更新日記
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2002/11/30 |
有名サイトになると、自分の書いたものが、他人のサイトでパクられることがしょっちゅうあるらしい。自己表現が巧みで、普遍的な(もちろん、月並み、というのとは違う)ユーモア感覚をもった文章をつづれる方だからこその悩みなのだろう。私なんかの文章では、立場にそこそこの特殊性があるので、いろんな人に自分の体験として騙ってやろうとは思われないだろうし、それ以前にまずパクる程の面白みがないし、そもそもそんなに読んでる人がいない。
もっとも、「医学ジョーク」が2chなどで、そのまま流通しているのを何度か目撃したことはあるが、あれはもともとがパクリだからね。私のオリジナリティは、訳した、という点にあるだけ。しかも、出典サイトに断りを入れたことなんかない。もっぱら、自由に転載していい、と書いてあるところから持ってきたものがほとんどだけれど。
実用性とか、知識や論理展開の巧みさなどで感服しているサイトはいくつかあり、いろいろと参考にさせてもらっている。しかし、日常性の中から、それを微妙に突き崩すような発想をうまく引き出している文章というのは、ネットでなかなかお目にかかれるものではなく、私の乏しい巡回先では先のサイトと、殊能将之のところ(プロだけど)ぐらいだろうか。ReadMe!あたりで上位に来ているサイトの多くは、正直言って何が面白いのか、私にはさっぱりわかりません。
主宰のそねさんにおかれましては、日記の文章をパクられるということは、才能や取り柄に恵まれぬ気の毒な人々に、つかの間の変身という至福体験を施すことができる特殊能力の証明なのだと割り切って、今後も更新をつづけていただきたいとおもう。あ、本のほうは買っていません。ごめんなさい。
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2002/11/29 |
書くことがないときのネタ元、悪趣味系ニュースサイトのrotten.comで紹介されていた記事。「日本では小便の成分をスキンケア製品につかっている!」という内容。何も知らないどこかのバカ毛唐が、無教養なホワイトトラッシュ向けに、タブロイド新聞かなにかに書き散らしたクズ記事だろうと思ったら、なんと英語版毎日新聞の記事ではないか。書いた奴がバカ毛唐であるのは間違いないが、英字版とはいえ、毎日新聞がそれをそのまま載せるかねぇ。
尿素は保湿力があり、角化した皮膚を軟化させる作用もあるので、皮膚乾燥症にはかなりの効果がある。TVコマーシャルするような市販薬だって、「尿素配合」を堂々とうたっている製品が数多くある。もちろんそれを使うのは世界共通で、日本だけで使われているわけでもない。それに、尿素といったって、わざわざ小便から抽出するようなコストがかかることをするわけがなく、人工的に合成するのである。ちなみに、尿素は人類が初めて無機物から合成した有機物として有名である。19世紀はじめのことだ。
記事は週刊新潮12月5日版からの引用として、「尿からの抽出物=尿素」の不思議な効能と、使用の際の多少の注意について専門家が説明したのを恣意的にとりだす形になっていて、「尿からの抽出物」といったかと思うと「安価に合成される」という矛盾した書き方になっていたりする。その上、尿素単独ではなかなか皮膚乾燥症を根絶できないという専門家の意見を、なにか日本のスキンケア製品業界がインチキ商売をしているかのような誤解を生む表現でまとめている。
英字版毎日新聞はどうも、とんでもないインチキ野郎にカモられているようだ。何とか英語を書き綴れるというだけの、食い詰めレッドネックがもぐりこんでいるのをチェック出来ないようでは、本家も程度が知れたものといわれても仕方ない。
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2002/11/28 |
この前写真屋で、似合いもしないスーツやら、ひらひらドレスをきたクソガキの群れを見たとき、なにかアイデアが浮かんだような気がしていたのだが、今日になってやっと形になった。それは、「日本にハロウィンを定着させるなら、七五三行事と組み合わせればいい」と言うものだ。
季節的にも重なるし、成長の節目にありつつ、なお存在基盤の弱い子供たちにお払い=支払いをすることで、共同体の安定を得るという構造は、そのままハロウィンに転用可能である。関東周辺地区ではあの行事が妙に肥大化して、ホテルで結婚式なみの披露宴みたいなことまでする。その一点豪華主義がなんとなくビンボーくさいし、うちわのせこい見栄だけに、あの行事を押し込めておくのは、子供の成長に寄与するものとも思えない。
大き目の千歳飴袋を持たせて、子供たちを"Trick or Treat"と街に回らせればいい。おさまりのいい訳を考えたが、今のところ思いつかないのでこのまま。はじめは今みたいな画一的正装でもいいが、地域住民の多くがおひねりやお菓子のプレゼントをするのが定着すれば、必ず差別化したがる親が出てくるので、ハロウィン式扮装に至るのは必然であろう。
なんなら、「欽ちゃんの仮装大賞」あたりがバックになって、子供の部の地域予選をかねることにでもすれば、すぐに特定年齢のものだけではなくなるだろう。街頭でそこそこのパフォーマンスをしめすことを幼いころから要求されれば、必ずや人格形成にもプラスになるのではないか。
以上、結構真面目な提案である。
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2002/11/27 |
25日の夕方に大阪に到着。研修会場ちかくのホテルに向かうが、地名は聞いたことはあるものの、どうやってたどり着くのか確かめていなかった。とにかく環状線に乗ればいいと乗り込んだはいいが、JR路線図にはその地名の駅がない。ところが身体のほうがその地名を覚えていたらしく、乗換駅直前で「あ、ここで近鉄に乗り換えるんだった」と気が付くのが不思議。
10何年ぶりかの大阪は、小雨のせいもあったのか、妙に哀愁ただようシックな街に見えた。人々がみな関西弁をしゃべっているのも、何かエスプリあふれる外国語のように聞こえる。とても自分が普段使っている言葉と同じとは思えないほどだ。郷愁からきた錯覚なのかもしれないが、えらくなごんだ気分になってしまう。よく言われるほど、大阪の人の歩行速度は早くもなく、むしろJRや私鉄の切符自動販売機の反応がすべて一呼吸遅れるのが、イラチの関西系関東人には当惑である。
