更新日記
こちらも時々書いてます。
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2003/03/31 |
昨日取り上げた文化結合症候群としてよく紹介される状態というのは、もっぱら南中国から東南アジアに出現する"Koro"のことである。これはほとんどが男性に見られる症候群で、自分のペニスが退縮していき、体の中にもぐっていってしまうという恐怖感をその主徴とする(女性の場合、乳房や外性器が対象になるらしいが、かなり希である)。時には恐怖感が強まり、体の中にもぐりこんでしまわないように必死になって自分のペニスをつかんで助けを呼ぶといった、パニック発作を呈することもあるそうだ。
"Koro"はマレー地方の言葉のようで、中国語では"Suo Yang"といわれる。これは北京語で、南部の中国語だと"Shook yong"になるらしいので、多分漢字では「縮陽」であろう。ふつう、この状態の文化論的機序はこう説明される。売春行為とか、マスターベーションなどが引き金になった自責的不安から、陰と陽のバランスが崩れたという実感を覚える。そして中国人の世界観的法則から、陽気の象徴であるペニスが陰気のなかに埋没してしまう、という確信にいたるのだと。ネット上ではここの説明がわかりやすい。
中国や東南アジアでもそうしょっちゅう見かける状態ではないらしいのだが、その地の文化的背景から説明しやすく、同時に精神分析的な解説もしやすいということもあってか、いままで多数の論文がこれについて記されてきた。Pubmedで検索すると、70年代後半からだけでも116篇の論文がヒットする。大上段に、文化結合症候群とよばれるものをユニバーサルな診断基準、もしくは身体に基礎付けられる確固たる疾患単位として分類する意図を持ったものもあるが、大概はこんなエキゾチックな病気があるんですねぇ、私も似たような病気を診てますよ、といった感じのものが多い。尻つぼみの"etic"系を、物見遊山"emic"系が包囲している図である。
今度紹介されてきた人は、パニック発作こそは伴わないけれど、ペニスの退縮、体へのもぐりこみを恐れるところなどがみられ、"Koro"の類縁状態として充分通るように思う。ペニスのサイズについての不安自体はそう珍しいことでもないのだが、次第に体に入り込んでいくという、ある種妄想的な不安が持続している状態はかなり珍しいと思う。先の論文群にも、日本からの報告というのは実に一例しかない。少数ではあれ、欧米圏あちこちから類縁状態が報告されているのに、文化圏としては近しい日本にこれがあまり見られないというのは、どういうわけなのだろうか。
ともあれ、物見遊山系の論文ぐらいなら書ける症例なのはいいとして、やはりここは、今までの大学病院ではさっぱり改善しなかったのとは対比的な好治療成績をみせないと面白くない。こんなに興味あるケースなんですが、治療は難しいですなぁ、というのではね。今までの主治医はこの訴えに幻惑されたのか、えらく非オーソドックスな処方をしていたので、そこらをごく普通に攻めてみるというところからはじめますか。
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2003/03/30 |
私は精神科関係の学会にも出なければ(そもそも所属すらしていない)、関連邦文雑誌も読まないので、最近の業界内トレンドというものをまったく知らない。一般マスコミ報道と、ネット経由の英語圏論文だけを情報源にするという、ある意味ゆがんだ態度なのだが、これで困ることはまったくないから不思議である。薬の情報なんか、国内新発売製品のパンフを薬屋さんが持ってくる頃には、ほとんどエキスパートになってしまっているぐらいである。
もちろん昔はこういうわけにも行かず、業界情報には常に目配りはしていた。そんな20数年前、比較文化精神医学というものがえらくはやっていた時期がある。駆け出しの時期を終えつつあった私は、はやりものにはすぐ飛びつく軽薄さでもって、治療関係をめぐる社会文化的視点から考察しないといけないなどという題目をとなえ、地域精神科医療の枠組みを利用して、民俗学者の真似事をしていたものである。
民俗学や人類学関係の研究者には絵の達者な人が多く、人から話を聞きながら、うまく注釈入りのスケッチをまとめたりする。それがなかなか格好いいので、彼らが使う野帳という薄いけれど表紙の厚い小型ノートを、丸善でまとめ買いしたのが、ほとんどそのまま家にあるぐらいだ。私は字も下手だし、なにより絵心というものがまるでないので、いくらスタイルを真似ても、あとで資料になるようなものが作れないのである。
その比較文化精神医学という分野に、「文化結合症候群(Culture-bound syndrome)」という概念がある。特定の文化圏に特徴的な精神症状をとりだし、文化現象として考察するわけである。私も憑き物症状を題材にして、いろいろしょうもない考察をした論文草稿を書いたことがあるが、20数年前の片田舎といったって、携帯電話とインターネットがないぐらいのことで、マスコミも通信も充分な機能を発揮している状況で、なんで憑き物なのかということが説明できないのである。
それは文化現象というより、症状を懐古的に解釈しようとする周囲の期待との相互作用なのであって、症状が発現するにいたる動因をそこに求めるのはやはり無理なのである。もちろん、病者との関係をつくるチャンネルが増えるのは歓迎されることで、そういうアプローチはその意味ではまことに実りある(こともある)手段といえる。限られた文脈下とはいえ、治療者と患者家族が専門用語を介さずに了解を共有できるというのは、なかなか得がたいことである。
しかし、当時よくこの分野の半可通が主張した、「伝統社会の西欧化が精神疾患、とりわけ精神分裂病の原因」などという多幸的な意見は、精神科医療を豊かな方向に導くには、どちらかといえば害になったとも思う。存在しなかった理想郷を、過去や非西欧伝統社会に求めてみたって始まらない。今、この現実のもとで人は生きていくしかないからである。
なんでこんな話を書いているのか、という理由を今やっと思い出した。某文化圏に属する文化結合症候群の例としてよく紹介される、ある症状に似た状態を呈する人をはじめてみたからであった。なかなか珍しい例といえるが、その人を紹介してきた大学病院の医師は、まったくそれを意識していない様子であった。やはり比較文化精神医学なんてのは、この業界では歴史のクズ箱行きになってしまっているらしい。
具体的内容はプライバシー保護フィルター処置後に紹介予定。
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2003/03/29 |
黒焦げになったとみえた旧M/Bも、よく眺めてみればシリコングリスがたれて埃と一緒になって変色しているだけのようで、もしかしたら使えるかもしれないと思いつく。ヤ*ダ電気に中古の電源があったので買い求め、早速組みなおし。
さすがにCPUは完全に絶命していたが、あまっていたセレロンに入れ替えるとちゃんと起動する。ディスクが6Gというのがちょっと寂しいが、プリントサーバーとかなら充分使えそう。この機会に、いままで机の下で起動されることもなく放ってあった、パワーマックをリストラすることにする。長い間、こんないいマシンはないと思って使ってきたんだけれどね。
PPC-Linuxを入れてみたりしたけれど、やはり好事家用というか、普段使いするのには無理がある。買うときにはえらく高かったし、いろいろ思い出深いマシンでもあり、捨てるのはあまりに可哀想なので、職場に持っていってWebサーバーにでもして隠居生活させようかと思案中。
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2003/03/28 |
結局、M/Bの説明書をよく読んでみれば、ビデオカードまでAGP8Xたらの高スペックを要求するとのことで、しかたなくその基準で一番安いやつを買ってきて入れ替え。ふだん3Dゲームなんかやらないので、ビデオカードは安いやつしか使っていなかったのが、例の米軍ゲームをやるために8千円もだして買い換えていたのに。
一応修復インストールでデータがパーにならずにすんだのはよかったとして、今までのマシンパーツで使えたのはケースとハードディスク、CDだけ。新品組みなおしたのとあんまり変わらない。数字上、CPUパワーはすごいことになったはずなのに、操作感はほとんど今までとおなじ、というのが納得いかないところ。
直前にルーターを買っておいたおかげで、こういう突発事態にも余裕を持って対処できたのはラッキーであったと総括してしておこう。これでパーツが余ってしまったので、また余計なPC組むんだろうな。
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2003/03/27 |
