーリーが作られたというところかも。

もちろん本当である可能性もあるけれど、麻酔もかけないといけないだろうし、なんぼ脂肪吸引術だといっても、街頭示威行為にこれをやるのはちょっと無理がある、というのが常識的な判断。(2003/01/17)

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このところ毎日新聞上で、「リタリン」排斥キャンペーンが盛んである。私が読む新聞は毎日だけなので、ほかの新聞も同じことをやっている可能性もあるが、少なくとも毎日のこの薬剤に対する姿勢はいささか度を越しているし、専門的立場からするとかなり偏ったものといわざるを得ない。

毎日の主張をまとめると、こんな薬を「うつ病」に適応ありとしているのは日本だけだ。これは代理覚せい剤として利用されていて、安易に処方する医師のあいだをまわって横流し用の薬を手に入れるふとどきものがいっぱいいる。この薬のために依存症になったり、錯乱状態になったり、自殺したりする人がいっぱい出ているのに厚労省は規制しようとしない、等々。

よっぽどアホで経験に乏しい医者を情報源にして、半可通の見当外れ正義感をふりまわす無能な記者がこの記事を書いているのだろう。毎日には記事の正当性を確認するような部署はないのだろうか。ちょっとかわいそうになる認識だ。

まず、リタリンはその分類からして覚せい剤で、覚せい剤として使用されているといって非難される筋合いなどどこにもない。麻薬だろうと、覚せい剤だろうと、必要な時には処方されることはあるし、処方の可否をきめるのは必要性と医師と患者の間の治療関係である。不勉強な斜陽新聞の記者風情が文句を言うことではない。

うつ病には日本でしか認可されてないって?どこにそんな資料があるのだ。そもそも、保険制度でこまごまとした適応疾患が決まっているのが日本だけといってもよく、ほかのほとんどの国では、薬剤はその薬効に応じて医師の判断と裁量で使うわけで、毎日の書き方は完全なピンボケ。薬効に関しては、こういう学術サイトぐらいは参照してほしい。googleぐらい使えるでしょ。Ritalin & Depressionで検索してごらんなさい。

ただ、最近のDSM方式のダレた診断しか出来ない医師には、この薬の上手な使い方は難しいだろう。最近の医師には病像診断が出来なくて、ベタにうつ病と診断するだけで、適当なSSRIを処方し、EBMでは効くのだから効果が出るまでまってなさい、というような対応しか出来ない連中がいっぱいいる。こんな連中が適応があるからと、一律にうつ病にリタリン処方なんかするとそれはちょっとまずい。バカな新聞記者が見当外れな記事を書くよりも、被害をこうむる人が出るのは確実。

当然間違った使い方をすれば依存にもなるし、不安や焦燥をあおってしまって自殺につながることだってあるだろう。それはリタリンという薬のせいではなく、バカな医者のせいである。バカな医者が間違った使い方するからといって、その薬を排斥してどうする。この薬に変に反発する医者も、ちゃんとそれを使いこなせないバカ医者と同じレベルだからこそ、そうしているに違いない。

治療機関をまわって薬を集めているようなヤカラにたいして、対応できないのは基本的対人能力に欠陥があるからではないのか。うつ病治療のなかでも、リタリンが適応になるのはごく一部の症状というか、悲哀焦燥が一般的薬物療法でほとんど消失した状態が維持されているのに、抑制だけが残る場合なので、ちゃんと病像診断ができれば、必要もないのに薬を求めているかどうかぐらいはわかるはずなのである。まあ、世の中にはびっくりするぐらい能力の低い医者がいるのも、また事実なのだけれど。

私自身は、このリタリンというのは実に有用な薬だと思っている。老人にも安全だし、パ−キンソンがらみの症状にも有効で、QOLをかなり高める。なにより、躁うつ病でしょっちゅう躁とうつをくりかえす、ラピッドサイクラーといわれる難治性患者には、これがないとまず対応できない。抗躁剤をメインに使い、うつ期には一般的抗うつ剤をつかわずにもっぱらこれで対応するのである。抗うつ剤にある躁転作用がこれにはない。それどころか、抗躁作用を示すこともある。これなんかは米国ではかなり知られた使い方であるが、日本の精神科医はあまり知らないようだ(少なくとも私の周りでは)。

うつ状態にリタリンを使うのが犯罪的みたいなことを無責任にかく記者サン、これでうまく社会生活を維持している多くの患者さんのことを考えたことがあるんですかね。アンタの出鱈目記事を間に受けて、適応はずしなんかになって、集団訴訟になっても知らないよ。(2003/02/05)

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昨年暮れにThe British Medical Journal (BMJ)に掲載された匿名論文を訳出した。内容は治療手段の評価について最近かまびすしいEBM(Evidence Based Medicine)に対するおちょくりなので、あまり一般的なものとはいえない。しかし、薬屋さんの宣伝文句や、医者どおしの会話の語彙にすら影響を与えているEBMについて、批判的な見地から語られたものは珍しいといってもよく(多かれ少なかれ、疑問を持っている人はいるのだが)、紹介する価値はあると思う。匿名論文という珍しい形態といい、その特殊な諧謔センスといい、日本の医学雑誌ではまずお目にかかることはない物件であろう。なお、EBMへのマンセー的立場の解説はここらあたりが適当かと。

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EBM:その醜い真実をあばく(EBM:unmasking the ugly truth)

自律的実践の回復をめざす臨床家連合著述班

ある朝、BMJの入り口ドアに、奇妙な張り紙が見つかった。BMJスタッフは指示どおりメールをチェックし、ここに全文を入手した。

自律的実践の回復をめざす臨床家連合(Clinicians for the Restoration of Autonomous Practice (CRAP) )はここにレポートをしたため、BMJのドアにくぎで打ち付けておくものである。我々はこれを匿名かつ秘密裏におこなう。それは我々自身を、「根拠に基づく医療」(EBM)という、新たな宗教の大審問官たちの報復から守るためである。我々のレポートは、EBMの隠された目的と、背後にある暗黒面のフォースをあばくため、EBMを推進する動きの中に成功裏に潜入した秘密エージェントがもたらした文書をもとにしている。自分たちは新たな宗教を基盤にしているのではないと、EBMの高僧たちが何度否定しようが、EBMとは、聖職者と教義、典礼、宗教的象徴、そして秘蹟をすべて備えた宗教運動そのものであることを、我々のレポートは反駁しようもなく証明する。この宗教による折伏が全世界的に起こっていて、医師による権威ある医療の存在が脅かされていることを確認できる。CRAPは伝統的価値を保つことを願う全ての人々に結集を呼びかけるものである。

