リンクで紹介している英語圏の都市伝説サイトなどに、何度か登場している健康関連のチェーンメールを三つほどまとめてみたい。初めのは専門誌論文の解説の体裁を取っている。

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御婦人ウォッチャーへの福音

女性の胸をしげしげと眺めることは、男性の健康に極めて有用で、寿命を延ばすことにつながるという発見が専門家によってなされた。ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンにこのほど掲載された論文の中で、老人医学専門家、カレン・ウェザビー博士は、「巨乳を10分間眺めることは30分間のエアロビック運動と等価」だと主張している。

ウェザビー博士と同僚はフランクフルトの3病院で、200人の男性外来患者を対象にして調査を進めた。半数の患者には巨乳女性を毎日積極的に眺めるように指示し、残り半数にはそうしたふるまいを禁止した。

5年間の観察期間で、巨乳観察組は血圧低下傾向、安静時脈拍の減少、冠動脈疾患の有意な減少が見られた。「性的な興奮は心機能を高め循環状態の改善をもたらすのです」、ウィザビー博士はそう説明する。「疑いなく、巨乳を眺めることは男性を健康にします。我々の研究は、一日数分の巨乳観察で脳、心臓の血管系病変を半減させることを明らかにしました。これをもっと推し進めていけば男性の平均寿命を4年から5年は延ばせると期待できます」
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ホントなら結構な話であるが、こうした「努力とは無関係な行為が何かに有用」というパターンの話が真実であることはまずない。そんなものがあれば皆やっているし、それが特別な効果をいまさら追加するわけはない。それが真実であるためには、一般には禁止されているとか、別の面での抑圧がかかるような前提がいるだろう(例えばオナラは我慢せずに出せ、なんてのはこの類)。上の記事は別のところでも紹介したことのある、Weekly World News(道頓堀のかに道楽の看板に、人間がはさまれている合成写真を掲げて、「オーサカのスシバーに巨大甲殻類怪獣出現!」などと言うような記事を書く楽しいデマ新聞だ)に、97年と、さらにしつこくまた最近も掲載された記事がチェーンメール化したものだと言う。やはり向こうでもThe New England Journal of Medicineの名前を出すとそれなりの信憑性が生まれるのかな。

次はいわゆる健康脅かし系だ。これは昨年のヒット「買ってはいけない」などと共通する人間の不安につけこんだもので、上のパターンよりも応用がききやすい。

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喫煙家とその友人はご注意を!

喫煙家なら誰でも経験があるだろう。他のことに気を取られていたり、酔っ払っているときなど、タバコに火をつけようとして反対側をくわえ、フィルターに火をつけてしまうことだ。妙な煙を吸い込んでしまって、仕方なくそれを投げ捨て、新しいタバコをまたくわえる。

それは不愉快な経験、というだけだったが、最近専門家はフィルターの煙が、男女問わず性機能の障害をおこす可能性があることを指摘している。

タバコのフィルターには、トラルファマドラフィルというそれ自体は安全な物質が含まれているが、それが熱せられて気化したものをなんども吸い込んでいると、男女とも性器への血流が阻害されるようになるという。月に一回間違ってフィルターの煙を吸ったとすれば、約3年から4年でその影響が出現しうる。

タバコ会社はこの事実をまだ喫煙者に警告していない。ある会社の責任者は「わが社の製品は正しく消費されるかぎり何の問題もない」と主張している。

どうかこのメールを知り合いの喫煙者だけでなく、家族や友人に喫煙者がいる非喫煙者にも転送してほしい。
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たまたま月に一度ぐらいうっかりしてフィルターに火をつけてその煙を吸い込むことが仮に身体に悪影響があるとしても、もともとタバコ自体身体に悪いのだから、なんで大騒ぎしないといけないかわからない。拳銃自殺しようとする人間が、銃弾で頭が吹き飛ぶのはいいが、火焔で火傷はしたくないと言ってるのと同じじゃないだろうか。

もちろんメールで言われていることにはまったく根拠はない。フィルターに含まれると言う妙な物質の名は、K・ボネガットの小説「スローターハウス5」で主人公が連れて行かれる惑星「トラルファマドラ」に化学物質めいた語尾を付け足したものだ。強いてフィルター=毒物発想の出所を探れば、50年代のアスベスト混入や95年の殺虫剤成分混入による回収事件と言うものがあったそうだが。

いずれにせよこのデマメール作者には、「毒物に付随するマイナーな毒物の害を告発することで本来の毒物の害を忘れてしまう」現代世論の奇妙さを笑い飛ばそうとする意図があったのだろう。首をくくろうとする人に肌触りのいいロープを売りつけようとするような企業と、その戦略に乗せられる人々への皮肉なからかいと言うところだろう。

さて最後はかなり「有用」だ。これは昨年中ごろから流通しているチェーンメールだと言う。

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これは真面目な話しだ…。今は午後4時17分、あなたは車で家に向かっている。今日の仕事はいつになくきつかった。ノルマは厳しく、上役はまったくこちらの事情など考えてくれない。不満をならべだすときりがなく、あなたはいらいらと車を進めている。

突然、あなたは胸に強い痛みを感じる。それは腕からあごのあたりにまで広がる。一番近い病院まであと10キロ、そこまで持つだろうか?どうしたらいい?あなたはこの前心肺救命処置の講習を受けている。でも一人で、しかも自分自身に何が出来る?

心臓発作を独りで生き抜く方法

独りでいるときに心臓発作をおこしたら、この文章を思い出されたい。人間の心臓が突然鼓動を止めると、何の助けもない場合、意識消失までには10秒しか残されていない。そんなとき、激しくせきをし続けることでその人は自分の命を救うことが出来る。せきをする事で呼吸は維持されて酸素供給が行われ、せきで胸腔内圧が高まるために心臓の血液拍出も保たれる。誰かの助けを得るか、心臓がふたたび正常に動き始めるまで、せきは2秒に一度以上の割で続ける必要がある。

せきによる胸腔内圧上昇と、それによる心臓マッサージ効果は、心調律の再開を促す効果もある。こうして患者は電話をかけるなり、助けを呼ぶなり出来るようになる。

この方法を出来る限り多くの人に伝えてほしい。それが彼らの命を救うのだ。
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さてこれはいかがなものだろう。

これを「都市伝説」の立場で紹介しているAFU,urbanlegends.about.com,snopes.com3者とも、「一定の根拠はありつつも、すべての心発作に対して有効とはいえないし、有害な場合もある」という態度で一貫している。ところが「一定の根拠」どころか、米国の救急医療の教科書にはこれが本当に書かれている(私は日本の教科書ではみたことがない)。しかし米国心疾患協会はこの方法を「医学スタッフの監督下でない状況で一般大衆が行うことは勧められない」という意見だそうだ(独りで発作に対応する方法に、この意見は少々的外れだ)。完全房室ブロックによる心停止や著明な徐脈にはそれなりに効果があるが、そうでない場合害が出る可能性があるという。おそらく心筋梗塞などの場合、むやみに胸腔内圧を高めて心破裂を起こす可能性とか、高血圧による一過性の虚血発作なのにコンコンせきし続けて、よけい血圧を高めるような危険、何より「心臓発作」を恐れる大多数のなんともない人々で、しかも一見類似したパニック発作を起こすようなタイプにこれが妙な形で浸透するのが一番の問題だろう。

前の二つと違って、教科書に書いてあるぐらいで部分的にせよこれは正しいのだが、なぜ「都市伝説」呼ばわりされ(現にそうしてチェーンメール化している)てしまうのかという理由はここにあると思う。真性の心臓発作を中心にして、その周辺にはじつに多彩なバリエーションがあり、それに対してはさまざまな対応がありえ、こうした自己救命法もそのひとつなのだが、それはあくまで現実のさまざまな局面とのいわば「弁証法的」関わりの過程で有効性を持つ一方法にすぎない。それを無視して固定的な「咳き込み救命法」が一人歩きしていく危険性を、それも最悪の形で伝承流布していくだろう人々も込みで、容易にイメージできるため、部分的には有用な事実であっても「都市伝説」へと変態していく萌芽を感じられてしまうのだろう。(2000/06/02)

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J・H・ヴルンヴァンの「メキシコからきたペット」のなかに、1985年の「ワシントン・ポスト」に載った記事として、コロンビアからマイアミに向かう飛行機の中で、添乗員が様子のおかしい赤ん坊を発見する話が紹介されている。不審に思って税関史を呼び調べると、赤ん坊は殺されて内臓をくりぬかれており、コカインを詰め込んで縫合されていた、というものだ。記事は犯罪都市マイアミではこんな残虐な事件など日常茶飯事である、というような結ばれ方をしている。この記事が出た5日後、訂正記事が掲載された。その「事件」は関係者の間で知れ渡っているもので、税関史養成講座で講義内容に使われているぐらいなのだが、実際に起こったと言う記録はどこにもないのだと言う。