職場でLINUXの練習用にと寄付していた古いPCがあるのを思い出し、当然のように誰も使ってなかったのでもって帰り、電源部分だけを抜きだしていれかえると、ちゃんと電源だけは入るようになるのに、ビデオ出力が何故か出ないのである。なんだかよく原因がわからないが、春休みということで子供たちが帰ってきて、そちらの対策を考えなければいけないので、中途半端なまま放り出すことになってしまうのである。
子供たちとはいっても、二十歳過ぎの連中なので、結局大酒のみ大会になるだけだから、懸案事項など先延ばしになるばかり。日ごろ買い貯めた買い得ワインを、恐ろしい勢いで飲みほされてしまうことが脅威である。料理もいろいろ作らねばいかんし。
というわけで、検討すべき問題は数多いのだが、しばし先送りという伝統的対応になってしまう。少なくともハード面は大丈夫だと思うんですがね。M/BのCPU部分周辺は真っ黒けになるほど熱負荷がかかってたようだけど、ビデオボードまでは関係ないはずなんですけどね。
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2003/03/26 |
PCの結線をおえて立ち上げようとしても、電源が入らない。単なる電熱器と化したCPUにかなり長時間通電していたので、電源そのものも昇天しているらしい。昨日、安売りケースも買って置けばよかった。大型ごみを出したくないという事情が、なんとか継続使用できるだろうという甘い見込みを正当化してしまった。電源だけ買おうとすると、なぜかケースより高かったりするしねぇ。
甘い見込みといえば、米英の短期決戦願望はどうも通らない様子である。はじめの空爆で、えらくまどろっこしい様に見えたのは、フセインを直接ねらったピンポイント攻撃だったというのだが、怪しいものだと思う。かなりいい加減な取り巻きが、「フセイン親子も副大統領も一発でポアしましたさかいに、あとは自滅ですわ、こんな戦争一週間で楽勝でっせ」と、楽観的な大風呂敷ひろげてブッシュを煽っているだけなのではないかという気がするのだが。
小ブッシュみたいなタイプのトップ周辺には、そういうおだて上手な側近が集まるのではないだろうか。追随するしかない日本としては、郭の太鼓もち芸でもよく研究して、洒落の効いた粋な遊びにうまくのせてやるという、伝統芸能精神あふれる対応を見せてほしいものだと思う。
そういう点からは小泉の若旦那よりは、円鏡顔のカメイさんあたりのほうが適任かもしれん、という気がしたりして。
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2003/03/25 |
PC再建のため、仕事がえりに近所のパーツ屋によるのだが、こちらはペン助3号あたりはほぼ最終兵器なのだと思っていたのに、事態はさらに進んでいて、ペン助の4号というのが市場を席捲しているらしいのである。
しかもまずいことに、ペン助4号というのはソケット形状が違うので、当然マザーボードも別物になるし、何より、今までのメモリーが使えないのである。ペン助の4号というのは、形状だけは小さいのに、冷却ファンは無意味に大きいという、なんとなしバランスを欠いたCPUである。
聞くとことろによれば、当然えらく消費電力も大きく、そうパフォーマンスも高くないらしい。一応田舎のパーツ屋であれ、ソケット370のマザーボードは売っているのだが、肝腎のCPUが手に入らないのである。全部誘導爆弾用に買い占められてしまったのであろうか。
早急なシステム回復がさしあたっての目標であるので、仕方なくペン助4でやり直すことにするが、メモリーやら何やらで予算はほぼ倍。これで素直に再起動できる可能性はまずなく、起動ディスクにあったファイル群はほぼパーになる可能性が高いことを思うと、少々寂寞感がつのる。
こんな風にハードレベルでも、買い替えを迫る戦略進行がされているのかと、ちょっと鼻白みである。なんかちょっと妙だぞ、と感じるのは私だけなのだろうか。
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2003/03/24 |
家に帰ってメールチェックしようとしたら、PCがご逝去あそばされているのに気づく。どうも、CPUの冷却ファンがいかれて熱暴走してしまったらしい。再起動しようとしても電源すら入らないので、マザーボードごといかれた様子である。この前ブロードバンドルーターなるものを買い増しして、もうPCをルーターとしては使っていないのだから、使うときだけ起動するようにすればいいのに、つけっぱなしにする癖がついてしまっていた。
M/BとCPUへの出費を迫られるのも痛いが、また組み立てやらインストールに時間をとられるのがかなわん。今のところノートPCでも用事は済むのだが、今までのデータも救済したいし、やはり再組みなおししかないだろう。なんて言って、別にすることもないから、暇つぶしになっていいんですけど。
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2003/03/23 |
近所の酒屋に、辛口のスプマンテが800円で安売りされていたので、一ダースほど買い込む。本物のシャンパーニュに比べればイマイチとはいえ、最近のスパークリングワインはなかなかのモノが多い。でも、甘口がメインなんですな。そこでこういう辛口系が安く出ていれば、どっとまとめ買いをすることにしているわけ。
これにあう食い物、ということで魚屋にでかけて生牡蠣を購入。シーズンもそろそろ終わりだからか、20個入りで1500円という安値。私は一般的には刺身は苦手だが、なぜか生牡蠣は大好きなのである(それと、人におごってもらう場合のフグ刺しも)。殻剥きも得意で、20個ぐらいなら、五分かからずに剥けてしまう。
さすがにこれだけではいかんので、牡蠣のとなりで不気味な姿をさらしていたオコゼも買い、アクアパッツァ風に仕上げてメインにする。オコゼというのは、あんなに見苦しい姿なのに、なんでこんなにおいしいのだろうと思いますなぁ。きっと神様が自分だけこっそり食するために、人が敬遠するような姿をあたえたのだ、と考えているのだが違うかな。
というわけで、こうして朝になって日記を更新している次第。
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2003/03/22 |
TVをみていると、このシーズンは妙な「NG大賞」みたいなことを、どの局でもやっている。生放送のNGならまだわかるのだが、ドラマのNGというのは今ひとつよくわからない。結構長い台詞とか、連続シーンでNGが出るのはしょうがないとして、同一カットではなく視点が入れ替わるようなところで、役者が間違うと大騒ぎして始めからやりなおすのがよくわからん。
TVドラマというのは、あるシーンを複数のカメラで追うようだ。そうなら間違ったところのカットからやり直せばいいので、始めからやり直すことはないようにおもう。裏表から撮ってるのだから、間違う寸前のところからやり直し、VTRをつなげばいいと思うのだが。なんで大騒ぎして始めからやり直さないといけないのだろう。アキ・カウリスマキ*ではないのだし。大体、そんなに力を入れても、下らんものは下らんのだから。
*テオ・アンゲロプロスの間違いだった。語感が一緒。一字多いけど。
よく事情をしらない業界に対して、素人がつまらん茶々を入れるべきではないと思うが、これだけは昔から疑問であった。もしかしたら、話題を作るためのちょっとした付録映像としてああいうものをためているのかもな、なんて想像するのである。自分で自分を面白がるようなネタしかないというのは、それはすでに表現行為としての命脈は尽きていると言うことだと思うのだが、違うのだろうか。
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2003/03/21 |
せっかくの祝日なのに、年度末のためバイト医が枯渇しているおかげで、クジ運悪く当直に当たってしまった。
だらだらとTVを見てすごすが(結局家にいるのと同じ生活)、皆で乏しい情報を肴に推測ばっかりの戦争報道にもあきてしまう。ネットでネタの収集に切り替えるが、いまいちパッとしたのがない。ちょっとR指定の範疇で恐縮ながら、最近出回っているという、プーマの偽キャンペーン写真の紹介でもしておく。ヌードを出さなくても、こういう露骨にエロティックな写真が取れるという一つの見本。(これとこれ)一部を消してもなお充分エロいので、本当のCMに使ってみるのもいいのでは。
偽CMではこちらも有名(500K近くあるMPEG)。北欧の携帯電話メーカー、ノキアのCMビデオというふれこみである。ちょっとネコがかわいそう過ぎ。
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2003/03/20 |