10の掟

CRAPは長らく、EBMとは、この宗教の錬金術的哲学を基盤にした方法論への盲信に基づく、料理本式医療を密かに支持しているのではないかと疑ってきた。我々はいま、EBMの聖書と教義問答集の存在を確認できる。それは我々のメンバーが、最近出版されたEBMの教科書に添付されていたミニCDを再生した際に発見したものだ。それは伝えるところによれば、ハミルトン山の預言者に対して、プリントアウトの形で運ばれたものだそうだ。CDでは「評価試験こそはすべて"All you need is trials"」というバックミュージックにのって、EBMの10の掟が示されている。

  • 汝はEBM料理本にのっとって全ての患者を治療すべし。汝の特殊環境、患者の特異性、臨床的判定などにかかわるべからず。
  • 汝、汝のエビデンツ判定コンピュータソフトに敬意を表し、謙虚にそれの求める情報を入力し、ただそのコマンドにのみ忠実に従うべし。
  • 汝は異教の基礎科学者たちを拷問に処し、彼らが悔い改め、全てのハツカネズミ、資料、分子をランダム化すると誓わせるべし。
  • 汝、症例報告論文を書くこと、および読むことなかれ。個人的経験をひろめる冒涜者どもを処罰せしむべし。
  • 汝、定性的研究にかかわる不信心者どもを追放し、基礎科学者と異教徒の間で生きることを強いるべし。
  • 汝、診察前45分以内に出版された全ての研究論文に言及することなく患者を治療する臨床家の法衣をはぐべし。
  • 汝、専門家の「私の経験では」発言を非難する医学生には、格段の気前よさでもって褒賞すべし。
  • 汝、全ての患者を研究員に観察されるべく計らい、医師は大昔の医学雑誌ハンドサーチにでも割り振るべし。
  • 汝、全ての専門家に自発的引退を強いるべし。なおその期限は、専門家であるという宣言がなされてから10日を越えぬものとする。
  • 汝、避妊を非合法化すべし。ランダム化するのに十分な数の患者を確保せんがためなり。

    このEBM教の小冊子に書かれてあることは、もっとソフトな教義的指示という形で、たとえばコクラン計画の便覧や付随的声明として読むことができる。

    EBMの宗教的象徴

    EBM教の象徴主義は急速に進化しつつある。これは勇敢な批評家が指摘したように、宗教というものはすべて時代遅れだからだろう。多くの象徴が恥知らずにもほかの宗教から盗んでこられた。例えばEBMのマークはコクラン計画のロゴを拝借したものだし、それは文書だけではなく、こんなところでも古代ファラオの絵文字のごとくもちいられている。

    CRAPのエージェントたちによってなされた発見の中で、もっと恐ろしいものは現代的穿頭術であった。それは医学生の頭蓋に直接EBMのマークを打ち込んである、というものだ。

    EBMの儀礼と儀式

    折伏と破門

    EBMはほかの宗教と同じように、その攻撃的折伏を特徴とする。新しいメンバーは、研究会や討論会などの宗教的つながりや、出版物などを通じて集められる。EBMはまだその専用TVチャンネルを持っていないが、インターネットが次第にその代わりをつとめるようになってきている。最近のグーグル検索では、124万ものEBM関連サイトが発見されている。

    他の宗教とおなじように、EBMではその主張を固守せぬものや、教父たちの権威に逆らうものは速やかに破門される。製薬業界の支持を失うのをおそれるため、産業界に職をえているEBM信者は破門される。追放者は無神論か別の宗教的信念をもっている人々の間で暮らすしかない。さもなければ、いまやEBMのKGBと化したニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの監視下に甘んじるかだ。ほかにも、現代的観点から系統だって行われた研究の発表や出版機会を失うといった迫害もある。

    EBMの聖職者、そのサインと象徴

    我々はここに、礼服に身を包んだ3人のEBM聖職者の写真を示そう(図4)。彼らのソックスとTシャツ、そして手のサインに注目してほしい。EBM信者はその白いソックスで容易に判別がつく。Tシャツは彼らが常に身に着け、決して洗わないのだが、通常は別の衣服で覆い隠されている。手が示すサインは、彼らが同志判別に用いているもので、3本の指で「E」、つまりエビデンスの頭文字を示しているのである。EBM信者たちは彼ら独自の秘密裏のやり方で相互扶助をしているが、しばしば彼らにしかわからない語彙をつかう。例えば「トロホック」*とか、「アロケーション・コンシールメント」**とか。そして、「RCT」とか。これはランダム化比較試験のことを、恐れ多くて直接口にしない場合に使う言葉である。

    *注:”trohoc"どうもよくわからないのだが、ある帰結を共有するにいたった集団の、共通に認められる原因を探るような研究方法らしい((掲示板で指摘があったが、これは"cohort"のひっくり返しなのである)。たとえば80代で死んだ人々の集団データを得て、80年ほど前に生まれたことがその原因ではないかと推論するようなやり方だと思うが、違うかしら。

    **注:"allocation concealment"無作為割付の確実化のことだと思うが、やはりよくわからない。

    世界中の政府組織はEBM教の伸長に狂喜している。なぜなら、エビデンスが認められないと認められるような治療手段の抑制なり撤退に好都合だからである。その一方で製薬業界はEBMによって導かれた、より強力な薬物への資金導入を組立てつつある。EBMの止めどもない成功によって、すべての外科施設、公衆衛生組織、そして小児科治療施設は閉鎖に追い込まれることになる。なぜなら、それらの活動はランダム化されたエビデンスを示さないからである。***

    ***注:吐血しているが放っておいた例と、手術した例を盲検で比べるわけには行かない。まして公衆衛生なら当然。不潔にしてウジ・ハエ・ゴキブリ天国の町と清潔な町をランダム化して、住民に無作為に住んでもらうわけにはいけませんからなぁ。ガキの場合は、ほうっておいたほうが元気に育つような気もするが。