この話のバリエーションは以後輩出し、時と場所を変えてささやかれつづけ、結構な大新聞が記事にしつづけた。今年の5月10日、「ガーディアン」に載った最新版を紹介したい。いつもの参照サイトであるsnopes.comとurbanlegends.about.comでこの記事が掲載された直後から話題にされていた。

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麻薬密輸業者が幼い女児を誘拐して殺し、その体内に麻薬を詰めて密輸を図ると言う事件が、ある中東湾岸首長国でおこった。警察関係者は昨日、次のように発表した。

ある空港係官が、眠っている子供を抱えた女性が入国手続きをするところに出くわした。彼女が手続きしている間、係官は子供をあやそうとしたが反応はなかった。子供は死んでいた。

子供への哀れみはすぐに恐怖に変わった。子供の体が切り開かれ、麻薬を詰めて縫い直されているのを発見したのだ。子供は麻薬密輸目的のために殺されたと結論付けられた。

この国の麻薬取り締まり担当官であるアブドール・ラーマン大佐は、麻薬業者たちが品物を隠して持ち込む手口が日に日に手の込んだ、手段を問わぬものになっていると説明する。

薬物をコーランや美術品の中に詰めたり、盲人の杖に隠す、というような例もあったと言う。中東の湾岸国家群は、パキスタンやアフガンからヨーロッパへ麻薬が移動する際の中継地として以前から知られている。また資金洗浄の中心地としても有名だ。

これらの国ではアルコールと薬物は社会的にも宗教的にも禁制が厳しく、公式的にはよその国の問題とみなされている。麻薬業者の80%はアジア人とされ、当局者は国内で売りさばかれているものもあるとは認めたがらない。

しかし、首長国には麻薬中毒者用の治療施設は存在する。先のラーマン大佐は首長国群での麻薬乱用にふれなかったが、国内の大学にかよう富裕層の退屈した子弟たちに乱用危険性があることをほのめかしてはいた。

大佐は、麻薬が公然と売られていたり、「嗜癖者の隠れ家」として知られる国に幼い子供を独りで旅行させるようなことをしてはいけない、と親達に警告している。
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ガーディアンと言えば英国ではかなりのクオリティペーパーとして知られており、よくまあこんなに曖昧模糊とした記事を載せたものだと感心してしまう。国や空港を特定してもおらず、被害者とされる幼児の身元すらわからない。人類の敵、悪の権化の麻薬業者=金のためならどんなことでもする、と言う決めつけが、記者から判断力を奪ってしまい、伝説を無批判に取り込んでしまったのだろう。もともとその程度の知性なのかもしれないが。社として、今でもちゃんとこの記事を読めるようにしているのは立派だ。もしかして全く自覚がなかったりして。

実際、麻薬密輸の手口にかける関係者の創意工夫は、人類の英知の一端にふれる思いをするほどで、本、美術品、剥製などに隠すのはもちろん、人体のあらゆる管腔臓器はほぼ有効利用され尽くしただろう。身体の皮膚を切開してそこに縫いこむ、と言う手口も結構あるらしいが、この噂にあるように、子供を誘拐してきて殺し、腹腔に麻薬を詰めるというようなやり方は、今のところ幸いにして(少なくとも摘発されたことは)ないようだ。

昔、ベトナム戦争当時、戦死した米兵の遺体が本国送還されるのを利用して麻薬がそこに隠されたという事件は実際にあったようだ。その場合も死体に縫いこむのではなく、棺桶に隠されただけだったようだが

なんと言っても素人が目先の金につられて手を出すような場合と違って、麻薬売買というのは持続的ビジネスであるわけだから、効率が悪くて反発ばかりを生み、徹底的な取り締まりの契機ともなりうる手口をそう安易に使うとは思われない。人間の想像力と言うのは悪趣味で残虐なものになりうるが、功利心は合理性に基づかないと、そうそう実現できるものではない。

まして死体というものは扱いにくいものだ。たとえ子供でも重いし、自分では動いてくれないし、ハエは寄ってくるし、そのうち腐敗し始めて臭いだすし。殺人犯の多くが殺人行為そのものよりも苦労するのが死体をどう処理するか、ということなのだから、麻薬コンテナとして死体を利用するという行為がいかに苦労の多いことであるかと想像できる。

金のためであっても、そんなに人間と言うのは残虐になれるものではない、と主張しているわけではない。あくまで「効率」の問題なのだとおもう。現に臓器移植のために南米インディオの子供たちが集団誘拐されている、という噂が流れていて、こちらのほうはかなりリアルな様相を呈している(結構都市伝説臭いところもあるけれど)。移植用臓器の需給という比較的調整しやすいマーケットのもとでは、リスクとベネフィットがつりあう限り、残虐であろうが非人間的であろうが、経済行為としてそうした犯罪は起こりえると思う。少なくとも、人間の想像力のほうは、もうとっくにそれに必要なストーリーを、ディテールにいたるまで作り備えているのは間違いない。(2000/06/08)

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英国圏のジョークとして古くから知られている「どこかで会った事はあるが、うろ覚えの相手に適当にカマをかけて話していて恥をかく」という内容。日本版のバリエーションもどこかで聞いた事があるような気がする。

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ある英軍将校が任地からロンドンに帰り、ひさびさの社交界パーティーに出席した。そこで彼は魅力的な女性に目を止める。どこかで見たことはあるのだが、誰だか思い出せない。彼は話のきっかけをつかもうと、「お父上は健在ですか?」と声をかける。
「父は死にました」と彼女は答える。
「ああそうでした。これは失礼」彼はなんとか話を継ごうと「兄上はいかがされておられます?」と続ける。
「私には男兄弟はおりませんの。姉だけですわ」
「おお、そうでしたね。馬鹿なことを言ってしまった」これでやっと話が進められる。「姉上はいまどうしておられます?」
「元気ですわ」相手は答える。「いまのところまだ女王をやっています」

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高名な作家であるトーマス・ビーチャム卿がホテルのロビーで、どこかであった記憶のある女性にあい、挨拶を交わす。しかし名前は思い出せない。卿はあやふやながら、彼女には確か兄がいたはずだと思い出す。なんとか話をつなぐため、卿は「ところで兄上はご健在ですか。まだ同じ仕事についておられるのですか?」とたずねる。「兄はとても元気ですわ」相手は答える。「いまのところまだ国王をやってます」

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次は米国版。49年のリーダーズ・ダイジェストに載っていた小話だと言う。

ある上流階級の女性がロングアイランド鉄道に乗っていたところ、反対側の座席に見覚えのある貴婦人がいるのに気づく。どこかであった覚えはあるが、誰だったか思い出せない。相手も彼女に気づき、自分の名をよんで「こちらにいらっしゃいませんこと?」と声をかけてくる。
名前を思い出せないとは言えず、なんとかその場を取り繕おうと、彼女は兄弟のことを話題にしようとする。「そうだ、兄上は」これでなんとかなるだろう。「今何をしておいでです?」
「兄は今のところ、合衆国大統領をしております」セオドア・ルーズベルトの妹、ダグラス・ロビンソン夫人はそう答えた。

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また英国に戻り、「今のところ」英国首相をしているトニー・ブレア氏の話として伝えられるのはこういう内容。

ブレア氏がまだ野党の党首だったころ、ある国際会議で、どこかで見覚えがある女性と出会う。その女性はブレア氏に「どちらからいらしたのです?」と尋ねてくる。「私はトニー・ブレア、英国労働党党首です。あなたは?」「私はベアトリクスです。オランダから来ました」と相手は答える。
「どちらのベアトリクスさんですか?ご職業は何をしておいでで?」ブレア氏が尋ね返すと、相手は「女王をしております」。

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米国版「大統領」ヴァージョンはルーズベルトだけでなく、何人かの大統領近親の話として語られるそうだ。英国版にもローレンス・オリビエがダイアナ妃の妹と出会うヴァージョンをはじめ、さまざまな変種があるという。日本版ではうろ覚えだが、渋沢栄一か誰かが皇族相手に同じような失敗をした話とか、今上天皇が皇太子時代、お忍びで行ったご学友の家で、そこの家族からしつこく「苗字」を聞かれて困る話があったように思うが、それなんかこのバリエーションといえるのかもしれない。