結局、対イラク戦開戦ということになったのだが、今までアメリカが示してきた、見当はずれに勇ましい言辞からすれば、えらくグズグズした展開である。やるならやるでわかりやすくドーンと話を進めないと、頭が単純な人たちへのアピールにならんではないかと、ひとごとながら心配してしまう。
最終的には大ブッシュの思いどおりにならなかったとはいえ、前回の湾岸戦争の時にはそこそこのビジュアル映像を展開するだけの余裕があったのに、今度はそういうサービスすらないんだもの。バグダッドの空が完全に白むまで何の見せ場もなかったという一点で、今度の作戦は失敗なのではないかという疑いが生まれましたね。
私なんかもよく、病棟内で治療的な雰囲気を乱す困りもの患者というのに対処することを迫られることがあるけれど、ふだん患者の生活規制だけにしか興味がないのだろうと思っていた看護者などから、「なんとかサンがまた暴力行為をしたので診察をお願いします」なんて、のんびりした申し送りを受けてあきれることがよくある。
理不尽な暴力に対しては、収容所的病院に法的委託されている最大限の暴力的返礼が即時的に適応されるということを明白に示すしかない。すぐさまほかの患者への被害を避けるために隔離し、必要ならヘビーな薬物対応する必要がある。だらだら診察したって何にもならない(もちろん事態の確認は必要ですよ)。こういう管理の基本姿勢が、やれタバコは一日5本まで、小遣いはいくらまで、というようなつまらん規制を作ることには熱心な看護者から、毅然と示されることはまずないのである。要は支配はしたいが責任は取りたくない、という官僚の論理になっているわけである。
治療の場が、なるべく拘束とか鎮圧とは無縁となるように努力するのは当然のことである。しかし、療養生活を強いられる人が、他の患者から理不尽な暴力を受けていいことにはならないし、ふてくされた人の治療破壊的行為が許されることにもならない。「お客さん、店のルールは守ってもらわにゃ困りますな」と、相手に求めるのは当然のこと。
もっともこれは、相手にかなりの弱みがあるから、ある種のゲーム空間に集うしかない精神科病院で通用する論理なのである。国際社会という、多様な生き方の集団が共存するところでは、常に相互理解を基盤にして事に当たるしかないだろう。ギリギリまで努力して、それでダメならそのときは素早く一方を徹底排除するしかないと思われるのに、努力はいい加減、そのくせ変に今になって優柔不断にみえるのが不思議である。まあ、あっと驚く展開が用意されているのかもしれないけれど。
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2003/03/19 |
ちょっと前に、毎日新聞の海外こぼれ話欄のようなところで、「乳製品を多量に摂るとパーキンソン病の危険性が増す」という記事を読んだような気がしていて、確かめようとおもって毎日新聞サイトで検索したがみつからない。そこでMilkとParkinsonなどとGoogleで検索すれば、ここみたいにパーキンソン患者はミルクを飲んで栄養をつけよう、というような記述ばかりが出てくる。
はて、錯覚であったかとPubmedにあたるが、こちらも治療薬が母乳に出るかどうか、などという論文ばかり。しかし、中には嗜好品とパーキンソン病との関連を調べたものもあり、それらによればタバコとコーヒーは著明にパーキンソン病の発病率を減らし、かつ発病者の症状も減弱させるらしい。
結局その関連論文の中に、新聞記事の元ネタ論文も見つけることが出来た。例によって全文は有料なので、抜粋しか読めず、詳しいことはよくわからないのだが、男性にかぎっていえば、多量の乳製品摂取はパーキンソン病の発病率を80%ほど引き上げるらしい。その関連で、ビタミンDやカルシウムとの相関についても調べられているがこちらは無関係という。
多量摂取とはどのぐらいだ、と言うところまではわからないのが難点だが、子供のころさんざん健康のためにはミルクが一番といわれて、学校で牛の飼料用のくそまずい脱脂粉乳を飲まされた世代としては、かなり複雑な思いのする研究である。
少なくともパーキンソン病に関しては、ミルクとかカスピ海ヨーグルト何ぞには目もくれず、タバコはスパスパ、コーヒーはがぶ飲みというのが一番いいらしい。もちろん、ガンなどのことはまた別の話。
それにしても、乳製品って"Dairy"っていうんですな。はじめは"Daily"だと思って気づかなかった。ついでに"Dairy"で日本語サイトの検索をすれば、「日記サイト」がやっぱり山ほどみつかった。自分でも似たような間違いはよくやるのに、こういうことをねちねち調べるのは悪い癖ですな。(『乳製品摂取日記』かもしれず、いちがいに間違いとはいえないかも)
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2003/03/18 |
EBMからは離れて別の話題を。
対イラク戦争が不可避の情勢でこんな話も不謹慎と言われてしまいそうだが、「余丁町散人の隠居小屋」でちょっと前に紹介されていたル・モンドの記事に、「未来の兵隊」というのがあって、これがなかなか興味深い。米軍は2004年から歩兵の装備を一新し、ハイテク電子機器をフル装備させるというのである。
「ランド・ワリアー」と呼ばれるこの歩兵は、レーザー測距装置に熱感知器、ズームカメラ付の銃を持ち、GPSで自分の位置をプロットしながら移動できる。仲間とは常にデジタル通信でつながれ、定時的に状況をメールで後方部隊に報告することもできる。もし誤って仲間を銃で狙うと、警告音まで出る親切さである。
これを読んでまず思ったことは、銃以外の機能はかの米軍配布のフリーゲーム(最新バージョンは2ドルほど取られる)と同じだなということ。もっとも、ゲーム上での機能のほうがまだベータ版風。部隊全員と定型、自由文両方でチャットできるし、自分の位置もキーひとつで報告でき、部隊の仲間の位置も大体知れる。でもはっきりとプロットされるわけではなく、ちょっと離れるとわからなくなることもあるので、しばしば同士討ちが起こってしまうのである。
それと、これはかなり大事な点であるが、こういうハイテクは自分の側にだけ装備されていて初めて有利になると言うこと。相手も同じものを備えていれば、そうメリットはないのである。米軍ゲームは、攻撃側と防御側に分かれて戦うのだが、自分の参加したチームは常に米軍であるように表示され、相手はアラブ系の顔と旧ロシア系の装備をもった武装集団に見えるのだが、相手からすれば、逆に自分たちが米軍であるように見えているのである。つまりゲームでは軍装はまったく同じ条件で戦われているので、位置確認システムとか、通信機能は相手と同等なのである。
結局、自分の陣地を守ればいい防御側が少し有利という、戦闘の常識以上のものにはならない。「ランド・ワリアー」装備が米軍のものだけなら圧倒的アドバンテージだが、秋葉原で揃えられる程度のものでは、どの国もすぐに装備するので同じことであろう。
この「ランド・ワリアー」記事を読んで、ウッディ・アレンの本にこんなジョークが書いてあったのを思い出した。「太古にニュース映像があったら」というようなものだった。
「毛皮の衣服を着込んだ原始人たちが、両手に弓と矢を持って喜色満面になって打ち騒いでいる。喜ぶ彼らの顔の下にテロップが流れる。『奇跡の最終兵器の発明!!これで戦争はなくなる!!』」
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2003/03/17 |
EBM:その醜い真実の姿をあばく、その2。
EBMの儀礼と儀式
折伏と破門
EBMはほかの宗教と同じように、その攻撃的折伏を特徴とする。新しいメンバーは、研究会や討論会などの宗教的つながりや、出版物などを通じて集められる。EBMはまだその専用TVチャンネルを持っていないが、インターネットが次第にその代わりをつとめるようになってきている。最近のグーグル検索では、124万ものEBM関連サイトが発見されている。
他の宗教とおなじように、EBMではその主張を固守せぬものや、教父たちの権威に逆らうものは速やかに破門される。製薬業界の支持を失うのをおそれるため、産業界に職をえているEBM信者は破門される。追放者は無神論か別の宗教的信念をもっている人々の間で暮らすしかない。さもなければ、いまやEBMのKGBと化したニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの監視下に甘んじるかだ。ほかにも、現代的観点から系統だって行われた研究の発表や出版機会を失うといった迫害もある。
EBMの聖職者、そのサインと象徴