    EBMの恐怖の帰結

    EBMの宗教的側面を明らかにしていて、我々が発見した極秘秘密は、EBMの野望が、我々の恐れを超えて世界的なものに広がりつつあると言うことの確認であった。

    派閥と未来へのかすかな希望

    多くの宗教と同じように、EBMにも派閥が生まれつつある。CRAPはそこにかすかな希望をみる。今のところ、EBMは4つのセクトから構成されている。

    最後に、EBMはそれ自体をも破壊するだろう、ほかの多くの宗教がそうであったように。しかしながら、CRAPは無為に座してはいない。我々はハーグの国際司法裁判所に、人間性に対する犯罪としてEBMを告発する用意がある。我々の告発は、EBM信者たちに対して、巨大なランダム化比較試験とそのメタ分析からえられた証拠を突きつけて異議を申し立てるものだ。EBM信者が多少は善をなしている部分である。エビデンスなるものはどこにあるのか?非信者や別の信念を持つ人間にとっては、治療効果のエビデンス研究なるものをやめさせるのに性根を入れるときである。我々は自分自身の臨床的自立性という、侵されざる権利を守らなければならない。そのためにこそ我々は困難な仕事を続けているのだから。

    以上

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    いかにも英国式の韜晦ギャグにあふれているために、何のことやらよくわからないところもあるのだが、EBMという流行に対するコモンセンスからの反発がよくあらわされていると思う。医師の権威をそこなうものだという言い方は、朝日新聞式の医療批判からすればとんでもないといわれるかもしれないが、医療から観察力とか共感力をとっぱらって、マルペケ式の当てはめにすればいいと主張しているかのようなEBMの考え方は、ちょっと距離を置いてかかわるべきで、鵜呑みにしては決して医療をよくするものではありえないと私は思う。BMJには、これに対する反応が現在のところ、長短取りまとめて14ほど投稿されているが、その殆どがこの論文の姿勢を支持するものだ。

    医学は科学の一分野ではありつつ、「臨床的」という言葉で方法論的妥当性など常にあいまいにされてきたことへの反動(というか革新というか)なのだろうが、冷静な評価が望まれるところであろう。しょせん「治療」というのは一回性の出来事を「物語」の枠内に収めようとするものだ、というのは事実ながら、ではその法則性なり一般的妥当性はどう保障されるのかという議論は医学分野で充分なされているとは言えないのである。

    お前はどう思うのか、と言われるとちょっとつらいんですな。私は人間がもつ直観力とか抽象能力を無前提に信じているところがあるので、やはりEBMという立場には知性の衰退をみてしまう。そうは言うものの、常に客観性を得る努力をしないところでは、トンデモ系の決め付けがしばしば横行し、またそれにあっさりやられる人も多く、自分もしばしばそちらに惹かれたりするので、なかなか難しいところ。(2002/03/16,17)

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    私は精神科関係の学会にも出なければ(そもそも所属すらしていない)、関連邦文雑誌も読まないので、最近の業界内トレンドというものをまったく知らない。一般マスコミ報道と、ネット経由の英語圏論文だけを情報源にするという、ある意味ゆがんだ態度なのだが、これで困ることはまったくないから不思議である。薬の情報なんか、国内新発売製品のパンフを薬屋さんが持ってくる頃には、ほとんどエキスパートになってしまっているぐらいである。

    もちろん昔はこういうわけにも行かず、業界情報には常に目配りはしていた。そんな20数年前、比較文化精神医学というものがえらくはやっていた時期がある。駆け出しの時期を終えつつあった私は、はやりものにはすぐ飛びつく軽薄さでもって、治療関係をめぐる社会文化的視点から考察しないといけないなどという題目をとなえ、地域精神科医療の枠組みを利用して、民俗学者の真似事をしていたものである。

    民俗学や人類学関係の研究者には絵の達者な人が多く、人から話を聞きながら、うまく注釈入りのスケッチをまとめたりする。それがなかなか格好いいので、彼らが使う野帳という薄いけれど表紙の厚い小型ノートを、丸善でまとめ買いしたのが、ほとんどそのまま家にあるぐらいだ。私は字も下手だし、なにより絵心というものがまるでないので、いくらスタイルを真似ても、あとで資料になるようなものが作れないのである。

    その比較文化精神医学という分野に、「文化結合症候群(Culture-bound syndrome)」という概念がある。特定の文化圏に特徴的な精神症状をとりだし、文化現象として考察するわけである。私も憑き物症状を題材にして、いろいろしょうもない考察をした論文草稿を書いたことがあるが、20数年前の片田舎といったって、携帯電話とインターネットがないぐらいのことで、マスコミも通信も充分な機能を発揮している状況で、なんで憑き物なのかということが説明できないのである。

    それは文化現象というより、症状を懐古的に解釈しようとする周囲の期待との相互作用なのであって、症状が発現するにいたる動因をそこに求めるのはやはり無理なのである。もちろん、病者との関係をつくるチャンネルが増えるのは歓迎されることで、そういうアプローチはその意味ではまことに実りある(こともある)手段といえる。限られた文脈下とはいえ、治療者と患者家族が専門用語を介さずに了解を共有できるというのは、なかなか得がたいことである。

    しかし、当時よくこの分野の半可通が主張した、「伝統社会の西欧化が精神疾患、とりわけ精神分裂病の原因」などという多幸的な意見は、精神科医療を豊かな方向に導くには、どちらかといえば害になったとも思う。存在しなかった理想郷を、過去や非西欧伝統社会に求めてみたって始まらない。今、この現実のもとで人は生きていくしかないからである。

    なんでこんな話を書いているのかというと、特定文化圏に属する文化結合症候群の例としてよく紹介される、ある症状に似た状態を呈する人をはじめてみたからであった。なかなか珍しい例といえるが、その人を紹介してきた大学病院の医師は、まったくそれを意識していない様子であった。やはり比較文化精神医学なんてのは、この業界では歴史のクズ箱行きになってしまっているらしい。