その日は昔の友人夫妻と会い、黒門市場で河豚料理をたいらげ、法善寺横町の水掛不動にお参りしたあと、近くのバーで大酒のみ。織田作之助がひいきにしていたカレー屋というのも考えたのだが、すでに閉まっておりました。織田作之助といえば、太宰治と一緒にいったバーもこの辺にあるはずだなどと騒いでいたら、店の人に「有名な写真のおかげで混乱しておられる方がおおいのですが、あれは銀座のバーです」といわれてしまう。
翌日は二日酔いにもならず、ほぼ夕方までびっちりと日程の詰まった研修に。厚労省の技官がだらだらと続ける建て前だけの下らん講演を聞いているうちに意識が遠のき、二時間ほどゆっくり夢の世界にトリップできたのは幸運だった。私には講義とか、講演、会議というような席で、アカシジアが出現するという業病に侵されているので、こういう強制的な場でないかぎり、そういうものには出ないのである。もっとも、この日のように、ほぼ同じ状況で出現する場面性ナルコレプシーにも罹患しているらしいので、なんとかひどいことにならずに済んでいるのだ。
いくら法定の研修だからとはいえ、あれでは運転免許証の更新セレモニーのほうがまだましである。このまえの時はけっこう役に立つ話を聞いたのだがなぁ。前夜の河豚がうまかったから、それでよしとしようか。
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2002/11/24 |
あさって、精神保健指定医資格なるものの更新のために研修会に出なければならないことになっていて、何が必要なのかと確かめたところ、新しい指定医証にはる写真をもってこい、と書いてある。いつもの格好では、サラ金強盗の指名手配写真になってしまうので、ネクタイなんかしめて写真屋を訪問する。自動写真というのはやたら凶悪な人相に写るので、ちゃんと撮ってもらうほうがいいと思ったからだ。
ところがなんとこのあたりの写真屋には、この季節、七五三というわけのわからん行事のため、似合いもしない小奇麗な服を着せたクソガキどもがあふれていて、受付のババアまでもが居丈高である。免許用の写真なんか撮っていられないというので、結局スーパーの自動写真を使う羽目に。ジーンズに上半身だけ背広にネクタイという、妙な格好でウロウロして、平常心を完全に失っていたので、とてもこの世のものとは思えぬ出来上がりに。
4枚続きになっているのを切り離すときにも失敗し、どこにも平行な辺のない四角形になったのもまずかった。よっぽどのことがないと人に見せるものではないので、かまわないとは言えますがね。研修会は大阪なので(もちろん東京でもあるのだが、のんびり申し込んだら定員が一杯になって大阪に回されてしまった、というわけ)、前日から行く必要があるので、ここは二日間お休み。
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2002/11/23 |
暮れ正月休みの確保という思惑が錯綜し、ここのところ当直ばっかりやっている。することもないので、職場で廃棄処分になったパソコンを分解して貯蔵してあったパーツを組み合わせて、Linuxマシンを組む、という作業でひまつぶし。
中古パーツ屋で買ったPentiumIIIと、ちょっと型落ちのマザーボードと、例の米軍ゲームをやるために買いかえて余ってしまったビデオカード、それに安物ケースという総予算2万円以下の組み合わせ。残りの部品はすべて廃棄PCから回収するのだが、これがまた見もの。病院というところは、昔からの事務用品納入業者がそのままPCなどを扱っていることが多いので、ぼったくりのいいカモになっている場合がほとんど。買う側以上に、納入側に知識がないのだからどうにもならない。
事務用にエクセルとワード使うぐらいなのに、AV対応なんていうような無意味にハイスペック(数年前の)なPCが入っているのだけれど、それでもHDDは2Gぐらいしかないし、RAMもこんなにチップがくっついているのに32MBかよ、と思うのはこれ時の流れがなせる技。最新最高機種なんて、絶対に買ってはいけないということの証左であろう。
ハードは難なく起動し、雑誌についていたLinuxをインストールして、KDEというデスクトップ環境が走ったのはいいのだけれど、KDEデフォルトのブラウザであるKonquerorたらいうので自分のサイトを見てみると、メニューがさっぱりクリックに反応してくれない。どうもスタイルシートにも対応していないようだし、なんだかどうも変。仕方なくMozillaをKDEから一発で起動できるようにするのに、午後いっぱいかかってしまった。途中でバージョンアップもしようと欲張ったのがいかん。マニュアルは読まん、という意地も問題。
おかげであっという間に一日がすぎてめでたしめでたしではあったもののの、そんな風にクライアントとして使おうとおもって組んだわけではないのだった。ちょっとC言語の勉強をするとか(どうせ"Hello, Computer!"を表示させて終わり、というのは目に見えてますが)、DNSサーバーの設定なんかするつもりだったんだよね。最近本も読めないし、ちょっとはそちら方面の勉強でもしようと思ったのに、これでその機会が当分失われてしまった。
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2002/11/22 |
高円宮ご逝去のニュースを聞いて思うことは、どんな人にも死は平等に訪れるということと、先端医療だの、予防医学だののゴタクは、所詮人に気休めの幻想を与えるだけだということ。
食生活の管理とか、日ごろの身体チェックなどは万全であったろうし、その上、スポーツにも熱心とくれば、医者が腕の悪さを誤魔化すときの常套句、「どうしてもっと早く受診しなかったんですか。もっと自分の体のことを考えないと」という奴も通用しない。
それだけの健康管理をしていても、致命的疾患は起こるし、しかも発症後すぐに大学病院に運ばれ、人工心肺まで持ち出して先端的治療をしてみても、ダメなときはダメなのだという、国民にある種の範を示されたという点で、まことに皇族としての公務を最期まで貫かれた人生だったといえるのではないか。
そこここに書いてあるような、早すぎる死をおもうと云々などというのは、ノブレス・オブリージュを誠実に生き抜かれた宮様には適切とも思えず、ましてオチで終えるのも不敬なので、ここで唐突におしまい。
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2002/11/21 |
urbanlegend.about.comの掲示板で、「キッコーマンが新しいコマーシャルキャンペーンをやっているのを見つけた」といって、こんなフラッシュ動画が紹介されていた。2chのモナー板に集まる連中の作品のようだが、向こうの連中は本物のCMと信じて、その奇妙なテイストを味わっている様子。これでは文化ギャップは広がるばかりと、つい真面目になって解説を投稿してしまった。