我々はここに、礼服に身を包んだ3人のEBM聖職者の写真を示そう(図4)。彼らのソックスとTシャツ、そして手のサインに注目してほしい。EBM信者はその白いソックスで容易に判別がつく。Tシャツは彼らが常に身に着け、決して洗わないのだが、通常は別の衣服で覆い隠されている。手が示すサインは、彼らが同志判別に用いているもので、3本の指で「E」、つまりエビデンスの頭文字を示しているのである。EBM信者たちは彼ら独自の秘密裏のやり方で相互扶助をしているが、しばしば彼らにしかわからない語彙をつかう。例えば「トロホック」*とか、「アロケーション・コンシールメント」**とか。そして、「RCT」とか。これはランダム化比較試験のことを、恐れ多くて直接口にしない場合に使う言葉である。
*注:”trohoc"どうもよくわからないのだが、ある帰結を共有するにいたった集団の、共通に認められる原因を探るような研究方法らしい。たとえば80代で死んだ人々の集団データを得て、80年ほど前に生まれたことがその原因ではないかと推論するようなやり方だと思うが、違うかしら。
**注:"allocation concealment"無作為割付の確実化のことだと思うが、やはりよくわからない。
世界中の政府組織はEBM教の伸長に狂喜している。なぜなら、エビデンスが認められないと認められるような治療手段の抑制なり撤退に好都合だからである。その一方で製薬業界はEBMによって導かれた、より強力な薬物への資金導入を組立てつつある。EBMの止めどもない成功によって、すべての外科施設、公衆衛生組織、そして小児科治療施設は閉鎖に追い込まれることになる。なぜなら、それらの活動はランダム化されたエビデンスを示さないからである。***
***注:吐血しているが放っておいた例と、手術した例を盲検で比べるわけには行かない。まして公衆衛生なら当然。不潔にしてウジ・ハエ・ゴキブリ天国の町と清潔な町をランダム化して、住民に無作為に住んでもらうわけにはいけませんからなぁ。ガキの場合は、ほうっておいたほうが元気に育つような気もするが。
EBMの恐怖の帰結
EBMの宗教的側面を明らかにしていて、我々が発見した極秘秘密は、EBMの野望が、我々の恐れを超えて世界的なものに広がりつつあると言うことの確認であった。
派閥と未来へのかすかな希望
多くの宗教と同じように、EBMにも派閥が生まれつつある。CRAPはそこにかすかな希望をみる。今のところ、EBMは4つのセクトから構成されている。
最後に、EBMはそれ自体をも破壊するだろう、ほかの多くの宗教がそうであったように。しかしながら、CRAPは無為に座してはいない。我々はハーグの国際司法裁判所に、人間性に対する犯罪としてEBMを告発する用意がある。我々の告発は、EBM信者たちに対して、巨大なランダム化比較試験とそのメタ分析からえられた証拠を突きつけて異議を申し立てるものだ。EBM信者が多少は善をなしている部分である。エビデンスなるものはどこにあるのか?非信者や別の信念を持つ人間にとっては、治療効果のエビデンス研究なるものをやめさせるのに性根を入れるときである。我々は自分自身の臨床的自立性という、侵されざる権利を守らなければならない。そのためにこそ我々は困難な仕事を続けているのだから。
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EBMの特殊用語や学会事情に詳しくないので、もう一つよくわからないところがあるが、一見科学的装いを示すEBMという立場への疑問が精一杯示された檄文であるとおもう。BMJには、これに対する反応が現在のところ、長短取りまとめて14ほど投稿されているが、それらもおいおい紹介したい。
これを読んでいて、EBMというのは、かって社会学で一世を風靡したコンピューター社会学の医学部門への応用らしいという感を強くした。科学の一分野ではありつつ、「臨床的」という言葉で方法論的妥当性など常にあいまいにされてきたことへの反動(というか革新というか)なのだろうが、冷静な評価が望まれるところであろう。しょせん「治療」というのは一回性の出来事を「物語」の枠内に収めようとするものだ、というのは事実ながら、ではその法則性なり一般的妥当性はどう保障されるのかという議論は医学分野で充分なされているとは言えないのである。
お前はどう思うのか、と言われるとちょっとつらいんですな。私は人間がもつ直観力とか抽象能力を無前提に信じているところがあるので、やはりEBMという立場には知性の衰退しかみられない。そうは言うものの、トンデモ系の決め付けにあっさりやられる人をみたり、自分もしばしばそちらに惹かれたりする傾向は感じるわけで。なかなか難しいところです。
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2003/03/16 |
昨年暮れにBMJに掲載された匿名論文を途中まで訳していて、そのまんまコロッと忘れていたので、何回かに分けてアップすることにした。内容は治療手段の評価について最近かまびすしいEBM(Evidence Based Medicine)に対するおちょくりなので、あまり一般的なものとはいえない。しかし、薬屋さんの宣伝文句や、医者どおしの会話の語彙にすら影響を与えているEBMについて、批判的な見地から語られたものは珍しいといってもよく(多かれ少なかれ、疑問を持っている人はいるのだが)、紹介する価値はあると思う。なお、EBMへのマンセー的立場の解説はここらあたりが適当かと。
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EBM:その醜い真実の姿をあばく(EBM:unmasking the ugly truth)
自律的実践の回復をめざす臨床家連合著述班
ある朝、BMJの入り口ドアに、奇妙な張り紙が見つかった。BMJスタッフは指示どおりメールをチェックし、ここに全文を入手した。
自律的実践の回復をめざす臨床家連合(Clinicians for the Restoration of Autonomous Practice (CRAP) )はここにレポートをしたため、BMJのドアにくぎで打ち付けておくものである。我々はこれを匿名かつ秘密裏におこなう。それは我々自身を、「根拠に基づく医療」(EBM)という、新たな宗教の大審問官たちの報復から守るためである。我々のレポートは、EBMの隠された目的と、背後にある暗黒面のフォースをあばくため、EBMを推進する動きの中に成功裏に潜入した秘密エージェントがもたらした文書をもとにしている。自分たちは新たな宗教を基盤にしているのではないと、EBMの高僧たちが何度否定しようが、EBMとは、聖職者と教義、典礼、宗教的象徴、そして秘蹟をすべて備えた宗教運動そのものであることを、我々のレポートは反駁しようもなく証明する。この宗教による折伏が全世界的に起こっていて、医師による権威ある医療の存在が脅かされていることを確認できる。CRAPは伝統的価値を保つことを願う全ての人々に結集を呼びかけるものである。
10の掟
CRAPは長らく、EBMとは、この宗教の錬金術的哲学を基盤にした方法論への盲信に基づく、料理本式医療を密かに支持しているのではないかと疑ってきた。我々はいま、EBMの聖書と教義問答集の存在を確認できる。それは我々のメンバーが、最近出版されたEBMの教科書に添付されていたミニCDを再生した際に発見したものだ。それは伝えるところによれば、ハミルトン山の預言者に対して、プリントアウトの形で運ばれたものだそうだ。CDでは「評価試験こそはすべて"All you need is trials"」というバックミュージックにのって、EBMの10の掟が示されている。
このEBM教の小冊子に書かれてあることは、もっとソフトな教義的指示という形で、たとえばコクラン計画の便覧や付随的声明として読むことができる。
EBMの宗教的象徴
EBM教の象徴主義は急速に進化しつつある。これは勇敢な批評家が指摘したように、宗教というものはすべて時代遅れだからだろう。多くの象徴が恥知らずにもほかの宗教から盗んでこられた。例えばEBMのマークはコクラン計画のロゴを拝借したものだし、それは文書だけではなく、こんなところでも古代ファラオの絵文字のごとくもちいられている。
CRAPのエージェントたちによってなされた発見の中で、もっと恐ろしいものは現代的穿頭術であった。それは医学生の頭蓋に直接EBMのマークを打ち込んである、というものだ。(明日に続く)
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いかにも英国式の韜晦ギャグにあふれているために、何のことやらよくわからないところもあるのだが、EBMという流行に対するコモンセンスからの反発がよくあらわされていると思う。医師の権威をそこなうものだという言い方は、朝日新聞式の医療批判からすればとんでもないといわれるかもしれないが、医療から観察力とか共感力をとっぱらって、マルペケ式の当てはめにすればいいと主張しているかのようなEBMの考え方は、ちょっと距離を置いてかかわるべきで、鵜呑みにしては決して医療をよくするものではありえないと私は思う。