    その状態というのは、もっぱら南中国から東南アジアに出現する"Koro"である。これはほとんどが男性に見られる症候群で、自分のペニスが退縮していき、体の中にもぐっていってしまうという恐怖感をその主徴とする(女性の場合、乳房や外性器が対象になるらしいが、かなり希である)。時には恐怖感が強まり、体の中にもぐりこんでしまわないように必死になって自分のペニスをつかんで助けを呼ぶといった、パニック発作を呈することもあるそうだ。

    "Koro"はマレー地方の言葉のようで、中国語では"Suo Yang"といわれる。これは北京語で、南部の中国語だと"Shook yong"になるらしいので、多分漢字では「縮陽」であろう。ふつう、この状態の文化論的機序はこう説明される。売春行為とか、マスターベーションなどが引き金になった自責的不安から、陰と陽のバランスが崩れたという実感を覚える。そして中国人の世界観的法則から、陽気の象徴であるペニスが陰気のなかに埋没してしまう、という確信にいたるのだと。ネット上ではここの説明がわかりやすい。

    中国や東南アジアでもそうしょっちゅう見かける状態ではないらしいのだが、その地の文化的背景から説明しやすく、同時に精神分析的な解説もしやすいということもあってか、いままで多数の論文がこれについて記されてきた。Pubmedで検索すると、70年代後半からだけでも116篇の論文がヒットする。大上段に、文化結合症候群とよばれるものをユニバーサルな診断基準、もしくは身体に基礎付けられる確固たる疾患単位として分類する意図を持ったものもあるが、大概はこんなエキゾチックな病気があるんですねぇ、私も似たような病気を診てますよ、といった感じのものが多い。尻つぼみの"etic"系を、物見遊山"emic"系が包囲している図である。

    今度紹介されてきた人は、パニック発作こそは伴わないけれど、ペニスの退縮、体へのもぐりこみを恐れるところなどがみられ、"Koro"の類縁状態として充分通るように思う。ペニスのサイズについての不安自体はそう珍しいことでもないのだが、次第に体に入り込んでいくという、特異な妄想的な不安が持続している状態はかなり珍しいと思う。先の論文群にも、日本からの報告というのは実に一例しかない。少数ではあれ、欧米圏あちこちから類縁状態が報告されているのに、文化圏としては近しい日本にこれがあまり見られないというのは、どういうわけなのだろうか。

    ともあれ、物見遊山系の論文ぐらいなら書ける症例なのはいいとして、やはりここは、今までの大学病院ではさっぱり改善しなかったのとは対比的な好治療成績をみせないと面白くない。こんなに興味あるケースなんですが、治療は難しいですなぁ、というのではね。今までの主治医はこの訴えに幻惑されたのか、えらく非オーソドックスな処方をしていたので、そこらをごく普通に攻めてみるというところからはじめますか。(2003/03/30,31)

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    やらなければいけないことがあるのに、さっぱりそれをする気にならず、呆然と時間が過ぎていくばかりという時はあるもので、せめて何かやっていなければとはじめた作業の結果がこれ。スター・ウォーズの決まり文句、"May the force be with you."というのを、題名もしくは内容にもっている医学論文はあるのかという探索。

    PubMedでこの語句を引いてみる。すると118件がでてくるが、大半は文章の一部の同じような表現に反応しただけのよう。自然語句での検索と言うのが出来るのが、かえってアダになっているらしい。

    "May the force be with you."そのまんま、もしくは明らかにこれをパロディにしたとおもえる題名を持っている論文は8つだけ。でもたいがいはちょっとしたエッセイ仕立て論文だったりするらしく、要約が添えられていないものがほとんど。中身が無料で公開されているのは"Cell migration: may the force be with you."という、結構本格的な一篇。97年にCurrent Biologyによせられたもの。

    白血球とか、アメーバみたいな細胞はどんなメカニズムを使って移動しているのか、というはなはだまじめな研究論文である。こういう細胞は細胞膜に標的とする物質分子へのレセプターをもっていて、それを感知するやそちらの方向に細胞質を突出させていくというのは常識なのだが、では具体的に、そちらの方向へ細胞自体が移動するのにはどんな仕組みを使っているのか、というのはおおよそのことしかわかっていない(そうだ)。

    著者たちは、細胞内で筋肉細胞とおなじアクチンーミオシンの合成がおこなわれて細胞の変形がおこり、細胞外には別種の付着性の蛋白が分泌され、言うならば投げ縄を対象物にひっかけて、それを頼りに移動していくという説を検証している。その蛋白を表面に付着させた小さいビーズを用意し、それにレーザーを照射すると、ビーズと細胞の結合が生じるだけでなく、細胞内にもその結合部にむかって移動に備えた補強構造が作られることを示している。

    この過程ではかなり複雑な情報伝達がなされるわけだが、そのすべてはまだわかっておらず、その一部をモデル化したというのがこの論文の主張らしい。"May the force be with you."という題名にしたのは、ただただ洒落というところか。

    さしあたっての責務から逃れるためだけに、こういう専門論文読んだりするのは、かなり疲れる作業だということを発見した連休中日である。(2003/05/04)

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    あるニュースサイト経由でたどり着いた新聞記事から。
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    クリンゴン語通訳募集中 <オレゴニアンより 5月10日>

    オレゴン州マルトノマ郡はクリンゴン語通訳を募集している。ただし非常勤で。

    これは「スタートレック」に登場する異星人兵士による侵略を想定しているわけではなく、郡が提供している精神科医療センターの救急施設を訪れた患者が、クリンゴン語をしゃべる場合に備えたものである。

    「私たちは利用者が使う言葉すべてについて、その情報を準備しておかねばならないのです」対人サービス部門の人事担当者、ジェリー・ジェルシッチ氏はいう。このセンターは約6万人の利用者を抱えている。もしクリンゴン語しかしゃべれない患者がいたら、郡はクリンゴン語通訳を用意する義務があるのだ。

    当局はクリンゴン語を、利用可能な55の言語に加えることに決定した。それらの中には、ロシア語、ベトナム語という広く利用されている言語もあれば、ダリ語(どうも中東の言語らしい)やトンガ語といった、かなり稀なものも含まれる。