これらの小話はすべて、王室とか上流階級、高名な政治家、有名人がらみの話として語られる。そりゃ当たり前で、これが八っつぁん熊さんの市井の人同士ならおもしろくも何ともない。出会った相手の名前や素性を思い出せず、気まずい思いをするようなごく日常的に共有できる心理と、その相手が持つ肩書きの大層さとのズレが生み出すユーモア感覚を狙ったもので、失敗をする側も有名人であればより効果的であり、この話が常にその時代の有名人を題材にして再生されて来たことがうかがわれ、そして今後もそうされるであろうと予測される。別の面からは「高貴さ」という概念が、卑俗なものにいったん貶められた上で、よりパワーをえてよみがえるという普遍的神話機構をみる事も出来るだろう。当然、そこでは「事実」かどうかなどは問題とならない。

医療業界で働いていると、VIPと接する事はなくても、「相手が誰だか良く判らないが、親しく声をかけられて、適当に話をあわせないと仕方がない」事態にはしばしば出くわすものだ。利用者の側からすれば、かなり特殊な状況で出会う相手だから、向こうも覚えているはずだ、と思うのも致し方ないが、残念なことにこちらはそれが日常なので、カルテなどを揃えて添付されない限りほとんど何も思い出せない、というのが正直なところだ。

もちろん中には一流ホテルのベルボーイのごとく、患者家族情報をきっちり頭にしまいこんでいる同僚もいるが、私なんぞにはとても真似できない。外科系の医師などには、顔は覚えていなくとも、手術の跡を見たらたちどころにどんな症例だったか思い出す、という人もいる。よく業界でささやかれる冗談に、顔では識別できないが、微妙な部位を一目見たら「おや、奥さんお久しぶり」という産婦人科医の話があるが、案外本当なのかもと思わせる。

知覚一般が固有の認知に結びつくには、その人のもつ記憶データベースとの複雑な参照作業が必要なのだが、そのデータベース構造自体は案外せこいというか、普遍的有用性には欠けるものであるようで、一目瞭然の社会的コンテキストに追いつかないことも多いようだ。上のような伝説的小話は、そうした「脳の限界」をしらしめ、人に謙虚さを求める道徳説話なのかもしれない。(2000/06/19)

以上の引用元は主にここだが、そこではビクトリア王朝時代のエチケット本から、上のような状況におちいったときどうすればよいか、というこんな実用知識を紹介している。「陽気な笑顔を相手に向け、ちょっとふざけた調子で言うのです。『自分の名前をお忘れになられた、なんてことはないでしょうね?』と」これ、ホントに役に立つかしら?

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都市伝説、と言うには少々一般的ではなく、ストーリー性もないのだが、医師の中である程度言い伝えられている、それほど根拠のない伝承がいくつかある。専門科別に様々あるのだろうが、内科系でよく言われるのは、悪性の血液疾患、白血病や悪性リンパ腫にかかる女性には美女が多い、と言うものだ。

これはまず、夏目雅子さんという、日本芸能界に20世紀後半に現れた女優としてはおそらく、最高峰に位置すると言っていい美女が白血病で亡くなられたという事実が、人々に「白血病=美女」という固定観念を植え付けた面がいくらかあるように思われる。もちろんそれ以前から、この種の病気が映画やTVドラマの題材によく取り上げられて、ヒロインには当代の美人女優が配されることが多いから、いつの間にか本当の患者も美人であるかのように勘違いしてしまうのでは、とも思うのだが、血液内科を専門とする友人に言わせると、そうではなく本当に美女が多いのだと。

(男性の場合はどうなのだ、と思われるだろうが、その場合はとりたてて何も言われない)

前にも言及したことのある、永井明氏の「僕が医者をやめた理由」に、永井氏がしばし呆然となるほどの美人妻が初診してきて、しかも重症の白血病であると診断されたばかりか、診察室で脳出血発作を起こし死亡する、という劇的な症例を経験する話がかかれている。たしか、その女性は「輪郭が紫色にかすんでいる」かのように見えるのだった。原本を本棚から見つけ出すことが出来ないのであいまいだが、そんな記述だったと記憶している。

悪性細胞による血管浸潤があるところに、血液組成の変化によって出血傾向をきたし、脳出血を起こしたのだろう。あわてて救命処置をする永井氏に、付き添ってきた夫が必死に取りすがってその名を呼ぶ情景が切なく描かれていた。さぞかし愛されていた人なのだろう。

私は学生時代、耳鼻科の臨床実習で、扁桃腺が腫れたという訴えの若い女性をみたことがある。たおやかな色白の、相当な美人の部類に入る人だった。どぎまぎしつつもそれどころではなく、病歴を取って、予診を済ませる。普通の炎症で腫れているのとはちょっと違う雰囲気で、私は教科書の図版をひっくり返して、一番似ていそうな慢性炎症を診断名として教授の前で告げた。教授はいつになく念入りに女性を見た後、別室に移って解説をはじめた。

いつもは学生の見当外れ予診報告に辛らつな事しか言わないのに、その日の教授は深くため息をついて、えらくしずかに語り始めた。いわく、あれは悪性リンパ腫だろう、君らの診断のほうが正しいことを私としては願いたいが、あの腫瘤の凶悪そうな顔つきがいけない。組織診断を待つしかないが、まず悪性であると思える。患者さん自身も顔色が悪いし、全体に重病感がある。それに…。

そう教授は言い出したが、しばらく言いよどんで、気を取り直したように一般的な疾患の説明をして、その日はお開きになった。多分その時、教授は「それに、あの人はとても美人だったろう」と言いたかったのだと思う。その女性が着ていた淡い色合いの服、流れるような長い髪の毛に半分隠れたうつむき加減のほの白い顔、「薄倖の美女」と言う言葉を聞くと、今でもその女性を思い出す。

その後、精神科という領域を選んでしまったので、私の中に悪性血液疾患=美女というような図式が確定することはなかった。時は移ろい、数年前、精神科専門医からプライマリケア医に近い立場に転向し始めたころ、こんな経験をした。

時間外外来に、30台初めの女性が「鼻出血」を訴えて受診してきた。宝飾品販売業を自営しているそうで、お得意を回っているうちに出血してきたのだと言う。背筋がぴんと伸びた、日本人としてはかなり大柄な女性で、品の良い、高価そうなデザイナーブランドのスーツに身をつつみ、仕事の看板をも兼ねているのだろう、控え目ながら趣味の良い宝石がいくつか印象的に使われている。かすかなフローラル系の香水が、キャリア風の中にも華やいだ雰囲気をうまくかもし出している。

止血処置ですぐ出血は止まったが、最近めまいや立ちくらみもあるとのことで、血算だけは調べることにした。出た結果が「白血球数32万」(正常値は9000程度が上限)というもの。細胞の大小不動、核の異型性も著しい、急性白血病の疑いとコメントされている。ありゃー、こりゃいかん。

ある程度本当のことを言わないといけないだろうし、鼻血を止める目的で立ち寄ったところで「白血病だからすぐ入院しろ」と言われてもすぐには受け入れ出来るとも思えず、「血液疾患」とあいまいに告げて詳しい検査を受けるよう勧めた。彼女はある理由で一人暮らししており、自宅はずっと遠いところなので、ここに入院するわけには行かないという。自宅近くの病院を調べて電話し、明日にでも受診して入院できるように手はずを整えた。

そんなに急ぐ必要があるんですか?ソバージュヘアーを持ち上げながら、病院ではいささか派手めに感じられるアイラインが幾分か不審げにしかめられる。わたくし、ゆえあって近親とは絶縁状態で暮らしておりますし、入院となると自分で処理しないといけなくて、明日と言われても困るのです。事業の都合もございます。わたくし自身がリスクを引き受けるのですから、判断は自分でしとうございます。

実は悪性疾患の疑いがあって、と仕方なく切り出し、多少のやり取りのあと、明日中の受診を約束させた。

2週間後、紹介先の病院から手紙がきた。かの女性は結局こちらの初診の10日後にそこを受診した。しかもその日、検査中に急変し、その日のうちに死亡したのだと言う。おそらく腹腔内出血を起こしたと思われると。手紙はさらに続き、患者の疾患理解が充分でなかったようだ。初診時の対応に注意を払われたい、と珍しく紹介側の私への非難めいた言葉が書かれていた。田舎病院が何も出来ずに押し付けたんだから、説明ぐらいちゃんとやっておけ、患者はことの重要性すらわかってなかったじゃないか、どういうつもりだ、という事らしい。

そう言われたって、こちらとしてはどうしようもない。悪性疾患である可能性は、ちゃんと説明しているのだ。彼女はそれを聞くと、「すぐに死につながることもあるのですか?」と尋ねてきた。最悪の場合ありえます、と答えると彼女は「わかりました。有り難うございました」と表情を引き締めて帰っていった。