この「論文」(?)には多くの賛否両論(もっぱら賛同が多い)が寄せられ、BMJでは今月の最新号で特集を組んでその反応の全てを紹介している。論文後半の紹介とともに、それらも順繰りに訳出していこうと思う。
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2003/03/15 |
昨日のメールに詳細を問う返事をだそうといったん思ったが、さすがにアホらしくなってやめた。不思議なのはなんで私の個人アドレスにあんなのが来るのか、という点。
表紙にさらしているアドレスには山とスパムやウイルスメールは来るが、あの手のインチキメールはそう来るわけではない。自分のアドレスが外部にさらされるのは、通販とか何らかの登録を求められる場合だけなので、素直に考えると、その手の業者が資料を横流ししていると言う事なのだろう。
この前の○クセスみたいな業者だっているわけだが、どうも私の実感では、結構大手の書籍通販を利用し始めて、急に個人アドレスへのスパムが増えたような気がしてならない。あそこからがっちりしたダンボールの箱が届くたびに、このコストはどこから出てきているのだろうとしみじみ思いますからなぁ。
ともあれ、スパムを撲滅しろなんていってるわけではなく、昨日みたいな楽しませてくれるスパムは大歓迎である。ああいうのは、ネットを利用した一種のコンセプチュアル・アートであるといえないこともないような。
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2003/03/14 |
私の個人用アドレスに、今日こんな英文メールが届いた。「連絡こう」という題名で、冒頭に私の苗字がかいてあり、あとにこんな文面がつづく。
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私はアデウェレ・アダムズ弁護士といいます。私は、ナイジェリアのシェル関連開発会社で働いておられた、貴国籍者のケネス・**(ここは私の苗字になっている)氏の代理人をつとめていました。
1999年の4月21日、依頼人とその夫人、そして3人の子供さんたちは、高速道路での事故に遭われ、全員死亡されました。それ以来、私は貴国の大使館を通じて、依頼人の縁者を探してきましたが、成功しませんでした。そして数回以上におよぶ試みの末、こうしてあなたに連絡を取ったのです。
あなたにお願いしたいのは、依頼人が残した財産を、預けてある銀行に没収もしくは引き出し不能扱いにされる前に、貴国に送り返す手伝いであります。銀行は3100万米ドルに上る預金を、10週日以内に近縁者を示さない限り没収すると通告してきました。
この3年、私は近縁者を見つけることができなかったため、私は同じ苗字の持ち主であるあなたに近縁者を名乗って3100万ドルの預金を相続していただき、しかる後に分配することに同意してもらいたいと思います。あなたには40%を差し上げます。私は手続きに必要な合法的書類の一切を準備します。この取引を成立させるために、あなたはよき協力関係を提供していただくだけでいいのです。
なお、この手続きは完全に合法的なものとしておこなわれるので、なんらかの法的訴追をうけることはないと保証いたします。どうかご連絡ください。すぐさま、この問題についてより詳しい相談をしたいと思います。
敬具 弁護士 アデウェレ・アダムズ
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このメールは発信者と宛名が同一で、両方アデウェレ弁護士と称する人物のアドレスになっている。どんな仕組みなのか知らないが、サーバーが収集したアドレスから推定される苗字をどんどん埋め込んで自動発信しているのだろう。ナイジェリアン・スキャムの新手といえる。でもなんでナイジェリアにこだわるんだろう。
いやまてよ、ガセと決め付けるのも面白くない。そういえば、親戚に若いころ出奔したまま、行方知れずになってた奴がいたような気がするなぁ。名前はたしかケンシロウ。英語圏でケネスと名乗っていても不思議はない。同名をたよってあてづっぽで出したというが、本当の縁者かもしれんな。その場合は正当に権利があるはずだから、40%なんてことで我慢することはない。向こうの弁護士には一割ぐらいはくれてやり、晴れて30億円をいただきましょうかね。
さてさて、早速の英作文。「メール、確かに受け取りました。しかし、なんたる偶然でしょう。ケネスはたった一人の私の叔父に相違ありません。貴職に置かれましては、私を近縁者に偽装する必要はなく、正当に相続権をもつ人間として手続きを進めるべく依頼したいと思います。報酬は10%ということで如何でしょうか……」
さて、春はクルーつきの豪華ヨットでも借り切って、派手に地中海クルージングといこう。
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2003/03/13 |
2〜3日前からメールソフトが機嫌を損ね、文字化けのオンパレードになってしまった。個々のメールを表示して、いちいちエンコードを日本語に直せばちゃんと元に戻るので、読めないことはないのだが実にわずらわしい。何もしてないとは言いがたく、実はWindowsUpdateの直後からそうなったのである。懸命に関連ページを参照してみるが、エンコード設定を見直せ、とか、向こうが間違ったエンコードで送ってきているのだろうというようなつれない説明しか見つからない。
実はメールソフトには、悪評芬々のOutlook2000をそのまま使っているのである。セキュリティの観点からも、OSのパフォーマンスの面からも、もっと軽いものを使う方がいいのはわかっているのである。そもそも、Outlook2000というのが妙なソフトで、これを使うときにはタダでついてくるOutlookExpressというメールソフトを削除してはならんというのである。ややこしくならないように、Expressのアイコンを捨てていても、Updateのたびに、デスクトップにまた現れたりするので、わずらわしくていけない。
どうもOutlook2000というのはOutlookExpressのエンジンというか、主要ルーチンをそのまま使う、一種のお面ソフトらしい。違うのかもしれないが、Expressのほうを削除すると使えなくなると言うことからすれば、それしかないような気もする。そんなことはWinを使う人間なら誰でも知っているので、あえて説明はされないことなのかもしれないが、少なくとも私は知らないので類推するしかない。
ウイルス騒ぎがあったころ、Beckyというシェアウエアを買い求めてそちらに乗り換えるつもりでいたのだが、自分のメールアドレスが複数あって、当然パスワードなんか全部忘れてしまっているので、作業が進まないまま半年放置になっていた。なんとかメモを見つけ出したのはいいが、なにせ私はちゃんと住所録を作ったりするタイプではないので、いままでけっこうメールのやり取りして来たような人のアドレスすらわからないのである。そこにメールがあるから返事するので、それがないところでは向こうからのメールを待つだけ。
これではちょっとまずいので、今までのメールを移し変えしようと思ったのだが、これがまたよくわからん。Beckyのほうにはインポート、エキスポートという選択枝はあるが、これで果たして今までに蓄積したメールを移動することができるのであろうか。大体、Outlookのデータというのはどこに置かれているのか、それもわからない。結局なんにもわからない。
「ヘルプ」という奴で何かが解決した経験は私にはなく、当然ほかの人もないはずだ、と思っているのだが、少なくともOutlookのヘルプにはこれをやめてほかのソフトに乗り換える方法なんか親切に説明されているはずもなく、肝腎のBeckのほうでも、Outlookから乗り換える方法という、おそらく顧客の大半を占めるであろう層に対する説明はないのである(あるのかも知れないが、私には発見できない)。
後生大事にMS社の製品にしがみついてきた報いが、こんなところで来ているのだなぁ。米国追従の小泉さんをけなしたりできないな、などと物寂しくふてくされる早春の一日である。あ、てなわけで、メールアドレスで自明な相手以外への返事はどっと遅れるか、もしくは読めないこともあるかもしれないのでご了承の程を。
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2003/03/12 |
(ザンビア発3月8日)警察当局、逃亡者逮捕に魔術師をつかう
ザンビア警察が重要容疑者逮捕を容易にするため、パンツを脱ぐなどの魔術的振る舞いに出ていたことが発覚している。
前外務大臣であったカテレ・カルンバは、多額の国庫金を横領して3ヶ月前から姿を消していた。警察は多人数のチームを組んで、ベルギーにまで及ぶ捜査網を引いたが、彼はザンビア北西部にある自分の農園で、テントに隠れ住んでいるのがわかるまで、なかなか発見されなかった。