    近年、クリンゴン語はフィクションの中の言葉から、完全な言語へと変貌している。固有の文法と統語法、語彙を完備しているのである。ジェルシッチ氏と同僚たちは、ポートランド市民の間で、クリンゴン語でカラオケを歌うのがはやっているという新聞記事を読み、調査したところ、この言語の完全性を知ることになった。

    クリンゴン語通訳には賃金がでるが、それは実際に通訳が必要となって呼び出されたときだけに支払われる。「やってみよう、とわれわれは言ったんです」ジェルシッチ氏はいう。「どうせ金がかかるわけではないのですし」

    実際、今のところはクリンゴン語をしゃべりだす患者はいない。しかし、クリンゴンが現実の存在だと思い込む患者が出てくる可能性はある。「私たちは『自分はナポレオンだ』と信じている患者だって受け入れます」そうジェルシッチ氏はいう。

    郡の最高責任者のコメントは得られなかった。

    そして今また別の神話的言語について検討されている。映画「ロード・オブ・リング」で有名になったものだ。「子供たちは『エルビッシュ』を勉強しているようですよ」そうジェルシッチ氏はいっている。
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    うーん、あちら版の地域振興策なんですかなぁ。精神障害者への古典的嘲笑がふくまれているような印象があって、少々引っかかるところがあるが、とんがってみても仕方ない。"Elvish"っていうのは、プレスリーが使う言葉かと思ったが、指輪物語の中に出てくるトールキンの創作言語なんですな。

    なお、クリンゴン語が言語として完全性を備えているのかどうかよく知らないが、クリンゴン語版Googleなんてのもあるようなので、一応事実と思っておいていいのかも。(2003/05/13)

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    先日、家族への傷害事件を契機に、警察官通報から措置入院となった青年の家族が来院。この数年、彼がいかに悪逆非道な振る舞いをしていたかを切々と訴える。発病して10年ちょっとたった人で、数回の入院歴をへつつも、そこそこの安定がえられていることになっていた。

    この人はけっこうなインテリで、サブカル関連の著作も多い某医師とウマが合うと、その外来にずっと通っていたが、その医師の退職後は通院も不定期となり、ここ半年ほどは全く受診せず、服薬も途絶えていた。

    私は今回の入院で受け持つのがはじめてだが、いわゆる人格荒廃にまでは至っていないものの、かなり退行した思考行動様式が目に付き、家族成員への無茶な暴力行為についても、妄想的な内容での正当化が目立つ、人格の崩れがかなり出てきている人だと思えた。

    こういう人はなかなかやりにくい。おおかたの分裂病患者に対する基本的な方針、自我庇護的に接するというのがあまりうまくいかない。学歴やらに妙に絡みついたプライドが、そういう方針を逆手にとってしまう。簡単に言えば、図に乗ってしまって、現実的な対人関係を阻害するのである。

    なんであれ、精神医学に出来ることは適切な薬物治療だけだと思っている私には、そのあたりはそれほど問題ではなく、反発が出るぎりぎりのところでのconfrontation(直面化と訳すんだったっけ?)が対応の基本になる。

    それはいいとして、家族によれば、安定していると見られていた時も、彼と暮らすのは地獄だったという。医師の前ではそこそこに過ごしている風を装っていたが、自宅では暴言暴力は日常茶飯事だった。家業を手伝っていると自称していたが、気の向いた時にちょこっと手伝うぐらいで、かえって作業の邪魔になるだけだった。しかし彼は給料を常勤職員なみに要求し、少しでも支払いが遅れると、大声で怒鳴ったり、物にあたったりして暴れたのだと言う。

    家族が何度か医師には訴えたらしいが、仕事に意欲を見せるのはいいことだから、たまには手伝うと言う事実を評価してやれといわれ、またその医師が本人に「ちょっとは慎み深く行動しないと」などとアドバイスしたら、患者は家に帰ったとき「医者にチクった」といってまた暴れるという繰り返しで、家族はすっかり萎縮して腫れ物に触るように接していたと言う。

    これは実によくある「患者に理解ある医師」の対応で、それをくさしたいわけではない。私自身、駆け出しのころはこれと同じ間違いをずいぶん犯した。たぶん今だって、とおり一遍の対応になっていることもあるかもしれない。実際、家庭内暴力パターンに陥っている患者の場合、それに気付いてもなかなかその悪循環は絶ち難い。大多数の医師は、外来の場でそこそこ人当たりのいい患者がいれば、家族には多少の問題は我慢しろと言うと思う。そういう風に彼らの逸脱行動を大目に見ることで、なんとか治療関係を保っている場合もあったりする。

    家族は自分たちが何も言わなくても、医師は全て見抜いてくれると期待していたりするが、別に透視家でもない身の悲しさ、そんなものわかるわけはないのである。まして建前の社会復帰物語への固着がつよい治療者は、自分の前で安定している人を無条件に信じてしまいがちで、実際には上に述べたような問題が続いているというのはよくあることだ。

    赤の他人にはそこそこ対応できるのに、家族に対してはやたらに攻撃的になるというのは、分裂病に限らず、うつ病や神経症の範疇でも、また痴呆性疾患でもよく見られることだ。もちろん利害が絡む関係ほど感情面でのもつれは深刻だという、当たり前の理由が一番なのだろうけれど、どうもこれには、本能というか、遺伝子レベルでの裏づけもあるような気がする。

    というのは、たいがいの脊椎動物では、生まれたばかりの子供は親に庇護されるが、ある程度成熟して自力で生きられるようになると、親のテリトリーからは追い出されるのが普通だ。そうすることで餌の枯渇による共倒れやら、近親相姦が回避されているのだろう。精神疾患の場合の家族攻撃も、これと同じような遺伝的機構が表面化しているのではないか、と考えたりする(夫婦の場合はどうなんだ、といわれると困るけど)。ただし、こちらは生活能力を失った側がそれを示すので、全然合理的な機能を果たさないわけだが。

    精神科医は面接の場だけでは、まず患者が家庭なり地域で引き起こしている問題には気づかないというのを素直に認めて、どうせ治療成績なんかそう大したことはないのだから、病者による悲しい事件を、少しでも予防しようとするぐらいは自分の仕事とわきまえてもいいのではないかな、と考えさせられた。具体的にどうするのか、というのは実に難しいのだけれど。(2003/05/15)