多分彼女は自分の事業の整理とか、友人、近親者との別れとか、そんなことを10日の間にしていたのだろう。多くを聞いたわけではないが、彼女は自分の力だけで今の事業を成功させ、自分の生活を切り開いていた。重病だからという理由だけで、しかもとりたてて自覚症状にも乏しい段階で、医療側の言うがままにそれらを放り出すことなど出来なかったのだろう。結果論的にいっても、あの時すぐに入院して化学療法をはじめていても、延命は無理だったろう。彼女は短い人生の最後まで、自力で生きることを闘い取る道を選んだのだ。

さて、ここで私は彼女の服装とかアクセサリーについては書いたものの「容姿」については一切書いていない。これで彼女が絶世の美女なら、白血病には美女が多いという説の積極的な推進論者になったところだが、事実はそうではなかった。彼女はシガニー・ウィーバー2に片桐はいり8をくわえ、あき竹城と落合博満夫人を半分ずつ足した、と言う感じのいかにも意志の強そうな個性的な女性で、いわゆる美人の範疇には入らなかった。

しかし彼女の潔い態度と、短い話の中にもうかがわれた強い生き方は、神様が早めに手元に引き寄せたいと思うに充分な魅力だったのだろう。やはり「佳人薄命」なのだなと、のんべんだらりと生き続けてきている、何のとりえもない自分や家族の幸運を今も思う。(2000/06/21)

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まずこういうサイトの紹介からはじめたい。ここは昨年のはじめから開設されているのだが、ただひとつのネタだけを話題にした珍しい構成になっている。そこで扱われているのはある悲劇的な事件で、なかなか衝撃的な内容だ。

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ヘビに喰われた男
これらの写真は友人のいとこが撮ったものだ。彼は巡回伝道師で、ボルネオに行ったときこの出来事に出くわした。
ある男がジャングルに木を刈りにいった。昼食までに帰るといったが帰って来なかったので、村人が探しに行った。二時間後、村人たちは彼のシャツを発見した。そのそばには大蛇がおり、その腹が大きく膨れているのをみて、村人たちは、先の男はこの大蛇に喰われたのだと悟った。
彼らの疑いは、大蛇の腹を裂くことで確かめられた。大蛇の腹の中には、死んだ男がいた。撮影者はこの格別の写真をとる機会に幸運にも恵まれた。
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ここで紹介されている写真を見たい人は、決して愉快なものではないのを覚悟した上で、こちらをクリックしてほしい。3枚の小さな組写真が現れるはずだ。これだけでは物足らない人は、左フレームの"Picture"をクリックすればさらに詳しい写真が見られる。はじめに見られるものとちょっと違うような気がする。もともとこちらの方が先にアップされていて、はじめに見えるのは読者が後から送ってきたものらしい。

このオリジナルでない方の写真は昨年10月にこのサイトに掲げられ、以後あちこちに転載されて、それに付けられる説明文も数種類以上のバリエーションを生んでいる。 そして流れ流れて、いつもの引用元であるsnopes.comにたどり着いたときには、こういう話になっている。(ここは先ほどの写真が初めから現れるので、覚悟して開いてほしい)

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南アメリカのジャングルで3人の少年がキャンプをしていた。二人の少年が目覚めて、残りの一人がいなくなっており、大蛇がそばに横たわっているのに気づいた。最初の2枚の写真は少年がまだ大蛇の腹の中にいるもので、3枚目がその腹を切り開き、死んだ少年を示したものだ。信じがたいが、これを見るべきだ。
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ボルネオのジャングルから、南アメリカに舞台が変わっており、犠牲者はキャンプ中の少年と言うことになっている。他にはシンガポールというものもあるようだ。

Snopes.comの主宰者によれば、最初二枚の写真は数年前からあちこちで見られるもので、「ニシキヘビ」がブタを飲み込んだところとして説明されているものであるらしい。最後の写真はニシキヘビではなく、前二つに雰囲気を合わせて作られた、捏造写真だろうとされている。そもそも南アメリカにはニシキヘビはおらず、キャンプ中の少年がヘビにおそわれた、というような公式報道は一切ない、とのことだ。
Urbanlegend.abut.comの掲示板ではこの写真について、デタラメと言う決めつけはされていないが、ヘビの胃の中にいたにしては、犠牲者の着衣や皮膚がまったく消化されていないことが疑問だ、という指摘がなされている。

人を生きながらに丸呑みにする恐怖の動物、というイメージはこうしたその真贋が疑わしいような証拠であっても、様々なストーリーを形成するパワーを持つようだ。同じsnopes.comには「パームスプリングのゴルフ場で、ワニに食われたゴルファーの写真」と称するものが紹介されている。これはパームスプリングから遠くはなれたボルネオで撮られた写真のようだ。それ自体は本物のようで、気の毒な犠牲者はいたのだろうが、それをより日常に近い枠組みのなかに持ち込まないと納得できない人間の物語希求癖が、アメリカのゴルフ場にこれを持ち込んでしまったようだ。

このボルネオのワニの写真から啓示を受けた人間が、初めの大蛇の組み写真をより衝撃的なものに作り変えようとした可能性は否定できない。初めはつつましくボルネオを舞台にしていたのが、南米あたりまで出張してくるのも、すこしでも日常との連続性に現れてきてほしい人々の願いに答えようとしてのことだろうが、残念なことに大蛇ではなかなか自由が利かないようだ。でもその内、どこかで、逃げ出したペットの大蛇が赤ん坊を飲み込むような話として、必ずや衝撃的写真なども添えられて登場するに違いない。それは食物連鎖の頂点にたつとされる人類に、ある種の「赦し」を与えるイメージ、(と言って『こっちだってちょっと油断してたらエサにされちゃうんだから、そう傲慢なわけでもないんだよ』と居直る根拠みたいなものだけど)から発したものだからではないだろうか。

さて、大蛇に丸のみされる話題のついでに、「もし大蛇に襲われたらどうするか」と言う実用的な知識を紹介しておきたい。これは一番初めに紹介したサイトにもあり、例の「ダーウィン大賞」のサイトでも紹介されていた。何でもアマゾンのジャングルで働くアメリカの平和部隊員向けのマニュアル、とされている。

1.もしアナコンダに襲われたら、走ってはいけません。ヘビと言うものはあなたより足が速いのです。
2.地面に横になりなさい。両手をきっちり身体のわきにつけ、両足もきちんと揃えます。
3.あごを引きなさい。
4.ヘビはあなたの身体をつつきながら、のしかかってきます。
5.パニックになってはいけません。
6.ヘビはあなたの身体を調べた後、足のほうから(いつも足のほうから)飲み込みにかかります。
7.ヘビは足から胴体に向けてあなたを飲み込んでいきます。完全にじっとしていなければなりません。これには長い時間がかかります。
8.あなたのひざあたりまで飲み込まれた段階で、出来る限りゆっくりと動いてナイフを取り出し、足とヘビの口の間にナイフを差し込み、そこからすばやく上方にナイフをむけてヘビの頭部を切り取ります。
9.ナイフをちゃんと持っていることを確認しておきなさい。
10.良く切れるナイフであることも確かめておきなさい。

9.と10.を最後に持ってくるのはやはりネタ感覚なのだろう。本気にする人がいると困るので注記しておくと、アナコンダであれ、ニシキヘビであれ、大蛇は99%獲物の頭から飲み込む習性があること、それもまず獲物を絞め殺してから飲み込む、とのことだ。死んだ動物を見つけても、念のためたっぷり締めて、死んでいるのを確認するそうだ。(2000/06/29)

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バルチモア・サン紙、7月3日付けの記事より。

バルチモア郡在住の男性が独立記念日休暇でオーシャン・シティを訪れた際、しゃっくりを直すために友人が放ったパンチで死亡した。

被害者の母、ジェリ・アン・フィッシャーによれば、息子ジョシュア・トーマス・バーシェット(23)はビールをいくらか飲んだ後、しゃっくりを訴え、友人に胸のあたりを叩いてくれと頼んだのだと言う。

オーシャン・シティ警察は、バーシェット氏はアトランティック総合病院で死亡が確認され、検死解剖がおこなわれたと発表した。バーシェット氏と友人たちは金曜日の夜遅くまでビールを飲んで、通りで騒いでいたが、やがて彼がしゃっくりを訴え、友人の一人に、胸を殴るように頼んだとのことだ。

頼まれた友人は、いやいやながらやった様子だったと目撃者は語る。しかし、友人がバーシェット氏の胸を殴った直後、彼は歩道に顔面から倒れこんだ。友人たちは彼を近くのアパートに運び、すぐに救急車を呼んだが、病院に到着したときには死亡していた。