警察によれば、魔術師が彼の逃亡を助けており、事実、彼が隠れ住んでいたテントの中に呪術品があるのを発見したという。魔術とそれに対する恐れはザンビアの生活の表層下に根強く存在している。そして、警察自身、容疑者捜査のために魔術師を使っていると非難されている。
カルンバ容疑者は、汚職特別捜査チームに軍の装備資金約1250万ポンドが消えた事件への聴取を求められて姿を消した。警察によれば、彼は二人の魔術師に姿が見えなくなるまじないと、警察内部の立ち聞きができるようにまじない人形を仕掛ける術をかけてもらったという。また太陽電池駆動のノートパソコンで自分への捜査状況を見られるようにもしていたと、警察のスポークスマンは語る。
捜査が迫ったことを知ったとき、カルンバ容疑者は人が隠れるには小さすぎる茂みの影に、まじない品を身につけることで隠れおおせたのだと言う。
現在拘置され、裁判を待つカルンバ被告は、自分は魔術師を使ったことなどなく、一連の疑惑はすべてでっち上げだと主張している。
警察によれば、捜査の間、パトカーが急にガス欠になったり、故障で止まったり、晴天の日に突然大雨が降ったりなどの不思議な出来事に悩まされ続けたと言う。逮捕の後で首都に護送するときさえ、カルンバ容疑者は自分を見えなくすることができたと。
カルンバ容疑者と彼の妻は、警察こそ彼の追跡に魔術師を使っていたと非難する。彼らによれば、警察官は捜査の際、パンツを脱いでいたが、これはザンビアでは呪術のしるしだと言う。黒魔術は裸になることでより効果があるのだと。
警察によれば、パンツを脱いだり、カルンバの隠れ家で見つけた特別の薬草に小便をかけたりしたのは、通常の手順なのだという。また、レビ・ムワナワサ大統領が、この捜査の最後の手段として、魔術師を使うことを許可する文書をだしていたことも示されている。
首都にある国立博物館館長のクリポ・シムンチェンブは、魔術師は死に絶えた後であっても、近代社会に適合した強力な力を及ぼしうるのだと指摘している。
アトランタ大学の人類学者、マーク・アウスランダー博士は、「魔術は前近代の残滓として見られるのではなく、不安定な社会経済のなかで、新しい価値形態を求める絶望的な試みとして、複雑な現代的機能を果たしている」と語っている。
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以上イギリスの新聞記事から。よくわからんところははしょっているが、ほぼ全訳。警察がパンツをぬいでどんな捜査をしていたのか、というのが全然わからんのが面白いと言えば面白い。薬草にオシッコかけるというのは呪術を封じているのですかねぇ。
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2003/03/11 |
イラク攻撃をめぐって米仏の確執があらわとなり、小ブッシュのイケイケ路線にトチ狂ったショービニストがフランスワインの輸入制限を言い出したり、店で売ってるフレンチフライをフリーダムフライと言い換えたり、などというニュースが聞こえてくるが、そうした中、かなり以前に取り上げたことのある、フランスワインに対するある疑惑がまた出てきているのだと言う。
それは、フランスではワインの澱引き(にごりの除去と思っていただけれはいいかと)に牛の血液を使っているという内容である。以前の記事でも書いたように、ある時期には牛血清由来のアルブミンを澱引きに使っていたことがあるのは事実のようだが、いまはまず使われず、もっぱら卵白を使うらしい。大体、狂牛病騒ぎの真っ最中に出てきたうわさだったのに、まったく問題にもならず、今度のような政治的対立期になっていまさら持ち出されるというのが、胡散臭さいっぱいである。
しかもこのフランスワインバッシングは、途中でどう間違ったのか、フランスのミネラルウォーター、エビアンに対しての非難にもなっているのだと言う。エビアンは汲んできた原水を牛の血液でろ過しているという、なんだか意味不明な非難である。何が何でもフランスに難癖つけてやろうと言う思いが、見当はずれの誤爆に及んだのだろうが、非難する側の知性レベルをおのずから暴露してしまった例と言えるであろう。
エビアンにはもともとこんな都市伝説がある。"Evian"という商標は、単なる井戸水を有難がって高い金を出して買う人々の、天然幻想にあふれた"naive"さにつけこんだ商品なので、そういう連中をこっそりあざ笑う目的で"naive"をひっくり返して"Evian"と名づけた、というもの。もちろん実際はそんなことはなくて、エビアンはフレンチアルプスの一地名なのだから、こういう難癖自体、単なる偶然の一致をナイーブに捉える人のでっち上げというか、短絡的思慮の結果であるに過ぎない。
今回もまた、かなりナイーブな帝国主義志向(それもローマ時代あたりの)の持ち主たちによって論難の対象にされているわけだが、あまりに底の見えすいたものであるゆえに、ちょっと都市伝説とか、流言蜚語などにはなりがたい内容といえる。やはり、曖昧模糊としていながらも、何らかの真理の一面をついているようなものでないと、ちょっと人に影響を与えるのは難しそう。
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2003/03/10 |
「脳は美をいかに感じるか −ピカソやモネが見た世界−」(セミール・ゼキ著 監訳:河内十郎:日本経済新聞社)
いやはや、読み通すのにえらく時間がかかってしまった。ほとんど一ヶ月ほど持ち歩いていたのではないだろうか。著者はロンドン大学の神経生物学教授。もっぱら視覚脳の研究をしている人らしい。三日ほど前にふれたソフィー・シュワルツ博士とも、セクションはちがうが同僚ということになる。その手法はファンクショナルMRIなどを駆使した正統的なもので、脳内の知覚モジュール構成を形態と機能双方からさぐるというようなもの。
ごく簡単に言えば、視覚的知覚はその微小要素(色、動き、角度etc)によって脳細胞の分担があり、同時にそれらの情報を相互に参照しあうことによって成立するのだ、ということを検証している人である。ちょっと前まで、知覚は目とか耳とかの受容器官に外界の状況が受動的に反映されるのを脳が受け取るだけだという考え方だったのが、今は脳が能動的に知覚を構成するという考え方になってきているわけなのである。
この、知覚とは能動的な過程であるというところを強調して、著者は画家たちの創作活動というのは、この普通の人が無意識に行っている知覚活動の意識的シミュレーションをしているのだ、というような主張を展開しているのがこの本というわけ。
たとえば我々はある色を持っているものを見れば、どんな照明条件であってもその色を知覚することが出来る。これには自分の持っている知覚データーベースとの照合という経験的作業と、それ以前に脳が行っている照明条件からの自動的色補正という二つの作業の結果それが可能になっているわけである。画家はそうした作業を自分のカンバスの上に再現して、ひとつの視覚的構成物を創造しているというのがこの人の主張。
もちろん、芸術家たちはまったく直感のみによってそうしているので、彼らが最新の脳科学の成果を取り入れてそうしているとか、そういう過程をちゃんと踏むからそれらが芸術的価値があると主張しているわけではない。大体セザンヌの時代には、脳科学なんか存在しなかったわけで。
ほかにも視覚のあいまい性、多重性という特徴を、キュビズムの実験やフェルメールの多義的な絵柄がもつ魅力にひきつけて説明し、一定の形や傾きにのみ反応する脳細胞の機能から、モンドリアンなどの要素的絵柄に簡略化させた抽象手法と関係付けて語ったりしている。
しかし、まず脳科学の説明のレベルでいくら最新の研究成果を語られても、私には昔ながらの網膜印画紙説とどこが違うのかもう一つよくわからない。いくらモジュール化された脳の広範な部分が知覚に関与していても、それを感じる主体の説明にはならないからである。これは著者自身認めていることであり、それは「形而上学」的問題として、さし当たって遠ざけられているわけだが、そこいらあたりに変にこだわるとトンデモになったり、ますます訳のわからんつぎはぎになるという、正当な自覚がそうさせるのだろう。
それならそうとして、美だの感動だのについて触れることなく実験所見の羅列にすればいいのにと思うのに、やはりロマンを追い求める姿勢を崩せないのがこの領域の研究者の弱点というところか。先日のシュワルツ博士がフロイト回帰姿勢をしめすように、この人は美を創造する画家の天才の中に脳機能の精髄を見たいのであろう。
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2003/03/09 |
昼飯のあと、ぼんやりと名古屋国際女子マラソンを観戦。今ひとつ話題の出場選手にも乏しいレースで(優勝した大南選手は別格として)、なおかつ走路周辺への思い入れもない条件では、あんまり真面目にみる動機がないので、もっぱら興味は沿道で伴走しようとする連中の観察である。