けったいな英語はしょうがないとして、「そんなことあったりまえだろうが。誰があれをホントのCMだとおもう?」なんて言いかえされたらどっと落ち込んでしまいそう。
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2002/11/20 |
9月9日付けで紹介した、「天才と分裂病の進化論」に書いてあった、オメガ3系必須脂肪酸エイコサペンタエン酸(EPA)を分裂病類縁疾患につかうというのを、保険医療で許される範囲内でやってきて、すでに二ヶ月以上。せめてあと一ヶ月程度の観察期間が必要とは思うものの、大体の効果イメージはつかめてきたようにおもう。
先に紹介した本の著者、デビット・ホロビンはせんじつめると、「分裂病類縁疾患はオメガ3系必須脂肪酸不足によるもの」という仮説を主張している。それも、分裂病素因を持っている人は、より高度な脳機能をもつ人が多く、それだけ必須脂肪酸が多量に必要で、そこで充分補充されるとむしろある種天才的な能力をしめすという、「と」の香りすらあるあやしい裏主張までしているのだ。
オメガ3系必須脂肪酸の合成*を指令する遺伝子はすでに特定されており、分裂病者ではそれがうまく機能していないのではないかという視点からの研究もすでに行われているが、今のところは何の結果も出ていない。ホロビンのビジョンでは、分裂病素因者には、普通以上にそれが必要な脳機能の高度化があるというのだから、この方向ではちょっと検証出来ないだろう。EPAやDHEが分裂病素因を持つ人によい効果を与える、ということが事実だとしたら、かなり大規模なランダム化試験をやってそれを確認することが第一だと思われる。
*必須脂肪酸というが、人間の体内でも一応αリノレン酸からEPAやDHAは合成される経路はある。ただ極めて反応が遅く、直接食物から取るのが一番効率がいいらしい。だから、ここの経路がどうこうだというのはあまり意味がないわけ。
私のささやかな試みは、今の保険医療では高脂血症と閉塞性動脈硬化症にだけ適応のあるEPA製剤を、ごく普通の薬物療法をやっている人に対して添加する、というだけのことである。私は昔から、コレステロールや中性脂肪が基準値をちょっと上回ったら大騒ぎしてスタチン系高脂血症治療薬を投与することに疑問を持っていて(何しろ、ある年代をこえたらコレステロール値は高ければ高いほど寿命が長い、という統計まであるのだ)、自分の受け持ちの患者さんにはまずこの手の薬を使わない。1割や2割の基準値オーバーは「運動でもしましょうね」で済ましてきた。一方無為にゴロゴロしていることが多い慢性分裂病者が、高めの脂質値を持っているのはこれまたよくあることなので、実に受け持ちの7割ぐらいの人には、堂々とEPA製剤を投与することが可能なのである。
ただ、この薬はイワシ油から精製された液状EPAを透明カプセルに封入したもので、一見ジェリービーンズみたいな結構大き目のもの(もう一つビーズ状のマイクロカプセルもあるが、いずれにせよちょっと飲みにくい)なので、しかも一回2カプセルを一日3回も飲まねばならず、服用に抵抗を感じる人もいて、病棟、外来とおしてトータルで50名ほどの被験者を得るのがやっとだった。半分の人にはちゃんと添加する目的を説明し、残り半分は「高脂血症のため」という欺瞞的説明になったのはちょっと残念。でも本当に高脂血症なんだけど。
さて、今のところの結果である。大雑把な数だけでいえば、6割の人にはポジティブな効果がえられ、残りにはさしたる変化は見られない。おもに慢性分裂病患者が中心の入院例においては、目に見えた効果で最たるものは、いわゆる「遅発性ジスキネジア」にたいするものである。かなり強くこれが現われている人の7割近くは、これの消失、そこまで行かなくともかなり目立たなくなる効果が得られた。ほかの効果で目立つものは、向精神病薬副作用が強く現われるようになることで、実に半数近くの人が「眠い」「よだれが出るようになった」などの訴えをしたため、結果として向精神病薬の減量が可能になった。もちろんそれで精神症状の悪化が見られることはなく、むしろ全体に行動が活発になり、いわゆる分裂病の陰性症状といわれる意欲減退、感情抑制が改善された。
比較的発病から日の浅い例が多い外来群においては、もっと効果は顕著だった。分裂病群では入院例と同じように眠気、流涎などの向精神病薬の副作用が増強した例が多く、一般向精神病薬の減量が必要になった。家族内での暴力問題を抱えている例で、「急に穏やかになったのでビックリしている」という家族からの評価が得られた例もある(もちろんすべてではない)。とくに、向精神病薬で強い副作用が出るため、大量の抗パーキンソン剤を併用してもなお少量投与しかできず、幻覚妄想が遷延している例で、幻覚症状の消失がEPAの添加だけで得られたのは少々こちらも驚いた。ほとんど向精神病薬も中止して、なお程々の安定を得ているのをみていると、どうも診断を誤っていたのではないか、と思ってしまうのがこの業界歴の長い人間の悲しさである。
そのほか、うつ病、そううつ病群、および老人性痴呆群に対しては残念ながらほとんど目立った効果は確認できなかった。ただし、遅発性ジスキネジア出現例に対しては、分裂病群と同じ程度の効果はみられ、かなり感謝される結果となった。昔から、これに対してビタミンEニコチン酸複合体(ユベラね)を使うというのはあったので、似たようなものといえないこともない。
以上から、保険診療の枠組みなんてけち臭いこといわずに、大規模な治験を行って効果を確認すべきだと強く思う。たとえ一割足らずの確率であっても、症状がほぼ消失した例もある。副作用と付き合うことが運命であった分裂病の薬物治療において、せいぜいイワシ臭いゲップがでるぐらいが気になる点、というような治療は今までなかったのではないか。もうちょっと観察期間をおいて、若手の名前でも借りて適当な学会の地方会に出すぐらいのことはするかもしれないが、こういうところで公表したほうが実際の影響は大きいかもしれませんな。
それともう一つ、この薬には特筆すべき効果があり、これは精神科薬物医療の枠を大きく踏み出すものだ。それは何かといえば、かなり大まかに言うなら、「肥満体の人には減量効果がえられ、痩せが目立つ人には増量効果がある」というえらく都合のいいものだ。分裂病群の人は、病状が安定するとデブになってしまう人が多いのだが、そういう人はこの2ヶ月だけで1〜2Kgの減量がえられ、ガリガリ系の人は逆に同じ程度の増量が見られたのである。計量そのものがかなりいい加減なので、もっと期間をおかないとちゃんとしたことはいえないけれども。