母親によれば、一家には心疾患の素因があり、少なくとも3名の男性が関連疾患で死亡していると言う。彼女の息子も胸部痛をしばしば訴えていたが、診療を受けたことはなかったと言う。「心臓病は前から家族皆の問題だったんです。」昨夜彼女はそう自宅で語っている。息子を叩いた友人はとても打ちのめされているとも。

「これはかなり珍しい偶然が起こした事故でしょう」警察のスポークスマンはかたる。「こんな事件は少なくともここ30年ほどのあいだ、聞いたことがありません」

バーシェット氏の隣人は、彼をよき友人だったと語る。「彼が死ぬなんて、自分の子供を亡くしたみたいなものだわ」
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なんだか無理やり書き伸ばしたような記事で、妙に被害者の人となりを持ち上げたりしているが、行間から「しょーがねーな、こいつら、ホント」という気分が立ちのぼっている。多分、不整脈発作が起こっていて、胸部を叩打する刺激で急に徐脈になり、意識消失、呼吸停止と不運なサイクルが連なったのだろう。誰かが冷静にCPRを行えば、死にまでは至らなかったかもしれない。

独立記念日前の休みで、すっかり盛り上がっていたらしい仲間たちは、パンチ→意識消失という劇的な事態を前にして、対応能力を失ってしまったのだろう。いずれにせよ、いやいやながらとは言え、乱暴な手段で人に親切を施そうとするときには、色々な結果について覚悟をした上で行うべきであろう。

この記事を読んだときに、どうもどこかで聞いたことがある、という感じがしていたが、「本」で紹介をしたことのある「あっ死んじゃった」(デビッド・P・ジョーンズ:飛鳥新社平成4年刊)を読み直してみたらこんなのを見つけた。

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デビッド・Dは、友人のしゃっくりを止めようと銃で脅していて、過って射殺してしまった。
                          <親切もほどほどにしなさい。>
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あまりに簡潔だが、今回の事件とほぼ同じ構造で(関係者のアホさ加減は数百倍だが)、訳者によって添えられたコメントもまったくそのまま適応可能だ。因果関係がそう明らかでもなく、偶然と言ってもいいのに、偶然の出来事の中にも「物語」を見つけ出そうとしてしまう、人間のサガにとっては、やはり等価なところが今回の「加害者」には気の毒ではあるけれど。

さて、親切心はしばしば愚かな行為の前提となることが多いが、その極めつけはこれだろう。

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(2000年5月、アルゼンチン発)アルゼンチンの警官が、清掃業男性の脚部をあやまって撃った。警官は拳銃でソフトドリンクの栓を開けようとしていた。ホルへ・セバロス巡査部長はコルドバ銀行の警備をしているとき、清掃係の男性から、ソフトドリンクの栓を開けてくれと頼まれた。栓抜きをもっていいなかったので、彼は自分の支給された拳銃の引き金部分で栓を開けようと試みたようだ。清掃係は足に障害がのこり、セバロス巡査部長には四万七千ドルの罰金が課せられた。
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瓶の栓を開けてくれと頼まれるぐらいなのだから、きっと皆から親しまれているお巡りさんなのだろう。でも普通、勤務中の警官は栓抜きなんか持っていないよね。創意工夫を凝らすのはいいが、拳銃を栓抜きの代用にしようというのはちょっとまずかったようだ。(2000/07/10)

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今月のダーウィン賞サイトに投稿されていた記事から。
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98年6月、マイクからの手紙。

僕の大学最終学年は、卒業研究とか、卒業資格検定試験だとかいった、決まりきった事柄で始まった。でも、2ヶ月前、それは大きく変わってしまった。君たちの中には、僕が巻き込まれた奇妙な事故の噂を聞いたことがある人もいるかもしれない。真実はこういうことだった。本当のことが知りたい人たちに、すべてをお話しよう。

最終過程が始まって2週目、物理学科の学生たちは進級記念パーティを開いた。慣例として、僕たちは零下196℃の液体窒素を冷却材にした、自家製アイスクリームをそこに出品した。その時、僕達は少量の液体窒素をテーブルの上にこぼしてしまった。液体窒素は小さいしずくになって、テーブルの上をダンスを踊るように跳ね回った。それを皆が眺めているとき、誰かが尋ねた。「何でこんな風になるんだ?」それには誰も答えられなかった。

いつもの慣例で、答えるのは僕の役目だった。蒸発した窒素がクッションとして働いて、しずくがその上に乗っているんだ。そのクッションはしずく全体を包み込み、熱伝導を阻害し、蒸発を最小限にする。それがこのしずくが沸騰して消えてしまわず、テーブルに染み込んでしまうこともなく、プールの水みたいに広がってしまうことなく、ダンスするように長く跳ね回り続ける理由なのだと。

そして僕は続けた。同じ原理から、湿らせた手を溶けた鉛に浸したりする事も出来るし、液体窒素を飲み込んでも平気なんだよと。少し昔のことだが、僕は低温物性の研究室で同じことをやったことがあり、その物理法則も良く覚えていた。

当然、周囲の連中はみな懐疑的だった。「そんなことしたら身体が全部凍っちまうぜ。ターミネーター2を見たろうが」しかし僕には自信があった。僕には経験があり、その背後にある理論も理解している。そこで僕は躊躇することなく液体窒素をコップに移し、口に入れた。簡単なことだ。飲み込む。鼻からは白い煙がふきだし、皆を驚かせた。

2秒後、僕は床に崩れ落ちた。呼吸が出来ず、激しい痛みを感じる以外のことは何も出来なかった。救急車が到着し、病院への旅となった。困惑するERのスタッフに何が起こったかを説明した後、僕は意識を失った。

翌朝、僕が目覚めたとき、僕はなにかピーピー音を立てている機械につながれていた。そこで納得せざるを得なかったことは、一般的な信念そのままに、液体窒素は飲む込むべきではない、ということだ。

引き続いて僕は液体窒素についていくつかのことを学んだ。液体窒素を口に含んで、口や鼻からスモークをはく芸当を安全にやることが出来るのは事実だ。しかし、絶対に、何があろうと飲み込んではいけない。閉じられた消化管の内腔では、蒸発したガスが逃げられず、圧が高まって内腔を直接圧迫する。消化管は中のものを圧迫するように出来ているから、表面に薄い保護膜が出来ていようと、消化管は直接液体窒素と触れたのと同じ事態にさらされるわけだ。

また僕は、自分の記憶に不備な点があったことも学んだ。液体窒素をつかった芸当を昔演じたとき、確かに口に入れはしたが、飲み込んではいなかったのだ。時が過ぎるにしたがって、ちょっとした芸と危険な行いとの境目はあいまいになってしまっていた。

僕の咽頭部から胃底部にかけては、重度の凍傷になっていた。蒸発した窒素ガスは胸腔に充満し、その圧力は肺虚脱を引き起こした。そういう風に説明された傷害に対して、夜を徹した手術が行われたとのことで、僕の胃の一部は切除され、消化器系全般は医学的管理下におかれた。肺機能が回復するまでの丸一日、僕は人工呼吸器につながれた。もう少しいやな体験もあったが、書かないほうがいいだろう。

医師たちは僕の回復力に驚嘆した。僕はすぐに自力で呼吸できるようになり、一週間程でベッドに起き上がれるようになり、2週目には歩行も食事も出来るようになった。8週目、たくさんの醜い傷跡を別にすれば、僕はほどほどに回復した。

そして、いいニュースだってあるのだ!僕は超低温物質摂取による傷害の最初の症例として、医学論文に載る事になったのだ。ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンをぜひ読んでほしい。三つの論文が今審査中で、そのうち刊行されることになっている。

僕のささやかな冒険は、僕に「ニトロ・マイク」というあだ名と、学部の会議で悪趣味な物理学的冗談を常に言われる傾向をもたらした。大学新聞にはこんな冷やかし広告が出た。「マイクもごっくん!元気一発!」
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この記事は本人よりの寄稿という体裁を取っているが、マイクという主人公とは別名の人によって投稿されている。どことなくサリンジャーあたりの文体を意識したような文章だが、それをうまく再現できないのが残念だ。

この文章からある程度知りえることは、米国の大学専門課程で最終学年を過ごしている学生の専門知識はきわめてレベルが低い、ということだろう。東大生時代、アイドル研究会なる活動で知られ、その後精神科医になられた和田秀樹氏は、受験に関する著書の中で、「アメリカの大学生がよく勉強するといわれるのは、それまでの学力があまりに低いため、頑張らないと仕方がないのだ」という意味の発言をしておられる(と思ったが別の人だったかも知れない)。当然、そういう風に付け焼刃で勉強した結果についても懐疑的で、日本の学生より実際的であるかもしれないが、それは目先の役に立つ、という意味でしかないという指摘もあったような気がする。