    (注:なんとなくネガティブな書き方をしてしまったが、治療者の前だけでもほどほどの取り繕いができるというのは、それはそれなりに保持されている能力であるわけで、それをどうせ破綻する絶望的努力に終わらせぬよう、共感的に接していくのは大事なことである。家族や近隣に我慢を強いるだけという姿勢とは紙一重なんだけど)

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    診療現場が変わりながらも、いろんな経緯で、もう10数年近く続けてみているおばあさん患者がいる。はじめは勤務先関連の特別養護老人ホームで、困った問題患者としてコンサルテーションされたのがきっかけだった。身勝手な要求と、身体的な所見を欠く訴えが頻発し、トラブルが絶えないので精神科関連病院に何とか移せないかというスタッフの意見だった。

    40台半ばに初発し、その後3度ほど再発した脳血管障害のため、左半身に軽い運動障害があるのと、脳血管性と思われるパーキンソン症状がみられる。痴呆は目立たないものの、感情面での抑制欠如がおもな所見である。不安焦燥感もつよく、パニック発作様の心悸亢進や、もっと身体表現化した「内蔵がでんぐり返しになる」違和感を訴え始めると、それまで顧問だった精神科医から処方されていた抗不安剤を際限なく要求するという。見ると70になる人なのに、ジアゼパムが15mg/日処方されていて、その上に同量以上追加されることもあるそうだ。

    初めて見たときはすでにジアゼパムでヘロへロになっていて、もつれる舌でスタッフやら顧問医の悪口を言い続けるだけだった。調子が悪くても、誰も返事もしてくれず、手元のものを投げつけたりするとやっときてくれる。「あんたのために働いているんじゃない」なんてイヤミをいいながら、いやいやながら薬をくれるのだと涙ながらに訴える。

    こういう施設には珍しく、痴呆がほとんどなくて、かなり適切に反論できるのがまた職員には嫌われるらしい。「旦那と別れて、売春まがいの水商売をしてた」などと、職員からの陰口には事欠かない。軽うつ状態で、多少脱抑制もあって、ヒステリー性反応を起こしているのだろうと投薬を調整すると、かなり簡単に症状は落ち着く。身勝手は身勝手ながら、いわゆる強い女性の範疇であろうと思われた。

    その後、多少の症状変動はありつつも、なんとかその施設には適応していたが、痴呆患者が多すぎて、話をする相手がいないのでさびしいと、新設されたばかりの軽費老人ホームに移ることになる。そのすぐ近くにある大学病院に紹介状を書いたのだが、ここでまた問題が。大学病院では、また抗不安剤だけの処方に戻ってしまったのである。多少多幸的ともいえる状態の人に、抗うつ剤を出しているのはおかしいと思ったのであろう。でもそれなら、なんで抗不安剤を出すんだろうね?パーキンソンを理由に、L-DOPAも大量にだされている。(L-DOPAは副作用も強いし、すぐ効かなくなってくるので、老人にはかなり慎重になる必要がある)

    症状はすぐに昔の状態に逆戻りした。軽費老人ホームのほうも、こういう人では預かれないといいだす。しかたなく、本人の訴えもあって、2週にいちど、私の外来にはるばるタクシーにのって受診することになった。障害者手帳をその前にもらっていたので、何とか費用は出るのだ。

    症状は再び落ち着き、ゆっくりと進行するパーキンソン症状と、そう他人を煩わせない程度の身体化症状程度で収まるようになった。意欲も戻ってきたので、そこそこのリハビリもやっている。今では週に一度くる一人息子と外出して食事するのと、多少ベンチャラではあるのだろうが、私の外来に来るのが楽しみな生活なのだという。以前精神症状が激しかったころは、施設側が息子を呼び出しては何とかしろといわれるので、息子のほうは 何かと理由をつけて近づいてくれなかったそうな。

    こう書いてくると、たまたま相性のよかった患者のハッピーケースレポートですかな、と言われてもしょうがないのだが、論点はむしろこれからなのである。先日、そのおばあさんが来院したとき、昔の写真を持ってきた。30代はじめのころ、夫と別れて、モデルとコンパニオンをやりながら息子を育てていたころの写真だという。海水浴にいったのだろう、子供と並んで、水着姿の若き日の本人が写っていた。

    ひと目見て驚愕した。ちょっとオールドスタイルとはいえ、すごい美人なのである。原節子をもうちょっとバタ臭くした感じ。おもわず、「これがこうなっちゃったんですか?」としげしげと本人を眺めてしまったほど。50年近くの年月と複雑な病歴は、かすかな面影だけを残して、その美貌を全て奪っていた。

    子供の手が離れたころから、次々に病気が重なって、病院や施設を転々とすることになり、一時は死んだほうがいいと思えたこともあったが、今は生きていて本当によかったと思っているのだと。「だって先生に会えたからね。病院ってとこは、ほんとにやな思いばっかりだったんだけど、最後にこんなに幸せになれるとは思わなかった」と、コケットをたっぷり含んだ目で、じっと私を見るのである。

    サン・テクジュペリの「星の王子様」は、たしか「大人は、昔子供だった。そのことを覚えている大人は殆どいない」というような言葉ではじまったような気がするのだが、生活史を共有した家族でもない限り、老人がかって若者であったことも、大概の人はついつい忘れているのだ。自分だってどんどん本格的老人に近づいていることを日々自覚しているくせに、その当たり前のことが衝撃的に感じられる瞬間があるというのも不思議といえば不思議。

    そのおばあさんに思わぬ功徳をほどこせた(のかどうかはわからないが、一応顧客サービス的には成功といえましょう)満足とはべつのチャンネルで、万物は流転するのだな、人の美醜なんてうつろうものに、何があってもとらわれたりしてはいけないのだと、なんだか見当はずれな方向で、深く自省と洞察を覚えるのであった。(2003/06/11)

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    私の勤めているような田舎病院でも、パラメディカル系の研修生がしょっちゅう回ってきて、教師の真似事をしなければならないこともしばしばある。自分のデューティワークでも、出来れば他人に押し付けたい怠け者の私としては、かなり親切心がないと出来ない他人の指導というのは、苦痛そのものである。来年ぐらいからは、医師の卒後研修まで引き受けるという話なので、考えるだけで気が重い。