もちろん私はこちらのほうの結果にいたく感じ入り、さっそく被治験者の一員になったのは言うまでもない。一度大酒飲み会のあとに検診をうけたら、中性脂肪がちょっと高かったので、保険診療の上でも文句は出ないだろう。今のところさっぱり体重は減らないが、これを飲むようになってえらく身体がホカホカするようになり、布団の上掛けがいらなくなったというのは事実。
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2002/11/19 |
職場のDVDコレクターが、新着ソフトを何本か買っているようなので物色する。その中から「ラスト・ワルツ」(78年米。監督マーティン・スコセッシ)を見つけ、まだ封も切られていなかったが、当然のように私物化し、視聴。
これは76年に行われたカナダ出身のロックバンド、「ザ・バンド」の解散ステージの記録映画なのである。その二年前にスコセッシ監督が出した「タクシー・ドライバー」にかなりまいっていた私は、その当時、この映画をどうしても見なけりゃいかんと思ったのはいいが、卒業直後の研修生活のどたばた(もっぱら看護婦さんとの飲み会が忙しかったというわけ)で、その機会を逸していたのだった。
といって、ザ・バンドのファンだったわけでもないし、大体、ボブ・ディランのバックバンドであったことぐらいしか知らず、彼ら自身の音楽活動にはまるきり無知なのである。一般名詞を自分らの個別名にする根性に、多少は一目置くものの、どうもそれは単なる行きがかりだったようなことも映画ではばらされてしまうのだ。多分、彼らの個別性とは無関係なところで、60年代のアメリカ系ロック音楽が変貌していく雰囲気から時代を見据えるといった、スコセッシ風の回顧趣味でまとめているにちがいない、というような思い込みで何らかの期待をしていたのだ。
実に30年近くたってから、やっとその期待がかなえられたわけだが、結論的感想としていえるのは、60年代にルーツをもつロックミュージシャンというのはやたらに小汚い、という一点。日本式にいうと友情出演といえる連中が、みんなこれでもか、というほど胡散臭い。音楽のほうも、DVD早回しがないとちょっとつらい。聞きとおしたのは、井上ひさし似のジョニ・ミッチェルによる「コヨーテ」とか、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、そして最後の全員による「I shall be released」ぐらいのもの。
あの時代のロック音楽シーンの単なる記録映画としても、それなりに評価できるとはいえ、ニール・ヤングなんて「シャイニング」から抜け出てきたみたいだし、同じニールでも、ダイヤモンドのほうなんか、インチキ商売で会社をおこした似非エグゼクティブにしか見えない。ほかの連中もみんな古典的ロック業界利権を泳ぐ、総会屋か労組オルグ専従班、といったおもむき。キョービの、如才ないプロデューサーにすべて仕切られた小奇麗なまとまりのよさとは、何の関係もないのがむしろ逆に小気味よい。
それでも、映画はフツーのコンサートドキュメンタリーのかたちをとりながら、60年代をそれなりに疾走したザ・バンドという連中の幻想と野望と失望をそこそこ表現しているのは、さすがスコセッシである。その時代の寵児となりながら、ツアー生活の中で消耗して死んでいった天才ミュージシャンである、ジミー・ヘンドリックスとか、ジャニス・ジョプリンなどへの憧憬を語らせつつ、彼らの轍を踏むことを拒否して1.5流で終わることを選んだ一般名詞バンド、ザ・バンドの怯懦と保身の悲しさを、ろくでもない時代へ移り変わっていく予感としてまとめた手腕にまずはエールを送るべきであろう。こうして20数年遅れで見たことも、それなりに意味があったかな、なんて思ったり。
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2002/11/18 |
以前、「イズムの街」という名の建売住宅街を目撃したり、トヨタ自動車が「イスト」という乗用車を発売したことを取り上げて、ほんのふた昔前までの左翼系伝統芸能言語感覚がなんら伝承されていないことを深く嘆いていたのだが、今度の物件は嘆きをとおりこして、ほとんど呆然自失である。
記事はこれ。トロッコ列車のキャラだからトロッキーって、あんた。トロッコ列車ファンはトロッキストとでも呼ぶのかいな。もしかしたら、意識的に左翼系ギャグ感覚をこめたつもりなんですかねぇ。トロッキーで許せるのは、せいぜいここまで。
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2002/11/17 |
日曜日だが、夕方から当直という変則シフト。「シフト」といっても我々の場合、次の日が休みになるわけでもなく、仕事が増えるだけのことである。案外、関係業界の人もそれを知らない場合が多く、次の日はお休みだと思っていたりするが、そんなことはまずどこの病院でもありえない。
時間ギリギリに職場について、さしあたって仕事もないので、事務当直者の部屋にいってごろごろしていた。この部屋のTVが一番映りがいいのである。すると外線。ちょうど事務当直者がいなかったので、かわりに出る。急患の連絡だったら、今夜の医者はろくな野郎でないので、別の病院に行ったほうがいいと言ってやろうと思ったのだが、全然ちがう内容だった。
「ああ、もしもし、私、J医大の中山ですが、当直の先生につないでいただけますか?」
「ご用件は?」
「いや直接私から話しますので」
「当直医は今電話中で(これはホントだもんね)、メモをまわしますので概略だけでも」
「うーん、出てもらえばすぐわかる話なんだけど。青いファイルの件だ、と言ってもらえます?」
「青いファイルね、ところで当直医の誰にお電話なんですか?」
「当直医って、当直医ですよ」
「今夜は特別に複数おりますので。青いファイルでわかると言う先生はどなたでしょう?」
「ごちゃごちゃ言わずにさっさとつなげって言ってるんだよ、馬鹿野郎!(ガチャリ)」
つまらん電話セールスみたいだったらしく、最後は捨て台詞。日曜日だと言うのに、こんなインチキ電話で節税対策やら格安マンションを売りつけないといけないのだから、世の中には気の毒な立場の人がいるものだ。「青いファイル」なんてな、とってつけた言い訳も、多分それなりに業務研究した成果なんでしょうな。ま、仕事があるだけいいじゃないか、頑張ってカモをみつけて、家族を養ってほしいものだ。
あ、そ知らぬ顔して電話に出て、「中山先生?あの青いファイルの件なんだけどね」と、いい加減なことをしゃべりまくる、という対応があったな。惜しいことをした。
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2002/11/16 |