私の管見でも、アメリカの学者は日本なんか比べ物にならないほど「専門バカ」が多いように思う。単なる「バカ」でしかない人もいる。たまにびっくりするほど「知の巨人」という表現が似合うような人がいるのは事実だが、その割合はものすごく少ない。日本みたいにほどほど何でも知っていて、小器用な人がそろっている、という環境は特殊なものなのだ。

それはさておき、ここでいくら飲み込まなければ安全と書かれていても、液体窒素を口の中に入れるような真似は、どんなにその機会に恵まれようとやめたほうがいいと思われる。口の中をころころと液体窒素のしずくが跳ね回って、口や鼻からスモークが立ち上るというのは受け狙いとしては抜群の芸であろうが、「電撃ネットワーク」あたりに任せておく方が賢明だ。私もこれを読んだあと、病院でほくろ取りなどに使われた後、むなしく蒸発するに任されている液体窒素を持って帰ろうか、という誘惑に駆られかけたが、すんでのところで正気に戻った。

なお、マイク君の言う”The New England Journal of Medicine”の98年から現在までの記事には、彼の症例と思えるような報告はのっていない。こうした一例報告もので、メジャーな雑誌に三つも論文を書く、というのはちょっと考えられないので、最後の「いいニュース」というのは単なる間違いか、不幸の中にも学問の進歩に寄与できたという満足を求めたい、物理学徒のささやかな願望表現だったのかも知れない。それともこの話自体がフィクションなのか。

Medlineを検索すれば、13歳の少年が液体窒素を飲み込んで胃穿孔を起こした症例報告が2000年一月の”Pediatrics”誌に掲載されている。そこでは「この合併症はいまだ報告例がない」とされている。(2000/07/13)

Reference: Gastric perforation attributable to liquid nitrogen ingestion.
Pediatrics. 2000 Jan;105(1 Pt 1):121-3.

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7月上旬ごろから、snopes.comやurbanlegend.about.comの掲示板で、次のようなチェーンメールが話題になっている。いわゆるデマメールではなく、現実に行われている「動物虐待」(その内実は後で触れるとして)に対する抗議活動ということなのだが、社会的な問題への関わり方というものについて、いろいろと考えさせられてくれるものだと思う。

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今日の中国では、一万頭もの熊が捕まえられ、棺桶のような檻に閉じ込められて、胆嚢から胆汁を抽出されています。熊たちはみな金属の首輪をつけられ、棒で押さえつけられていて、体の中に埋め込まれた管から胆汁が常に抜き出されているのです。熊たちは体の向きすら変えられず、絶え間ない痛みを十数年間も強いられるのです。

私たちは、こんなに残酷で拷問にも似た野蛮な所業が続けられ、哀れな熊たちがそれにさらされることを、認めるわけには行きません。熊たちは檻にわずかに開いた穴から与えられる食物を手ですくい取り、喉の渇きを満たすため、舌をのばして檻の鉄棒をなめさせられています。彼らは耐えがたい苦しみを平均15年もの間強いられ、その間同じ姿勢をとらされるために骨は変形してしまいます。15年、それは180ヶ月であり、5475時間であり、131400分です。つまり78844000秒もの間、苦しみが続くのです。

そうして集められた熊の胆汁は、シャンプーの材料や、回春剤などの「奇跡的」薬効をもつ薬の材料として売られていきます。挿入されたチューブは熊の臍のあたりに固定されていて、胆汁を搾り出す機械につながれています。

熊たちの苦痛は想像を絶しています。熊は死を望んでいて、自分を傷つけたり、自殺を図ったりすることすらあります。

これ以上の情報はこちらを参照してください。

http://www.geocities.com/Baja/2324/index.html

この恐るべき「胆汁牧場」を今すぐ終わらせるために、あなたの名前をこのメール本文の後ろに加え、出来る限りたくさんの人に転送してください。

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これが紹介されている掲示板()では、誇張された表現への違和感や、事実関係との乖離が指摘されていて、実際に中国での熊からの胆汁採取への抗議活動が行われているのは事実としながらも(例えばこの記事などを参照)、このメールによる署名活動なるものはそれに乗っかったいたずらだと断じる意見すらある。

自然保護活動で知られるシェラ・クラブのサイトには、この胆汁採取目的の熊牧場についての詳細なレポートが掲載されている。レポーターは当然、この胆汁採取については否定的な前提で取材しているのだが、上のメールにあるような扇情的な表現を避けた、地道な調査報告となっている。

そこでは他の野生動物についても触れられているが、この「熊牧場」についての内容をかいつまむと以下のごとくだ。(1)胆汁採取熊牧場は主に中国南部で、1980年代前半から開設されるようになった。(2)漢方薬に使われる「熊の胆」を取るために、違法な密猟が行われ、熊の絶滅が心配される事態となったため、それを回避する目的があった。(3)熊牧場の実態にはかなり差があり、一部の牧場では虐待とも言えるような状況も見られたが、多くの牧場は衛生的で、一応の獣医学的管理の下で胆汁採取がなされている。(4)それでも、台湾の漢方薬局では天然ものの熊の胆が半非合法的に売られており、北米やカナダでの密猟が行われている証左となっている。(5)中国本土では熊牧場の認可を行う代わりに、密猟防止や、行政による熊の保護が行われてはいるが、問題点は山積している。

もちろん、いくら衛生的に獣医学的な配慮がされているからといって、胆汁を取られるためだけに飼育される熊にしてみればいい迷惑だろう。しかし胆汁を取り出すためのカテーテルを入れっぱなしにしていたら、感染が起こったりするはずで、そう長い間使えないと思うのだが、その辺はどうしているのか、上のレポートには言及がない。好意的に考えれば、何匹かの熊を交互に使い、癒着などで使えなくなったら自然に戻すか、動物園に売るなどするのだろうか。中国では、熊は臓器や肉を取る目的で殺すことが禁じられている野生動物なのだそうだから。飛ぶものは飛行機、四足では机以外は何でも食べるという中国人の食文化からすれば信じがたい面もあるのだが。

初めのメールや、えらく多幸的な動物保護運動を展開しているアジア動物基金という団体の主張、一生くくりつけられて胆汁を採取される悲惨、というのは判らないでもない。しかし、ビジネスとしてやるには確実性が要求されるだろうし、感染起こして採取した胆汁が使いものにならなくなったり、肝心の熊の健康を損ねるようなことにならないよう(胆汁をすべて搾り取っていたら、熊自身が栄養障害起こしてしまうだろうから、やはりほどほどのインターバルが必要だと思える)、かなり獣医学的配慮をするはずだと思えるのだが。

なにより、この胆汁採取が行われるようになったのは、熊の不法な乱獲による絶滅を防ぐ目的があったことを忘れてはならないだろう。情緒的な反応にもとづいて、熊牧場が閉鎖されるようになったら、「熊の胆」密売価格は跳ね上がり、それで喜ぶのは密猟者であるのは間違いない。

というわけで、上のメール内容は、一昔前の「反核署名」を思い起こさせるものだ。確かに絶対悪である核兵器に反対する、というのは正しいことだったのだが、現実にそれで危うい均衡が保たれていた冷戦構造の中で、一方的に核廃絶を(それももっぱら米国に対してのみ)迫ることは、あきらかに当時のソ連側勢力の最後の生き残り戦術に組する、かなり粗忽な(もしくは意図的な)政治活動であったことは間違いないところだ。

絶滅の危機に瀕している野生動物を守ろう、と言う意図はご立派であるにしても、熊と人間が同じ地理的条件で共生することは不可能なのだから、その手段は棲み分け条件をどう確保するかと言うことに絞られるわけだ。一部の熊さんたちにはまことにお気の毒だが#、中国のやり方は、彼らを密猟からまもるそれなりの有効手段なのではないかと思える。少なくともアジア動物基金が提唱し、ささやかに実行しているような、サファリパークまがいの保護区を作るようなやり方が、彼らを種として守ることにつながるとはとても思えない。シェラ・クラブのリポートには、そうした施設の実情が、胆汁採取牧場以上に非人道的(非熊道的かな?)な環境として批判的に描かれているので、関係者は熟読されるべきだと思う。

なお、「熊の胆」として知られる熊の胆汁は、漢方薬をはじめ、様々な健康食品や化粧品の類にまで利用されているようだ。先のアジア動物基金などは植物からの抽出物に転換するようメーカーに働きかけているようだが、それこそ中国四千年の歴史がはぐくんできた伝統を、西欧的感覚からの批判ごときでかえられるとは思えない。ここなどを読んでみると、生きた動物の胆汁であることにその薬効の秘密があるともされていて、安易な転換が可能とは思えない。もっともそのサイト記事では熊でなくても、牛の胆汁でも充分効能があるとされている。熊から取るのはかわいそうで、牛ならいいのか、と思われるだろうけれど、西欧的動物愛護活動家ならそれでよいと言うに違いない。