マラソンには必ず、沿道で選手と並んで走って、旗を振りながらVサインなんぞを出しているアホたれが出てくるもので、場合によっては迷惑にもコースに出てきて警備陣に取り押さえられる本格派までいる。そういう連中を見ていると、スポーツ生理学知識の確認になってなかなか面白い。
今日のレースでも何人かそういう連中がいて、しかも名古屋という道路の幅だけは余裕のある街のお蔭で、たっぷり観察できたのである。今日の記録である2時間25分からすれば、選手は大体時速17キロで走っている。ということは大体100mを20秒で走るスピードであるわけだ。子供の運動会にでるオヤジの場合、100mを20秒で走ればまずダントツで一位になるのは間違いない。
今日のレースで、私が気づいた中では8キロ付近で結構粘った伴走者がいた。大体500mちかくトップと一緒に走っていたのではないだろうか。時間にすれば1分40秒である。素人ではなく、多分実業団の同僚か、市民ランナーとしてもかなり上位に入る濃いフアンであろう。
プロの長距離選手が走るスピードを素人が走ろうとすると、いわゆる無酸素パワーといわれる、短距離瞬発モードの筋肉運動をしないと追いつけず、その場合のパワーはクレアチニンリン酸(CP)という物質に蓄えられているエネルギーを使うため、理論上は40秒たらずしか持続できないのである。
長い時間の運動を続けるのは、アデノシン3リン酸から2リン酸に移る生化学的エネルギー差をTCAサイクルで補完するモード、いわゆる有酸素運動といわれる筋肉運動形態になる。これなら運動器官の損傷がない限り、理屈からはいくらでも続けられるが、実際はそれに必要な酸素補給とか、血流維持の体制がないと無理。若いころいくら鍛えていようが、その後何もしていなければ、とろいジョギングを続けているだけの素人にも、10kmの競争すればまず勝てない。
今日のレースに出てきた伴走者たちも、その理論的制約を見事なまでに示してくれていた。大体、150mほどしかついていけないのである。時間にして30秒ちょっと、CPが枯渇する寸前のところである。彼らが今頃味わっているであろう筋肉痛や関節の不具合に敬意を表し、TV局はああした局所的伴走者の中から優秀者を選び、住所氏名を特定した上で賞を贈るべきだと思うのだがいかがなものだろうか。中途半端な伴走者一掃に効果あると思うんだけど。
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2003/03/08 |
4月はじめに近所のスタジアムで開かれる、Jリーグの切符をネット注文していて、今日届いたのを見てみれば、なぜかこちらが頼んだつもりのJリーグ第一節の試合ではなく、ヤマザキナビスコカップ予選の切符だった。日にちからして週末でないので行けるわけがない。
まさか、とおもって予約確認メールをいま確認すれば、これは自分のほうが間違えていたらしい。ナビスコカップの方の予約確認が届いていたからである。どうも子供のころから、あのパサパサのナビスコリッツは気にいらなかったが、こんなところで大損の片棒担いでくれるとは、と言う気分。大体、リッツというが、あれはなんなの?クラッカー?ビスケット?
どうもここ最近、ネット通販に運気の流れが向いていない様子である。結構確認しながら予約したつもりなんだがなぁ。やっぱりボケて来ているのかなぁ。仕方ないので、パートのほうの職場にある地元チーム応援団の連中に、ナビスコカップのチケットは泣く泣く寄付することにして、もう一度リーグ戦の方を取り直しする。
これでまたシステムの不備などが原因で、別のチケットが届いたら、そのときは晴れて大切れの大騒ぎしてやるぞ、と一大決心を固めた次第。
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2003/03/07 |
先日リンクに加えた「余丁町散人の隠居小屋」に、フランスのクオリティペーパー、ル・モンドの記事紹介が定期的に続けられている。最近はこれのおかげで、気分はほぼパリジャンである。「何とかの手習い」で始められたそうだけど、本物のエリートはちゃいまんなぁ。そこで、3月6日に紹介されているのが、「フロイトなしに夢を見ることが出来るか?」という題目の科学記事であった。(元記事・散人氏による和訳)
ロンドン大学の女性神経科学者、ソフィー・シュワルツ博士の研究を紹介する形になっているのだが、その論調がなかなか面白い。シュワルツ博士の研究内容というのは、常識的な神経科学知見にそった、そう突飛なものではないと思うのだが、彼女のユニークさは、そういう知見をフロイトの夢理論が実証的に示されたものだと、堂々と主張するところにある。
精神医学ではよくあることだが、神経科学をやる人にも、その動機が精神分析理論であったという場合は数多く、ある種の屈折を経るからか、大概の人は若いころマルクス主義者だった保守派知識人みたいに、その疑似科学的側面への嫌悪感をあらわにするものである。もちろん、幾分かのロマン的憧憬を開陳するのはやぶさかではないにせよ(これは転向保守派も同じですな)。
しかしどこかで書いたけれども、例えば心的外傷体験が海馬の解剖学的構造を変化させるというような生物学的発見(ホントに普遍的なのかは別)に対しては、生物学原理主義的な研究者でも、「フロイトもある意味では間違っていなかった」などと、まんざらでもない態度を示すのもまたよくみられること。それがこのシュワルツ博士においては、かなり徹底しているのである。そこが人文主義伝統の色濃い、フランスの文科系ジャーナリストに注目された理由であろう。
この研究者について調べてみたら、幸いなことに主論文はほとんど英語で、しかも自分のサイトで全文をPDFで無料公開してくれている。脳科学、神経科学の発展は、めぐりめぐって19世紀の内省的的夢研究の主張を補強するものになってきた、といってるらしき論文を見つけて流し読みしてみたが、いまいちピンとこない部分もありつつ、ある種最近のトレンドの一つでもあるように思えるので、もうちょっと詳しく読み込んでみるつもり。そこそこ面白かったら、そのうちかいつまんで紹介してみたい。
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2003/03/06 |
身体的な処置をしていて、ミスとはいえないまでも、信じられないようなまずい偶然が重なって、やればやるだけ事態が悪化していく、ということは確かにあるのだけれど、これはなんぼなんでもちょっとね、というようなニュース。
バーミンガム発、3月5日。BBCニュースより。
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バーミンガムの産婦人科医、アンドリュー・ジビニジー*は、堕胎手術中に患者の子宮を突き破ってしまい、右の卵管と卵巣を取り出したうえに、右の尿管まで引き出してしまった。
腸の一部が出てきたときに、やっとこの医師はまずい事態が起こっていることを認識し、バーミンガム・カルソープ・クリニックの同僚に助けを求めた。女性患者は救急処置によって命は助かったが、右の腎臓を摘出する必要があった。
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なんだか、「ピンクパンサー」のクルーゾー警部がオペをやっているみたいだ。この医師は以前から、同僚に臨床能力を疑われていただけでなく、患者へのハレンチ行為も指摘されていたのだという。その他にも、いくつか指摘されていた医療ミスとあわせて、現在聴聞が進行中とのことだ。
なお、件の患者に緊急開腹手術が行われたとき、腹腔内には胎児がそのまま残されていたという。
*"Andrew Gbinigie "読み方わからん。この名で検索してみれば、これ以前にも医療行為の制限命令などの処分を、しょっちゅう受けているリピーターみたい。
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2003/03/05 |
ちょっと前のことだけれど、殊能将之さんのサイトで、コール・ポーター作詞作曲のスタンダードナンバー、"You'd Be So Nice to Come Home to."について書かれていて、「この曲名を『帰ってくれればうれしいわ』と訳したのは、大橋巨泉の世紀の大誤訳」とされているとの指摘があった。
まず、大橋巨泉が題名を訳したというのに驚き。この歌は1943年に作られていて、戦争中には入ってこなかったろうけれど、ヘレン・メリルの有名なバージョンでも54年、大橋巨泉はまだ二十歳そこそこだったはずなのだが。昔はこういう洒落たことにかかわる人材が乏しかったんでしょうかね。