例の銀行から返信メールがやっとくる。予想通り、「出入金には印鑑や通帳がいらないとはいえ、新しい取引を始めるときにはそれが必要であるとはじめから注意してあった」という内容。そんなもの、具体的にこういう状況ではまた必要なので、ちゃんととっておけ、と書いてないと私みたいな調子のりにはわからんて。それに加え、引き落とし先の新設については、確かにあまり考えていなかったので、検討するとのこと。どうも、あんな大銀行なのに、こんな単純事例の検討がされていなかったらしい。
実はここの口座をネット対応にしたほとんど同時期に、某外資系銀行のネット口座を開いたのだけれど、こちらははじめから印鑑がいらず、カードにせよ引き落としにせよ、新設するにもサインだけで可能なのだ。こちらの銀行をはじめから使えばよかったのだけれど、入金するには自分でATMに行かねばならぬというのがめんどくさい。給料の振込先をそちらに変えればおしまいなのだが、これまでの引き落とし先を全部変えるかと思うと、それもちょっとわずらわしい。
こちらは印鑑がいらないということにそれほどこだわっているわけではなく、危機にあるという日本の銀行が、フツーの顧客のそうバリエーションがあるとはいえぬ日常的経済活動にたいして、柔軟な対応策をあんまり考えていないらしいということが、BIS規制がどうしたというレベルではない彼らの危機を示しているのではないかと心配しているのである。商売っていうのは、最後はきめこまやかな顧客へのサービスの勝負だ、と私なんかは思うのですがね。
竹中大臣を担ぐ連中は、要はアメリカのハゲタカファンドに日本の金融機関を売り渡そうとしているだけだ、といわれるのだけれど、倣岸不遜な日本の伝統銀行様が生き残るよりは、実利第一のハゲタカファンドのほうがよっぽどましではないのだろうか。少なくとも私は全然困らんけれど。
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2002/11/15 |
新しく行きはじめたスポーツクラブから、「重要」と書かれた手紙がくる。なんでも、会費引き落としがこちらの示した口座から出来ないのと言うのだ。
私は自分の銀行口座を、いわゆるインターネット口座というのに昨年から切り替えている。印鑑もなければ通帳もなく、全てネット上で引き落としや振込みが可能というものだ。これでPCにお札をつっこんだら預金が出来る、というなら最高なのだがそういうわけには行かないらしい。それが出来ないというので、それまでは使っていなかったのだが、給料がどうしても振込みでないと受け取れなくなってしまい、どうせ金が出て行くだけの会計なので、しぶしぶそれに切り替えたと言うわけ。
ところが、実際にネット口座を使ってみるとなかなか便利である。特に日曜日であろうが、真夜中であろうが振込みができる、というのがいい。差し押さえの予兆を感じたら、その場で家族の口座にでも金を移せばいいわけで、まことに心強い。そういう口座であるものだから、会費引き落としのさい、印鑑を求めるスポーツクラブの事務員に、鼻高々でこういったものだ。お嬢さん、私の口座には印鑑や通帳などというものはございません。IDとパスワード管理なので、申し込み用紙にハンコなんぞ押さなくていいのです。
そういう前例はないもので、と食い下がられたが、実際にもう通帳は廃棄してあるし、数あるハンコのどれを使っていたのか、なんてことをこの私が覚えているわけもないのだ。新しいシステムなのだから、前例がないということもあるでしょう。そこは銀行のほうがよきに計らってくれるはずですよ、と強引にハンコなしで申込書を書いたのである。
それが2ヶ月たってこのざまである。印鑑や通帳のないシステムをつくって、それに切り替えるように勧めた銀行そのものが、引き落とし開始にはハンコが必要だと、その申し込みを認めなかったのだ。それではそのオンライン口座を開いている人間は、新しい引き落とし先をつくることが一切出来ない、ということではないか。新しいカードも作れなければ、公共料金もそこから支払えない。
おそらく、誰にも読まれることのない定款を読んでみれば、このあたりのことは書いてあるのだろう。はじめに口座を開いたときの印鑑は、後でいることがあるから保管しておけとか何とか。でも、そんな中途半端なシステムでどうする。まるでMS-DOSにGUIをお面のように貼り付けた、Windows3.1のようなものではないか。ちょっとたとえが悪いが。
頭にきたのでさっそくクレームのメールをだすが、絶対すばやい返事など来ないだろう、と予測したとおりである。すでに数日経過しているのに、なしのつぶて。手前らの手抜きのためには、「先進のシステム」だと甘言をろうしておくくせに、本当に顧客の便利さなどは関係なしという傲慢さは、どれだけ危機になってもかわらないのが日本の銀行のようだ。なんせこの時代に、ATM利用料の値上げを言い出すところだものね。
例の竹中改革案では、一番先につぶすことになっているところらしいから、客のことなどかんがえる余裕もなく、制度のちぐはぐさを考えてみたこともなかった、というのが実際だろう。えーい頭にきた、あんなクソ銀行見限って、やっぱり郵便局に切り替えだ。小泉さん、間違っても妙な銀行屋に郵便貯金を売り渡したりしちゃいやですよ。
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2002/11/14 |
私らの世代にとっては、「プラウダ」というのはソ連共産党の機関紙で、ソ連崩壊の直前まで尊大倣岸な教条的記事を掲載し続けていたという記憶しかない。そころがそのプラウダは今も健在で、ロシア第二位の発行部数を誇っているそうだ。ウェブ版をざっと読んだ限りでは、政党機関紙なのかどうかはっきりせぬものの、いまは亡きソ連邦への郷愁がそこかしこで感じられる紙面づくりがされている。
そして、この新聞はかっての共産党機関紙であった時代よりも、ある意味、全世界で注目を浴びるようになっているのである。それは、"World Weekly News"や「東京スポーツ」がしゃれ含みで果している機能をさらに拡大したもの、つまり、トンデモ科学理論、陰謀論、超常現象などを、大真面目に扱うデマ新聞としての機能である。
以前、NASAの月面着陸はウソだった、という記事をかなり真剣に報道したのもここだったし、宇宙人の死体を発見しただの、米軍が捕獲したUFOを隠して秘密実験しているだのという、かなりオールドファッションな記事がしばしば載るのである。
11月13日付で、同紙は「ミュンヘン大学の遺伝学者、タボ教授が行った驚天動地の発表」について報じている。記事によると、教授たちのグループは、「いままで直立猿人との中間存在だと思われていたネアンデルタール人と、現生人類との間には、遺伝的関連性がない」ことを証明したという。この発見によって、人類の起源探求はまた一段と闇に閉ざされたというのだが、はてはて?