#初めのメールがやたらに「苦痛」を連発しているので少し言及すると、胆嚢の手術を受けた人はこのカテーテルをしばらく入れられた経験があると思うが、そんなに持続的痛みがあるようなものではなかったはずだ。問題は不潔にならないように固定するやり方で、身動きできないようにしてしまえば簡単かもしれないが、それでは熊の健康状態をうまく維持して効率的胆汁採取につながらないように思う。

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この一連の「都市伝説」記事は「解剖学教室の高額バイト」から始めた。病院の広報サイトの埋め草のつもりだったので、記述は素っ気なく、そういう噂は下火になってきている、などと根拠もなく断定している。次第にネタ詰まりになって、長文でごまかす傾向の目立つ、その後の記事とは大違いだ。

実際は読者の方から頂くメールでは、これに関する反応が一番多い。ほとんどが、「私の知っている**さんが学生時代にこのバイトをやっていたと聞いた。ウソである筈がない」、というものだ。「**さん」のところには塾や学校の教師、友人が入るのだが、中には「某女優が『徹子の部屋』の中で、これをやったと言っていた」、だからウソであるわけがない、という実にgloomyな調子のメールも頂いたことがある。その女優は私も好みのタイプで、そんなことを言い出すのが意外とも、まぁあのサービス精神なら、怪しいネタでも駆使してその場を盛り上げようとするのも当然だろうとも思えた。

そういう感想とも詰問ともつかないメールを頂くたび、自分の知っている範囲で、解剖学実習がどのように行われているのか、と言うようなことも含めて返事を書くようにしているが、あまりに信じ込んでいるようなメールには面倒なので、断定的に「そんなことはどこの医学部、病院でも行われていない」と書くだけにしている。おそらくあなたの友人なり、先輩は別の人から聞いた話を自分の体験といつのまにか同一化してしまい、より豊かな追憶を得られた方なのでしょう。それはそれでうらやましい体験と言えます、などと。懇切丁寧に書いてもどうせ、「こいつがすべての大学や病院のことを知っているわけがない」と元の確信に戻るだけなのは間違いない。

海外の都市伝説サイトでは、イタズラがらみとか、行方不明だった親の死体を知らず知らずに解剖していたと言った解剖ネタは結構あるが、高給バイトが存在すると言うのは見たことがない。やはりキリスト教がらみで土葬することが多く、死体をきれいにエンバーミングする技術にあまりネガティブな意味合いがないからだろうか。日本における差別問題なども考えに入れないと、この問題には答えが出ないような気がする。

たとえば、公営であっても、火葬場で働く作業員に、特別の待遇があるのだ、とするような噂話をあちこちで聞いたことがある。単なる公務員のはずなのに、彼らには日中から飲酒の許可が下りているだとか、市長よりも高い特別手当が出ていると言うような噂である。そしてそう言う噂には必ずと言っていいほど、「差別」の影がちらついているものだ。そういう古典的な差別意識を、手当ての額や特別扱いの問題に脱色して、日常意識から排除しようとする、暗黙的な意図を私は感じてしまう。

人は不安定な領域にある対象に、「お祓い」の呪術的作用を期待して「ご祝儀」を出すのだ、というのは経済人類学者の栗本慎一郎(判っていたとは言え選挙残念でした)の意見だ。まだちゃんとした社会的存在になっていない子供が落とし玉を貰ったり、家庭を作ったたばかりで不安定な新婚カップルに人が祝儀をはずむのは、そうした呪術としての経済行為であると言う。栗本はさらに、経済そのものが必要に迫られた物々交換から進化したと言うような物ではなく、あくまで呪術がそのスタートなのだと言う主張をするのだが、ここではそこまで触れる余裕はない。

死者がある時期留め置かれる、解剖過程にかかわる者には、たっぷりと「お祓い」=「支払い」がなされているはずで、その舞台立てもそれなりに神話的混沌を体現しているに違いない、という呪術的期待があの高給バイトとホルマリンのプールの伝説を生み出したのだろう。実際の解剖教育は、現代医学にかかわるものの基礎的素養になっていることは認めるものの、どのような意味でもトピックの分野に出てくることはない。したがって、その即物的な実態が積極的に解剖学教室から一般に発信されることがないから、伝説のカスミがいつまでも解剖の周辺にたなびきつづけるのだろう。(2000/08/15)

噂話言いっぱなし、というコンセプトらしいここなどをみると、この伝承が脈々と生き続けているのが実感できる。

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前回、「死体洗い」伝説を再度取り上げ、反響が最も多かったと書いたが、二番目はこれだった。正確に言うと、実際にメールをいただいたのはホンの数通なのだが、別サイトの掲示板などでここの記事を引用しながら、「でもあれは本当なんだ」と言われているのを再々目にしたものだ。アホらしいので、そういうのに反論したことはないけれど。

メールでの指摘や、そういう掲示板発言のほとんどが、専門家などがこれを見たといっていた、と言うものだ。本にかかれている、ラジオで経験談を語っていた、友人が見たことがあると言っていた、と。「誰かが言っていた」からとその内容を信じ込む、と言うのは伝説伝播にもっとも力を与えるものだ。そういう掲示板で一回だけ、「オレは自分で体験した」と主張している発言を見たことがあるが、それはいわゆる「膣けいれんで離れなくなる」ということとは関係がない、妙に反応性の強い女性と関係してびっくりした、というだけのものだった。無関係な体験を、無理やり別の筋書きにあわせて主張する、というのも伝説強化言説の重要な部分になるようだ。

2度目の記事でも書いたように、医学関係者でもこのうわさを信じ込んでいる人は多い。私も実はある時まで信じていた。メールで教えていただいた、ラジオである医師が語っていた経験談というのは、きわめて定型的なものだった。あるホテルの嘱託医として、不倫男女が離れられなくなっているのを往診した、というものだ。「筋弛緩剤」を注射して事なきを得たというのだが、どの程度の薬物をつかったのだろうと考えると、つじつまがあわない部分がでてくるように思う。ペニスのようなものを挟みこんで引き離せない、と言う強烈な筋けいれんが、例えば一般的な安定剤であるジアゼパムぐらいで改善するものだろうか。なにしろ、骨も歯もないのだ。動物の運動パワーというのは、筋肉と骨格がテコの原理をうまくつかうからこそ発揮される。筋肉だけの力など知れている。それがこの伝説の場合、粘膜周辺の筋肉だけの力でそうなるとされるのだから、よっぽど凄まじい筋固縮が起こってると考えるしかない。

ジアゼパムだって静脈注射しないとまずけいれんに即効しないが、結構な運動の後、まずい事態に長時間さらされていた女性の身体には、それでも負担だろう。呼吸停止するぐらいのことはあるかもしれない。まして、話の前提である強烈なけいれんということなら、バルビツール剤をつかった上で入眠させ、完全に筋弛緩を得られる薬をつかうしかあるまいと思われる。それなら完全に呼吸も止まる。往診先に気管内挿管の準備でもしていったのだろうか。そんなことをする必要がなかったというなら、きわめて都合がいいけいれんだ。疾患としての一貫性がまるでない。いや、往診先で気管挿管の上、筋弛緩させ、数分間人工呼吸していたのだ、というならその大胆さに頭が下がる。

ある都市伝説系サイトの掲示板では、「私はある法医学者の本で、このけいれんは結構あると言う記事を読んだ」という発言が、事実か否かの論争を終息させていた。でも、なんで法医学者なんだろう。法医学者が相手にするのは主に死体で、生きて性交をしている人など普段あいてにする事などあるまいと思われるのだが。前にも書いたが"Vaginism"(膣痙)と呼ばれる病気は確かにある。それは性交時に膣周辺の筋肉が引きつって痛みを発し、うまく行為が行えない状態をいう。ペニスをくわえ込んで離れなくなるような痙攣のことを言うのではない。大体、膣の収縮に関係する筋肉は直接的に作用するものはない。たとえば膣括約筋と言うようなものはない。骨盤腔を形成する外・内閉鎖筋、恥骨筋とか、周辺の殿筋や大腿関連の筋肉、それと外肛門括約筋、肛門挙筋などが協働して膣内圧を作っている。膣入り口には球海綿体筋というのがあるが、これはきわめてか細い筋肉だ。とても人力が及ばないような力は発揮しようがない。