    それはさておき、自分の経験から言えば、医学知識というのは落差が少ないところから来たもののほうが、よりよく身につくという気がする。学生時代、教授達がよく言っていたのは、「君らは私らの言うことは覚えもしないくせに、ちょっと上の先輩などが言うことはすぐ本気にするので困る」というもの。実際そのとおりで、同じことを習っても、教授と卒業したばかりの親しい研修医では、あとからのほうが圧倒的に理解度が高まる。

    教えるほうが未熟なほど理解しやすいというのは、ほかの分野でもあるのだろうか。初等教育の場なんかでは絶対そんなことはないような気がする。でも、米国の医学研修制度はこの原則を巧みに利用していて、医学生の病院実習をペーペーのレジデントが担当するし、そのレジデントをスタッフレジデントが指導し、という具合にカスケード式とでもいえる教育体制がある。「ER」みてても、そういうシーンありますね。

    いわゆる大家とか、ベテランの教える知識というのには、ある種の哲学といえばおおげさだが、長年の実践に支えられた価値観が色濃く付随していて、単純な情報として受け取りにくいのである。純粋なコアになるマニュアル情報だけを、アンチョコ風にサッと提示してくれないと、ああでもないこうでもないという韜晦ばっかりが目に付いてしまうのである。

    もちろん、そういう価値観というのは大事で、それがないところで知識だけ振り回しても空回りになるのは当然なのだが、その部分はやはり自分で試行錯誤を繰り返した結果でないと身にはつかない様に思う。ましてや、純粋なノウハウ情報部分がないと、そういうものに至ることもないのだから、とにかく一旦はマニュアル習得しなければならないのは当然である。

    昔、短期間だが教師をやらされたときはこの原則がわかっていなかったので、付け焼刃の理念的なことをずいぶん吹聴するばかりのいやな教え手であったろうと反省している。最近、どうしても人に教えなければならないときには、診断や治療に関する基本的なマニュアル情報に徹するように心がけているのだが、残念なことに、相手がパラメディカルではあまりこれが必要ではないというか、あんまり関係なく、向こうの知りたいこともそうではないのである。

    特に理学療法士や作業療法士とか、心理療法士の研修過程の方々は、「治療方針」ということに妙にこだわり、やたらにこれを聞いてくるのだ。私は大雑把な治療デザインということはそこそこ考えるが、「治療方針」なんてものを考えたことがない。強いていえば「病気がよくなればいい」というだけだ。まして精神疾患という、もう一つ治療手段が乏しい分野なので、自分が相手のためと信じてやっていることが、本当にメリットになっているかをよく考えないといけない。余計なことをやらず、相手のためになると信じることだけをやるといえば全てのケースに対する治療方針になってしまう。

    目的を絞って操作主義に徹するというのは、パラメディカル分野では大事なのかもしれないが、そんなかかわりで何か目的が達せられるほど、精神疾患は甘いものではないのですけどね。しかたなく、治療的介入の意味を問うような、禅問答みたいなレクチャーをする羽目になり、何言ってるかわからんという不満に満ちた学生さんの尖り口を観察するだけで終わりがち。

    もうちょっと何か新機軸の指導の切り口をつくらないと、お互い不愉快なばかりの研修になってしまいそう。今度は多少のちぐはくは承知の上で、ライフヒストリー聞き取りあたりに絞ってコメントしていくようにするかな。といって、ケースが痴呆老人だったりするとこれも無理なんだしね。ホント気が重い。(2003/06/23)

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    TVニュースを見ていたら、六本木にあるHクリニックの「カリスマドクター」が行っているという、「ニンニク注射」なるものの提灯持ち報道がされていた。報道機関、とりわけTVの報道というものが腐りきっているのは承知していたのだが、ここまでのアホたれどもだとは思わなかった。一応報道番組を銘うっているのに、まったくバラエティのつくりになっているのは、昨今のTV業界の恥知らず振りをみれば仕方ないとはいえ、単なるビタミンB群の注射に不当かつ誇大な効能をうたって高額の自由診療をしているらしい、そのクリニックの胡散臭さにはまったく触れないのである。

    頭の悪い芸能人やスポーツ選手がだまされていいカモになっているのは勝手なのだが、報道機関が詐欺の片棒を担ぐようなことをしていいのだろうか。ほかの専門家に確かめて、その「医療行為」の怪しさを調べることも出来ないのだろうか。こんなバカどもが作っているニュース番組が、良識の代表みたいな顔をして、昨今の情勢にいっぱしの口を利いたりするのだから、ただただあきれるばかり。

    それにしても、ずいぶん昔にインチキ性を指摘されて、とっくにすたれたビタミンB群製剤の無差別注射をやって(そりゃ、脚気とかの、ある種の疾患に効能があるのは認めますよ)、「カリスマ医者」になろうと思ったらしい、あのH医師の恥知らず根性にはいささか脱帽である。専門家や同業者からバカにされようがかまわない、小金が稼げればいいんだと居直るのは、なかなか思い切りがないと出来ません。百円何ぼのオカズ薬を注射して、数千円になると思えばやめられないのかねぇ。

    そういえば前に、同じようなインチキ注射で患者を集めていた病院のことを書いたことがあったような。ビタミンB1って、静注するとニンニクのにおいがするんだけれど、そこに居直って「ニンニク注射」と自称するのは、なかなかの変化球というか、開き直りが虚をついていて、トロイ人にはちょうど程度のあったセールスポイントになるんでしょうかなぁ。(2003/07/14)

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    7月19日発刊の、The British Medical journal掲載論文。「英国の医師キャリア達成度予想因子としての高成績と知能:20年間の追跡研究より」(A levels and intelligence as predictors of medical careers in UK doctors: 20 year prospective study )

    英国では大学入試は、高校卒業時の最終試験の成績をつかって行われるらしい。日本のセンター試験みたいに標準化されているのかどうかよく知らないのだが、学校によって試験レベルが違うのでは困るから、たぶんそれなりの標準化はされているのだろう。