そんなこと、かなり前からわかってたのではなかったっけ。進化過程では近縁種であるとはいえ、ネアンデルタール人と我々は別個に進化したので、直接の先祖と子孫の関係になんかない、というのはNHK特集レベルの一般常識だったと思うのだが。
しかも、プラウダの記事はこれをマクラにして、「95年にモンゴルで発見された、内臓や脳の一部が人工物で置換された『サイボーグミイラ』」なるものの話に移行し、人類は宇宙人による遺伝子操作で作られた、というトンデモ話に移行するのである。何の検証もなく、資料が示されることもなく。
結局昔から本質は同じなのだといえばそれまでなのだが、こういう新聞が発行部数第二位だというような社会は、どんなに民主主義的体裁を整えていようと、かなりやばいところに容易に導かれてしまうのでは、と思えてならない。なんて言っていながら、薄っぺらい人情話の表面的ストーリーで世論なるものがあっさり右へ倣えするような情けなさと、どっちがましか、かなり考え込んだりするのだけれど。
いずれにせよ、ウェブ版"World Weekly News"がちょっと前から有料化されていて(かなりいい根性している)、トンデモねたが仕入れにくくなっていたので、思わぬところにロシアからの援軍だと、肯定的にとらえておくのが精神衛生にはいい様で。
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2002/11/13 |
ニュースを見ていたら、例の北朝鮮拉致被害者家族のもとに、どこやらの主婦たちが集めた「千羽鶴」が届けられた、というのをやっていたのだけれど、あんなもの迷惑なだけで、何の役にもたたないからやめなさい、と誰かいってやらないのだろうか。金に困っている人たちではなくても、なんといってもさまざまな運動を展開するのには資金が必要だろうから、あの折り紙細工に費やすエネルギーと同値以上の財貨をカンパするのが、当事者にとって一番ありがたいのは目に見えている。
病院などにもあれを持ち込む手合いがいて、半年もすればほこりだらけになって色あせ、院内感染の宿主になりそうなあのゴミのかたまりを、おおっぴらに捨てるわけにもいかず、デイルームの片隅などにいつまでも置いてあったりするのをよく目にするものだ。未熟な善意を自閉的に体現したあの細工物は、原爆被爆者への連帯という文脈の中で生まれてきたものらしいのだけれど、無意味さのなかに不可思議なパワーが宿るという、奈良時代ぐらいにたどれる日本政治史のしょぼい伝統を引き継いでいるオブジェと言えるのではないか。
せいぜい一部のサイトで始まっていると言う、ブルーリボン運動ぐらいにとどめておいて(あれだって、誰も反対しない立場を表明することに何の意味があるのか、と思いますが)、実際の運動に労力を提供するとか、それが無理なら金をだすという実質的なことをしないと、うわべとりつくろいだけに汲々とする外務省と同じレベルと言われても仕方ない。つまらん紙くずのかたまりをいまさら贈らなくても、これからの目先のなりゆきで、かの国の犯罪行為と、それを助長したこの国の事なかれ主義を、あっさり忘れてしまうほどのアホばっかりだとは、関係者一同誰も思いはしませんて。
まあ金王朝のほうは、もっとしたたかな手をかならずうって来るとは思うし、それに対しては、少なくとも千羽鶴つくるセンスなんかでは、絶対太刀打ちできないだろう、という気だけはするものの。
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2002/11/12 |
法事やらで丸々一週間スポーツジムにご無沙汰だったので、今日はみっちりトレーニング。まず「大空あゆむ」君でウォームアップして、その後はトレッドミルに切り替えてトータルで1000Kcalほど消費。ストレッチのあとはそこそこの筋トレ。
昔、といってもほんの数年前までは、やればやるだけ体調がよくなるような自覚があったのに、近頃は疲れがたまるばかりで、今日みたいに一週間ぶりに身体を動かすと、逆に久々に調子がよいのに気づく。どう見たって、この歳で有酸素運動を基本にしている私のやり方は、活性酸素を無意味に取り込んで、老化を早めているだけなのは明らかで、無酸素系の筋トレをメインに切り替えるべきなのだが、あれはやっててそう面白くないのですわ。
これがもっと若ければ、筋トレなどするとドンドンと力がついて、リンゴなんか握りつぶしたりして一種ナルシーな感激にひたれるものなのだけれど、この歳ではとにかく現状維持ということになるのが情けない。その点、有酸素系は同じ現状維持でも、今日の運動を換算すると10キロ以上走ったことになるなどと、普段の日常感覚をちょっと超えた気分を味わえるのが楽しいところ。もちろん、実際に外を走るほうが圧倒的に楽しいのだけれど、天気だの、排気ガス状況だのを考えると、なかなか続けるのは困難。その点、スポーツジムは「会費がもったいない」という強い動機付けができるので、意思の弱い人が運動を続けるのには最適なのです。
というわけで、その会費感覚のゆえにさらにプールで一泳ぎし、くたくたになって家に帰り着き、ビールバカのみという、およそ健康ということにはなんら寄与しないスポーツライフなのだけれど、いったいいつまで続きますことやら。
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2002/11/11 |
今日はまだ比較的気温が高かったのだけれど、もう秋というよりは冬になったといってもいい日よりだ。私は夏人間なので、寒いのはとにかく苦手、地球温暖化待望論者といってもいいのだが、中途半端な秋の日々が終わってうれしく思うことが一つだけある。それは着る物を考えなくてよくなること。
私はかなり以前からきちんとした恰好が出来なくなってしまい、通勤スタイルというか人前に出るときはいつもTシャツにジーンズ、野球帽なのである。これでは財布や携帯電話なんかを入れるところがないので、夏の間はカメラマンか釣り師が着ているようなポケットの多いベストを着ている。ちょっと暑さが遠のくと少し厚めにする。
この原則だと、10月の終わりごろからちょっときつくなるのですな。長袖のTシャツという手もあるが、あれだと職場についてから困る。職場では年中半そで処置着なので、妙なレイヤードスタイルになってしまい、わざとそうやっていると思われるには、ちょっとおっさん過ぎるのである。ERなどのアメリカ医学ドラマをみると、そういう格好している奴がいるが、あれをマネしたと思われては憤死ものである(リンクの真中の俳優を見よ)。
だからといって、中年男が膝の出たジーンズをはいて、ペラペラジャンパーなんかを羽織っていたら、場外馬券売り場にたむろするような雰囲気になるのである。半分に切った赤鉛筆でも耳にはさんだほうがよさそう。しょうがないので、着る物をそれなりに工夫する必要に迫られてしまい、面倒この上ない。
したがって、多少厚めのアノラック系上着を着込めるシーズンになると、その下はまた夏と同じ基本スタイルに戻れるという恩恵にあずかれる。しかもこんどはポケットがいっぱい付いているので、ベストなんぞもいらないし、まことに気楽。
中井久夫氏などに言わせれば、精神科医の「奇装」傾向は、民俗的治療文化の片鱗を受け継ぐ伝統が一因だというような格調高い考察になるのだが、私の場合は単なる不精だけ。
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2002/11/10 |
昨日今日と、身内の法事で某地方へ一泊の旅だったので、昨日分はなし。社会的常識とか義務とかの、かなりの部分を無視した生活をおくっているので、こういうのも本当は辞退したいのだが、最低限ぎりぎりの線だけは維持するしかなかろうとしぶしぶ参加する。それにしてもクタクタ。なにか気の利いた風なこと書く元気はおまへん。