もし伝説のようなけいれんがあるなら、こういう会陰から骨盤内腔を形成する筋肉が皆けいれんしていることになる。ある種の部分てんかんでもあったら、そういうけいれんが起こる可能性がないとはいえないが、一部の筋肉は神経支配も異なるし、まことにもって不可思議な事態と言うしかない。例えばお尻の回りがけいれんして、どうにも排便できないようなけいれんだって、同じような確率で起こってもいいことになるが、それこそ聞いたことはない。面白おかしい事態を引き起こす病気だけが存在する、と言うのはまことに妙だ。

最近ここのサイトをあちこちで紹介していただいたりすることがあって、まことにありがたい事ではあるのだが、ほとんどの場合「うわさ話を医学的に検証する」というような、なんだか「啓蒙的」スタンスのサイトであるかのように書かれてあったりして、ちょっと残念な気分もある。どこが違うのだと言われてもうまく言えないのだが、こちらの趣旨は、「人は多元的な現実を生きるものだ」と言うことを色んな例で示そうと言うもので、決して「デマ話にのせられるな」と言うことではないつもりなのだ。けれど、どうもことこの話題になると、妙に「啓蒙的」な姿勢になっているのに気づく。おそらくそれは、この伝説の基底にあると思われる、男性一般が持っている女性への神話的畏れと言う奴を、私自身があまりうまく処理しているとはいえないからだろう。ちょっとムキになって否定的論拠を並べてしまったのが、ちょっと大人げないと思われてもしかたない。女性の体内にしかけられた神秘的トラップというものを信じておくのは、世の人々の放埒を戒める道徳的警告として、日常生活になまめかしくもスリルあふれる体験を創造するのに、結構有効なものかもしれないのだから。(2000/08/25)

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当サイトの掲示板に、こういう記事を東京工業大学出身の方が投稿された。原文をそのまま引用する。
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わたしゃ東工大の出身者で、そこでいわれてたいかにも都市伝説っぽい
話があるのですが。たぶん東工大だけじゃなくて、全国の工学部や
電気系研究所とかであるとおもいます。

それは、電気系の研究をしてると子供ができても女になる、というものです。
精巣を電磁波でやられる、というのがまことしやかな理由でしたが。
これに関するちゃんとした統計とかってあるんですかねえ?
思い浮かべれば、そういえばあの先生も先輩も娘さんだなあ、とか
思い付くあたりが、いかにも都市伝説っぽいので。
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それには「子供が出来ない」というバリエーションのフォローもあった。私自身、これの変異系は何種類か聞いた事がある。すべて掲示板に書き込んだが、しつこく繰り返すと、まず放射線科の医師や技師に同じようなことがよく言われるというのが一つ。

人間の場合、個体の性は23対の染色体の23番目(別にこの順番に数えることもないのですけど)がXXの組み合わせになるか(この場合女性)、XYになるか(当然男性)で決まるのだが、X染色体とY染色体では後者の方が出来そこないというか、構造に脆弱性があるため、それをもっている精子も脆弱なのだ、という仮定がそこにはある(それが正しい保証はない、というかまず間違っていると思う)。もともと脆弱なぐらいだから、電磁波とか放射線には弱く、Y染色体をもつ精子の割合が減ってしまう、と言うものだ。

(はじめ、『染色体』を『遺伝子』と誤って書いたばかりか、46番目の遺伝子で性が決まるなどといいかげんなことを書いていた。ここに謹んで訂正させていただく。指摘をいただいた方には感謝したい。(09/10))

人類学をやっている知り合いから聞いたのは、「フィールド調査が多い人類学とか民俗学研究者には女児が多い」というもの。なんでも禁欲期間が長くなるので、脆弱なY染色体は生き残れなくなり、結果として女児が生まれるのだという。文科系の知り合いからは、「文科系研究者はスケベが多いので、女ばかり生まれる」と言うのも聞いた。これはもしかしたら、単にスケベには女の子が生まれる率が高い、というだけのことだったかもしれない。たまたま知り合いの文科系研究者にはスケベしかいないので、それが彼らの共通項なのだと思いこんでいるだけかも。この場合の理屈は、連中は性交時間が長いので、女性の体内PHが上がるか下がるかして、Y遺伝子にはきびしい条件になる、というものだった。理屈めかしているものの根拠はないのだが、そういわれてみれば研究職についているような友人には女の子が多いな、というような気がするのが面白い。

これも掲示板には書き込んだことだが、同じような伝説で、生物学的な理屈付けではない伝説を私は経験している。それが表題の「乙女ヶ池の呪い」である。

もうふた昔ちかく前のことだ。私はある自治体病院に勤務していた。そのあたりは風光明媚なところで、近くには大きな湖があり、それにつながる内湖に囲まれた古城跡地にその病院は建てられていた。その敷地内には医師官舎が10軒ほど建てられていて、下っ端医者達はそこをあてがわれて生活していた。今考えるとほとんど災害仮設住宅みたいなつくりだったが、まだ若かった我々には充分な設備で、形式だけの家賃といい、実にありがたいものだった。

病院のある町は中世からほとんど人口が増えていないようなところで、緊密な日本型共同体が十数代以上も維持されている。三代前に住み着いて商売を手広くやっている、というような家でもよそ者なのだ。人々はほどほどに時代に適応した新しい生活形態も取り入れつつ、先祖から受け継いだ生業を維持している。例えば病院の運転手さんは、地元代々の料理旅館のご主人で、病院の飲み会などはほとんどそこで行われる。事務長はお寺の住職で、職員達は業務の際は「事務長」と呼ぶが、ついでに法事の相談をはじめたら「御前様」と言い換えるのだ。

そんな共同体の中、医師官舎住民だけは異質な存在だった。地元の人も、祭礼の寄付区割りだとか、子供会の組織(こういうのも地蔵盆の地区割りなどと関わるので、学校だけの問題ではない)には困ったようだ。そこが結構気に入って数年以上いる医師達がたまたま重なったこともあり、地域の共同体とは微妙な軋轢が生じることがあった。

そんな中、ささやかれていたのが「官舎で生活していると女の子しか生まれない」という噂だった。実際、私の三年前から来ていた外科医には三人続けて女児が生まれ、四人目が出来たとき、ご祈祷までしてもらったかいもなく四人目の女児誕生となった。古手の職員は「設立以来三十二人連続女児が生まれている」などと教えてくれた。私自身、連続三十二人の伝説をさらに二人分強化するのに寄与したのは、掲示板にも書いた。

病院前にある散髪屋の娘は、地区の噂話と医師達のゴシップを媒介する双方向インフォーマントであったが、その人が教えてくれた話はこういうものだった。病院を囲む内湖は「乙女ヶ池」というのだが、それは昔病院が建っていた場所にあった城の伝説から名づけられた。その城はある小藩の出城だったのだが、軍事行政目的というよりはある別の目的にもっぱら使われていた。それは戦に負けて滅ぼされた一族の姫君を幽閉する、という用途だったのだと。男児は容赦なく斬罪に処しても、姫君ぐらいなら幽閉で済ませようという情け心が働いたのだろう。ふつう尼さんにしたのではなかったかとも思うが、それではちょっと不安な対象もいたのだろう。

幽閉された姫君たちは、滅びた一族の不運を嘆きつつ、命を助けられた幸運も意識せざるを得なかった。無為に湖面を眺める生活のなかで、戦が生む悲劇が少しでも少なくなるよう、この地に生まれてくる子供が女の子ばかりになるようにと祈りつづけたのだという。多少話しに無理があるような気もするが、おおむねそんな内容だった。

ふた昔ぐらい前、しかもほとんど僻地の町というと、医師の社会的地位がそう根拠もなく、そこそこ尊重される時代で、今みたいに単なる特殊熟練労働者扱いだけでない特別対応がそれなりにあった。先の共同体のしきたりにまつろわぬ集団的無礼さなども、なんとか許してもらえていた。旧来の町民達には、この噂話は恰好のうさ晴らしというか、精神的バランスを取り戻すものとして機能したことは間違いない。医師たちには、ホントはあんまり貢献しているわけでもないのに、ちょっと大事にされすぎているかな、という後ろめたさへの害のない神話的しっぺ返し、として機能していたと思う。

先年、この病院に久しぶりに訪れる機会があった。そこは改築され、前のオンボロとは比べ物にならないモダンな病院に変身していた。そもそもその町自体、新興住宅地開発が進んでいて、かっての中世集落の面影は、ほとんどなくなっているのだ。かの「乙女ヶ池」は完全に埋め立てられ、駐車場になってしまっていた。官舎はマンション風集合住宅に立て替えられ、出来た跡地にはこぎれいな公園が作られていた。そして、その公園では、小さな男の子たちがいっぱい遊んでいた。(2000/09/04)

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