確かにあの歌はなんだかわからなかった。ヘレン・メリルの歌声はやたらにセクシーで、あんな吐息で迫られて、旦那はなんで帰ってこないんだろう、もうかんべんということで出て行ったのか、などと腑に落ちぬ思いを続けていた。F.シナトラ版などをきくと、全く未練がましさというものを感じさせず、とても題名から連想していた「浪曲子守唄」的状況とそぐわないのであった。
殊能さんによれば、というよりジャズにくわしい人ならどうも常識であるようなのだが、あれは本当は「あなたのところに帰れたらうれしい」という意味なのだそうだ。作製年代からすると、もともとは戦場で故郷の恋人を思う兵士の気持ちを歌ったもの、という意見が正しいような気がする。(もっとも、実際はこんなミュージカルの挿入歌なので、たまたまそういう状況にある兵士たちに好まれた、というだけのことなのかも)
どうもコール・ポーターの英語は正統的とはいえないらしく、あの題名をただしく書くなら、"It would be so nice for me to come home to you."であるようだ。そんなに勝手に修正していいのか疑問ではあるものの、確かにこう書き換えると実にわかりやすい。初めて聞いたときからずっと続いていた、"to"への違和感が、やっとおさまりどころがついた気分である。
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2003/03/04 |
毎日新聞によれば、「ピッキング用具などの不当な所持を取り締まる『特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律案』が4日、閣議決定」されたという。これによって、「正当な理由なく」こうした「開錠専用工具を所持、販売すること」が禁止されるという。正当な理由とはなんで、しかもそれを誰がどう認めるのかかなり疑問ではある。世の中は広く、こんな例だってあるのだから、ちょっと心配するのである。
昔、同僚だった外科医に、「趣味はピッキング」という人がいた。鍵屋さんなんかにおいてありそうな、本物のドアノブやいろんな鍵がついているミニチュアのドアを持っていて、暇な時間にはそれをいろいろと工夫して、すばやく開錠するのを楽しみにしていたのである。もちろん楽しみだけでなく、そういう技を極めることは、本業の手術とか内視鏡やカテーテル検査の腕を高めるのに、とても役立つのだそうだ。ルイ16世の趣味みたいなものである。あれは錠前作りだったかな。そういえば彼の奥さんはマリー・アントワネット系の人だった。
彼の場合、鍵をつけたままロックしてしまった車とか、管理が悪くて鍵が紛失した病院の物置などの開錠に、多大の寄与をして職員や同僚に感謝されていたので、そういう連中が上申書でも書けば「正当な理由」として晴れてピッキング用具の所持と、その技術研鑽が認められるのだろうか。いろいろ細かな例外規定をつけるのも大変だろうから、この法律にはぜひ自己申告によるアマチュア公認ピッキング技術士の制度も、くっつけておいてもらいたいものだ。
「アマチュア公認ピッキング技術士は、公共の福祉に反しない範囲で、鍵の紛失にともなうトラブル解決への技術提供依頼に対して、対価をもとめずこれに応じなければならない」、なんて規定がついていれば、かなり世の中のためになるのではと思うのだけれど。
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2003/03/03 |
まず、こちらのサイトをご覧頂きたい。
青い水晶玉の画像の横に、99から0までの数字と、それと組み合わせになった30個足らずのシンボルマークの一覧が掲げられている。あなたはその中から二桁の数を任意に選び、10の桁の数字と1の桁の数字をたす。99を選んだら9+9で18である。この数を元の数字から引く。今の場合なら99−18=81である。先ほどの数字表からその数字を探し、横に書いてあるシンボルマークを覚えておく。
そして、青い水晶玉をクリック!アーラ不思議、水晶玉にはあなたが密かに覚えた数字から導き出されたシンボルマークが浮き出てきたではないか。"Try Again !"で再挑戦してみると、計算を間違わぬ限り、百発百中であなたの覚えたマークは当てられてしまう。このページは今結構米国で有名になっていて、ネットやPCにはやはり魔術的な力が及んでいるのだと勘違いする人も多いのだそうな。(こちらにその解説あり)
これは誰でもわかるように、10桁の数字をX、1桁をYとすれば、(10X+Y)−(X+Y)の計算をしているわけで、答えは常に9Xとなり、90台の数字をえらべば81、80台なら72、以後9ずつ減っていって、10台は9となる。つまり、9の倍数にあたる部分のシンボルマークを同じにしておけば、何を選ぼうが絶対にあたるわけである。
いつも同じでは面白くないので、フラッシュをつかって毎回違うシンボルマークが割り当てられた表に替えられ、そのマークが水晶玉に浮き出るようにしてあるということ。これに「神秘」を感じるようでは、ブッシュさんの支離滅裂演説に合衆国の大義を覚えて、感激してしまう人がやたら続出するのも無理はありません。
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2003/03/02 |
寝起きの悪い日曜日の朝はNHK教育の「新日曜美術館」で始まる。先週がH・ボッシュで今週はブリューゲル(父)なので、2週続けてお好み系である。それはいいのだが、ゲストがブリューゲルの絵をさかなに放談するなかに、その細密的書き込みの例として、「背景に火事がおこってたりねぇ」などと言っていて、はたと考え込んだ。
背景に火事が起こっているブリューゲルの絵というものを見たことがあっただろうか?と。確かに、ナガシマさんが出てくるコマーシャルの画像で、そういうものは見ているのだ。でも、その元絵を私は見たことがない。ブリューゲルは人気の高い画家で、その絵をかなりの数、ネット上で鑑賞できるが、あのセコムCMの元になった絵というのは、半日かかって調べたが画像が出てこなかった。
CMの画像はすぐに切りかわるので詳しいことはわからないが、いかにもブリューゲルの絵という感じではある。でも、「冬の狩人」の構図に別の絵をはめ込んだだけのような気もせんではない。簡単な解説本を読んだことと、数少ない美術館経験から決め付けるのもおかしな話だが。なんか、同じ構図で夏の風景の絵があるというのを、聞いたことがあったような気はするのだけれど。それにしてもネットでその画像が見つからないのが不愉快。
というわけで、諸賢の中にその「ブリューゲル(父)の絵で、遠景に火事が入っている絵」というものをご存知の方がいたら、できればネットの画像URLを併記して教えていただければ、と虫のいいお願いをする次第である。
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2003/03/01 |
【先月号までのあらすじ】安物のデジカメがほしくなったWebmasterは、ある通販業者にそれを注文しましたが、業者は注文をいったん受けつつ、品薄を理由にその取引は無理だと断ってきました。しかし、カード決済だけはするので、代金は振込みで返済するからと取引銀行の口座番号を教えろと言ってきたのです。この業者の態度に疑念を抱いたWebmasterは、それは詐欺の一種だと業者に通告し、カードは無効化したのでした。
業者からメールが来た。業者が言うには、自分のところのカード決済システムは、カード会社ならびにその番号が一切自分のところにわからないシステムであるので、注文段階ですべて決済処理が済んでしまうのだという。したがって、自分のところではキャンセルすら難しいので口座での返金を提案したのだと。そのくせ、彼らの言を借りれば、「口座の件をお断りいただきましたのでクレジットのキャンセルの処理はさせていただきました」とのこと。
よくこういう矛盾した言い訳が言えるものだ。「クレジットのキャンセルの処理」なるものができるなら、はじめからそうすればいいのでわざわざ口座返済などする必要もない。苦し紛れの言い訳を恥ずかしげもなく言うのはいいが、ますます筋が通らなくなるのにも気づかないのだからあきれてしまう。大体、カード会社のほうでは、そういう先行決済というものは認めていないし、現にその会社が私の口座への接触をしてきた形跡はないといっているのだ。
この業者は「メーカーが製造中止にした」、などといって取引が出来ないといってきたのだけど、別の大手通販業者に頼んだら今日製品が届いてしまった。思うに、どうもはじめからどんな注文にもそういう返事をして取引を中断し、金だけ引き落として逃げるつもりでいるのではないかな。ここで業者名を晒したいところだが、事実関係がもう一つわからないのでそこまで出来ない。もし、通販を利用しようとして心配な人がいたら、最低限代金引換を選ぶようにされたらいいと思う。それが出来ないような業者は利用しない、ということで。