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2002/11/08 |
昨日がハロウィンの話だったので、今日はサンタが殺人で起訴された話。
フレドリック・ケルチャー(65)は、31歳の娘、モニカとあまりよくない関係にあった。彼女は3ヶ月前から、両親の家で同居するようになっていた。父娘は、今月の5日午後、なくなった家財道具のことで言い争いをし、かっとなった父親は台所ナイフを持ち出した。被害者のモニカは、首に刺し傷を受けて即死したという。
警察によれば、加害者は病院から投薬を受けていたが、最近それを中止していたという。しかし、投薬内容は詳しくわかっていない。法廷では審理が始まる前から、彼は泣きはじめた。「すまない、ジャネット」と、泣きながら妻にわびていた。
なくなった家財道具というのは、クリスマスの飾りだった。フレドリックは、市の催し物でここ数年ずっとサンタクロースを演じてきており、この祝日をとても楽しみにしていた。保釈は却下され、次回公判は来月にもたれる予定。なおモニカは婚約中であった。
脳血管障害でもあって、感情抑制がゆるくなるような状態だったんでしょうかなあ。記事にはニュースのビデオ画像もついているが、私にはとても涙なしには見られません。
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2002/11/07 |
日本ではなかなか商売にならないハロウィン。こっそり誰かがプレゼントをおいていってくれるのではなく、「お菓子よこさんとタダではすまさん」とすごまなければならないのが、ちょっと本朝向きではないのだろうな、と考えたりする。
それにしても、皆が堂々と変装するような行事で、それに付け入って悪さするような奴はおらんのかと思っていたら、やっぱりそういうのはあるようで。「フォート・ルイス大学の女子大生が、ハロウィンパーティ会場ちかくで、『くまのプーさん』の扮装をした男に性的暴行をうける」だと。身元を隠せて、目的をたっするに足る機能性をそなえ、なおかつハロウィンパーティで『くまのプーさん』の扮装だと認識されるためには、かなり考える必要があると思うが、どんなものだったんでしょう。記事からはさっぱりわからない。
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2002/11/06 |
「ブラックホーク・ダウン」(2001年米映画。監督リドリー・スコット)
ごちゃごちゃとした、ゴミタメみたいなのを美しく撮るのでは定評のある、リドリー・スコットの戦争映画である。93年のソマリア内戦に介入した、米軍の果敢なる戦いを描いたというのだが、米兵たちは仲間の一人でも弾が当たると大騒ぎし、ソマリア民兵をばたばた撃ち殺しながら、自分たちを守ることだけに必死なのである。取ってつけたような使命感より、当然ながら、とにかく仲間が大事で、作戦目的へのダンドリが異様にわるい上層部の思惑とは無関係に、ドンパチが延々と広がりまくるのである。
そして腰の引けた米兵の使命感なんかとってつけたようなものなのに、民兵の親玉が吐くセリフ、「俺たちは歴史を作っているので、あんたらみたいに正義を行っているのではない」というのが実に決まっている。だから民兵たちはほとんど一方的にやられまくりながらも、実に生き生きと戦っている。映画自体のつくりはは米国の一方的自己正当化なのだが、映像では民兵側のノリの勝ちである。企画としての米軍賞賛の意図(多分)を、映像作家の感性が見事に裏切ってしまっているのである。どこまで意識的なのか、ちょっと判断に苦しむのだが。
結果として、硝煙の中、ゲロ吐きながらヨレヨレになって逃げる米兵たちを、踊りながらはやし立てる子供たちの無邪気なあざけり顔を美しく撮るためにこの映画がつくられたとしか思えない。「あれはアフリカの民衆を守るために戦った米軍を賞賛しているのだ」とおめでたくも感動してくれるアホたれを見つけて、その後の付き合いを考える識別装置にしてやろう、ぐらいのことは考えたのではないかな。
映画の始まりで「戦争の終わりを見ることができるのは、死んだ兵士だけである」(記憶あいまい)というプラトンだかの言葉がでるのだが、逆に言えば、「死ぬことさえなければ、戦争はけっこう楽しい生き方を提供してくれる」というところか。とりわけ、ノリでやってるような連中にとっては、自分が死なない限り永遠の真理というものか。正義の名のもとに、うわずった介入をしてしまった、米国式使命感が空転するざまを、延々と鑑賞できる一作というものを、エンターティンメントとして楽しめるかどうかは、意見が分かれるところだろう。
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2002/11/05 |
昨日の韓国料理はとてもおいしかったのに、喰ってからの体調が今ひとつ。朝昼夕と食が進まない、なんて体験ははじめてですわ。
しょうがないので、酒も飲まずに借りてきた「スパイダーマン」をみる。ほめてる人が多いけど、私には今ひとつだったなあ。たしかにニューヨークの町をクモの糸ブランコで軽快に飛び回る画像は素敵だが、アメコミの約束事をこぎれいにまとめてみました、という感じがどうも。あれなら、「ダークエンジェル」みたいにTVシリーズにして、それを早送りしながらみるのがいいのでは、と思える物件。あれを楽しめる人は、すでにあらすじとか主人公をめぐる布置なんかを熟知していて、それがどううまく映画化されているか、という感じで見るのだろうな。
なんにせよ、主人公のトビー・マグワイヤが、毛唐のくせにもっさりスタイルだったのが、なかなか好感もててよろしかったけど。飛び回っているときのスパイダーマン扮装CG(?)と全然体型が違う。そういえばヒロインもまるで冴えないので、なんかこれからはスタイル抜群美男美女はお呼びでなくなる時代が来る、ということか。そういえば、「天才マックスの世界」のジェイソン・シュワルツマンなんぞ、まさしくそういう俳優。うーむ、そういうハヤリが来るのが30年遅かったな。
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2002/11/04 |
独身生活終了を記念して、昼は外食。新しい店を開発しようと、かねてより目をつけていた「韓国家庭料理」の店に行く。狙い通り、そこは単なる韓国焼肉屋ではなく、聞いたこともないような名前の料理がずらりとメニューにのっていた。接客態度がまた本場風で、悪く言えばつっけんどん、え?なんであんたこの店に来るの?と取られても仕方のないような感じなのだが、ファミレスとかスポーツジムによくあるような、うわべだけの笑顔と元気な挨拶が嫌いな私には、こういう必要条件だけの対応のほうがまし。
なんといってもこの店は、韓国の店なら必ずやる基本的なサービス、つまり注文前からキムチを持ってきてくれて、なくなれば追加してくれる、というのをやってくれるのがうれしい。もちろんタダ。ご飯だけ頼んでそれで食って帰ろうか、というさもしい気持ちになったのは事実ながら。ただ、メニューにはちゃんと値段がついた「キムチ」があるのだが、あれを頼む人はいるのだろうか。
料理は「カムジャタン」というのをたのむ。豚の背骨がどかんと入ったワイルドなスープで、こびりついた肉やゼラチン質をこそげ落とし、そこにご飯を放り込んで(別に食べてもいいらしいが)おじや状態でたべる。背骨がたてにカットしてあって、硬膜外麻酔の実習に使えそうな感じなのがなんともダイナミックである。本当はチヂミなんかも頼みたかったが、量が全体に大目だったのと、欲どおしくもキムチを三皿もお代わりしたため、頼んだ分を平らげるだけで精一杯であった。熱さと辛さで食い終われば汗びっしょり。