    また、大学に入った直後には、適性検査ということで一種の知能テストみたいなこともやられるらしく、その結果と、先ほどの入試選抜用のテスト成績とでは、どちらが医師としてのその後の達成度を反映するのか、ということを調べた論文である。

    研究対象は75年から82年の間に、ウエストミンスター医科大学(うそみたいな名前ですな。きっと授業の始まりには例のチャイムがなると思う)に在籍していた、511人の元医学生たち。彼らのその後を20年にわたり、医師登録、学位、論文数、自らの健康状態やストレス評価などを達成度の指標にして検討したもの。

    結論からいえば、入学許可資料に使われる最終試験の成績が、トップのA段階を得た連中がその後の達成度も高く、知能テストの結果はキャリア達成度とはまったく相関しなかったというもの。生来の知能がどれだけ高くても、ちゃんと勉強していい成績がとれないような奴は落ちこぼれるのだという、まことに厳しいというか、当たり前ともいえる結論である。

    達成度といっても、その指標がえらく恣意的だとか、がんばったのにたまたまいい成績が取れず、入学しやすい別の大学にいった連中との比較をしないと意味がない、などというコメントがいっぱい寄せられている。自分の達成度評価はいいとして、肝腎の患者側の満足度のほうはどうなんだというような、かなり意地悪いコメントもあるぐらい。肯定的なコメントの方が少数派。

    達成度の評価は人それぞれであるにせよ、そこそこ小器用にいい成績を残すような奴でないと、この業界は渡っていきにくいのは、まぁ、確かではありますが、20年にも及ぶ追跡研究をしてこういうことを確かめようとする、この論文の著者たちの情熱は、どこから出てきたものなのか、むしろそれを知りたいものですなぁ。(2003/07/23)

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    こちらの掲示板(登録が必要)からのネタ。

    欧米にはMENSAという、IQ148以上(正確にはトップ2%に入る知能の持ち主)の人だけが入れるクラブみたいなものがあるらしい。日本支部だってあるらしいが、少なくともそのウェブサイトに関して言えば、メンバーの高IQとは裏腹に、やたらにその反応はとろい。MENSAというのはMentally Extremely Notoriously Superior's Associationの略かと思ったら、ラテン語でテーブルのことを意味するのだそうな。MENSA日本支部のサイトの言葉を借りれば、「円卓を囲んだメンバが皆平等な集まりを表わします」とのこと。IQが高い人が書いたにしては、ちょっと文章が妙。

    紹介するのは、そのMENSAが作ったというクイズ(開くためにはExcelが必要なので注意)。エクセルの表になっていて、左のセルに書かれている数字とアルファベットの組み合わせを、ちゃんとした語句に直して入力すると、採点してくれるというもの。例題の第0問は"24H in a D"になっているので、右のセルに"24 Hours in a Day"と書き入れると、"TRUE"と表示されるという仕組み。

    MENSAによれば、19問以上できたら「天才」なんだとのこと。英単語や雑学知識と、頭の回りだけでなく、文化背景の違いもあるので、我々にはかなり不利ですな。自分でちょっとやってみたところ、7問わかったので、"Somewhat intelligent"と評価されるかとヌカ喜びしたものの、つづりを間違えて結局"Average"評価でありました。

    ひまな方はどうぞお試しを。Excelがなくても大丈夫なように、問題と正解は以下に(答えは問題の右の方を逆転させると出現)。
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    0  24 H in a D 24 HOURS IN A DAY
    1  26 L of the A    26 LETTERS OF THE ALPHABET
    2  7 D of the W    7 DAYS OF THE WEEK
    3  7 W of the W    7 WONDERS OF THE WORLD
    4  12 S of the Z    12 SIGNS OF THE ZODIAC
    5  66 B of the B    66 BOOKS OF THE BIBLE
    6  52 C in a P (WJs)    52 CARDS IN A PACK (WITHOUT JOKERS)
    7  13 S in the USF    13 STRIPES IN THE UNITED STATES FLAG
    8  18 H on a G C   18 HOLES ON A GOLF COURSE
    9  39 B of the O T  39 BOOKS OF THE OLD TESTAMENT
    10  5 T on a F    5 TOES ON A FOOT
    11 90 D in a R A    90 DEGREES IN A RIGHT ANGLE
    12  3 B M (S H T R)   3 BLIND MICE (SEE HOW THEY RUN)
    13  32 is the T in D F at which W F   32 IS THE TEMPERATURE IN DEGREES FAHRENHEIT AT WHICH WATER FREEZES
    14 15 P in a R T    15 PLAYERS IN A RUGBY TEAM
    15  3 W on a T    3 WHEELS ON A TRICYCLE
    16  100 C in a R    100 CENTS IN A RAND
    17  11 P in a F (S) T    11 PLAYERS IN A FOOTBALL (SOCCER) TEAM
    18  12 M in a Y    12 MONTHS IN A YEAR
    19  13=UFS    13 IS UNLUCKY FOR SOME
    20  8 T on a O   8 TENTACLES ON A OCTOPUS
    21  29 D in F in a L Y    29 DAYS IN FEBRUARY IN A LEAP YEAR
    22  27 B in the N T    27 BOOKS IN THE NEW TESTAMENT
    23  365 D in a Y    365 DAYS IN A YEAR
    24  13 L in a B D    13 LOAVES IN A BAKERS DOZEN
    25  52 W in a Y    52 WEEKS IN A YEAR
    26  9 L of a C    9 LIVES OF A CAT
    27  60 M in a H    60 MINUTES IN A HOUR
    28  23 P of C in the H B    23 PAIRS OF CHROMOSOMES IN THE HUMAN BODY
    29  64 S on a C B    64 SQUARES ON A CHESS BOARD
    30  9 P in S A    9 PROVINCES IN SOUTH AFRICA
    31  6 B to an O in C    6 BALLS TO AN OVER IN CRICKET
    32  1000 Y in a M    1000 YEARS IN A MILLENIUM
    33  15 M on a D M C    15 MEN ON A DEAD MANS CHEST
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    自分で紹介しておいてこんなこというのもなんだが、こんなクイズで天才だのなんだのいうのは、優秀性というよりは、むしろ俗物根性丸出し、という感じですなぁ。凡夫の嫉妬心がそう思わせるのかもしれないが。(2003/07/31)

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