値段は安いしいうことなし。月に二度の外食ローテーションに組み入れよう。自分でつくるには、ちょっとあの背骨の入手は難しそう。牛ならテールスープでいいんだろうけど。
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2002/11/03 |
夕方になって4日が休みだと言うことを発見。いつもその場限りの生活感覚しかないのが、またもや露呈である。
大もうけしたような気になって、大酒かっくらっていたら、いつの間にやら朝になっている。コタツというのはほんと、悪魔の道具だな。なんか、田村正和が森山良子と再婚するのを、なんと言ったか、早稲田に入ったので一時話題になった小娘で、CMに以前しょっちゅうでていた見るからにバカ丸出し女がえらく反発する、ものすごくつまらんドラマをみていて腹が立ち、ついつい酒のピッチが上がったところまでは覚えているのだが。
しかし、森山良子というのは「ダサいオバサン」の役を振られるような人だろうか。確かに美人でもないし、才を感じるところもないが、なんか、小娘連中にあんなに嫌われる必然性はないと思うのだ。小娘ども、おまえら年取ったら確実にあれより下の存在にしかなれんのは、誰がみてもはっきりしているぞ。などと独り言をいっていると、本格的独居老人予行演習は万全の気分になる。
ついでに、独身生活も今日で終わりであることを思い出し、なんだか残念さが先にたつ小春日和である。
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2002/11/02 |
いい歳をして、例の米軍提供ゲームにはまってしまい、ちょっとまずいことになっている。職場のPCにまでインストールしてしまったものなぁ。ちょっと暇なときにカードゲームなんかをするのは誰しもあることだが、こういうオンラインゲームでは、ゲーム自体に生活がからめとられてしまって、暇つぶしと言うよりは、ゲームの都合に合わせて生活する羽目になる。
ちょっと前まで、全然習熟していなくて、シナリオが始まるや否や、敵の弾幕の前に呆然と突っ立っていてあえなく戦死、という感じだったのが、だんだん慣れてきてそこそこ生き残れるようになったのが問題。ゲームスキルもあるが、基本的な安全防御策を徹底して、かつ無駄な攻撃をしないという態度が大事なよう。ほかのゲーム参加者と、ほとんど決まり文句ながら、英語のチャットに慣れてきたのも大きい。任務分担を適切にやる、ということですなぁ。やたらに見事な戦功をみせる参加者に歳をきくと、13歳だ、なんて答えられてさすがに我にかえってオフライン、なんてこともあるんですが。
どこかの「ゲーム脳」なんぞという、間抜けな主張をするインチキ研究者ならどんなことを言い出すかわからないけれど、こういうゲームは老人対策には最適ではないかなぁ。言葉の問題さえうまく解決すれば、ボケ防止にもなり、他世代との協働のきっかけをつくれてまことに実りあるような気がする。当然、引きこもりの若年世代へのリハビリにも役立つような。なにも戦闘行為することはないのだけど、やっぱりインタラクションとして、ここまで切実なものはないと思われ。
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2002/11/01 |
先月、2001年のイグ・ノーベル医学賞を受賞した「落下椰子の実による外傷」という論文についてふれ、「雑感」の方にも移動したばかりなのだが、どうもこれはそのほのぼのテイストにもかかわらず、「ガセ」ということが受賞の根拠になった論文であるようなのだ。
シカゴ・リーダーという週刊誌の有名コラムに、"The Straight Dope"(「はっきり言うと」とでも訳しますかねぇ)というのがあり、疑似科学とか、通説化したデマなどに対し、正攻法でそれを検証するというスタイルで人気を呼んでいる。ほとんど雑誌が創刊されたころから続いていて、ウェブ化もされていて、私も何度かこっそりネタ元にしたことがある。
今までのアーカイブを流し読みしていたら、今年の7月に件の論文にふれている記事を見つけた。もっとも、この論文自体を取り上げたのではなく、別の文脈からである。それは、サメの保護論者がしばしばつかうレトリック、「サメに喰われて死ぬ人よりも、落ちてきた椰子の実があたって死ぬ人のほうが10倍以上多い」という言い方についての検証なのだ。
それによると、フロリダ自然博物館でサメ研究をしているジョージ・バージェス氏はこう主張している。世界中で年間150人が椰子の実に直撃されて死んでおり、これはサメの被害者の15倍にあたる。氏はその統計をイギリスの旅行保険会社「クラブ・ダイレクト」から得ているという。クラブ・ダイレクトは椰子の木が自生している地域に旅行する人に対して、椰子の実による傷害を全面保障しているのだという。
オーストラリア・クイーンズランドでは、この保険会社の情報から、住民が怪我をして訴訟を起こされることを恐れた地方議会によって、椰子の木が全部引き抜かれたそうな。そして、この保険会社が論拠にするもののひとつに、かのイグ・ノーベル受賞論文があるのだという。
しかも、論文の抜粋だけ読んでいてはわからなかったのだが、元論文に記されている死亡例というのは、どうもちゃんと検証されたものではないらしい。2001年に、オーストラリア・ニュージーランド外科雑誌に報告された「太平洋諸島におけるココ椰子関連の外傷について」という論文が紹介されていて、そこでは、島で暮らす人々は椰子の木に生活のかなりの部分を依拠しているので、関連の傷害を根絶するのは困難と前置きし、94年からの5年間の観察がなされているが、死亡例は一例も報告されていない。
100例あまりの受傷者の80%以上は、椰子の木から落下した人で、倒れてきた椰子の木の下敷きになったというような少数以外の、10数%の人が椰子の実の直撃を喰らっていて、その場合被害者は子供が多く(多分高いところに上れないので、下で実を拾う係をするのであろう)、頭蓋骨骨折、上肢の骨折などの重症例はあるものの、生命に危険が及ぶものではなかったと、先行する例の論文の死亡例報告に疑問を投げかけた上で、椰子の実拾いにおいては、充分な安全策がとられるべきだと主張している。
ストレイト・ドープの筆者はイグ・ノーベル賞受賞元論文を読んだ上で、いまはパプア・ニューギニアからアラブ首長国連邦の大学に職場を移している著者に直接取材したようだ。「椰子の実があたって、そのまま村で死んだと伝えられている例がある」ということであって、きちんと経過をおって確かめたものではないと、論文著者に認めさせている。
イグ・ノーベル賞のサイトをもう一度読み直してみると、この論文が選ばれたのはその牧歌的雰囲気のためではなく、あくまで「ガセ」だというニュアンスであったのだとわかる。そこらをいい加減に読み飛ばしていたのを恥じいる次第だ。確かに、30m近くの高さから、2kg以上の重さのものが落ちてくるといわれれば、そりゃ大変とは思うが、表面は硬くても中は繊維質なのだし、石の塊があたるのとは違いますわな。
なお、ストレイト・ドープの筆者セシル・アダムス(実在の人物かどうかわからないのだが)は、このコラムを、イグ・ノーベル医学賞受賞者ピーター・バース博士がパプア・ニューギニア時代に行った、さまざまなエキゾチック傷害報告への賛辞で締めくくっている。
「彼が取り上げたのはパプアニューギニアの豚による外傷にはじまり、トゲウオによる刺傷、サバ中毒、腰蓑による火傷、アカエイ毒による壊死創、南洋はぜ豆の吸引傷害など多岐にわたる。彼は今、ナツメヤシが茂るオアシスに囲まれる砂漠の街で教鞭をとっているのだが、その変わり身を非難することなんか出来ない。ナツメヤシでノックアウトされたりはしないだろうからね」