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更新日記

 2001/06/30

今年ももう半分終わってしまった。まるですくった砂が手の間から落ちていくように、残された時間が少なくなっていく。しかもそこでは、いままでどおりの活動が保証されているわけではないのだな。このまま上滑りの人生を送っていって、はいタイムアップですよ、となった時、素直に受け入れられるかどうか自信がない。

こんな気分になった時は、慢性分裂病の人とのんびり話すのが一番だ。いやな言葉なんだけれども、彼らのもたらしてくれる「癒し」は根源的なものがあるように思う(こちらは向こうを癒せないけど)。カルテに「人格水準低下」と書きながら、これは一つの理想的ありようなのでは、などと思ってしまったりする。もちろん、諦めきれずに無用の戦いを仕掛け続けている人だって多いのだけれども。

 2001/06/29

CGIアレンジにもいい加減あきてしまい、本来の仕事を、と思っていると、こちらの努力とはほとんど無関係に、急性期の人がバタバタと軽快退院してしまい、することがなくなってしまった。残りは10年20年の古強者ばかりで、とてもすぐにどうこう出来る相手ではない。今のところ平穏無事に院内適応を続けてもらい、何らかのチャンスを待つしかない。ここで強引な「社会復帰」の働きかけをしても、結局本人や、支援者を疲れさせるだけになったりする。診察していても、こちらは「いやはや困りましたな」ばかりで、逆に向こうから「仕方ないんだから、そんなに気にしないほうがいいよ」となぐさめられたりする。

 2001/06/28

院内ネット用のCGIなどをごそごそといじくっているうちに一日が終わる。空床の問い合わせなどが煩雑なので、日記用のフリーCGIを流用してネットで見られるようにしておけばいいのでは、と思ったのが運の尽き。CGIを動かすためにはApacheの設定ファイルを変えにゃいかん、てなことはまったく知らなかったので、はじめのうち全く動かず、半狂乱になってネット検索し、やっと動き出す。ついでなので、病院運営への提言などを匿名で話し合うといいのではと、掲示板CGIもいれてみる。誰も仕事せず、掲示板でケンカしているような2ちゃんねる状況を想像して、ちょっとおかしい。

 2001/06/27

昨日ふれたD-Playerという韓国のフリーソフトだが、何であれがフリーなんだろうか。トロい動きの3Dキャラを作るだけで、強気の値段つけているセコいソフトもあるのに。あれはやはり、キャラクターとダンスを組にして商品化をするという狙いかも。CD販促戦略用に使おうとするレコード会社をターゲットにしたら、まとめて開発費が回収できるのかも。

いずれにせよ、タダというのはいいものだ。ヴァーチャルエアロビインストラクターとして、病院のレクリエーション用に使えそう。

 2001/06/26

掲示板のほうで紹介されていたサイトから、こんなところを見つけた。ネット先進国の韓国でリリースされているフリーソフトに、ちょっとしたお遊びを付け加えたものだ。(本家には黙ってやってるらしいので、言いつけたりしないように)

マキコ&ジュンイチローの3Dキャラが、さまざまな背景で踊りまくってくれる。バックミュージックの選択は、個人的にはホルガー・シューカイの"How Much are They ? "が最高。

 2001/06/25

今夜の筑紫哲也がやってるニュースショウで、40前のオッサンが獣医学部に入りなおして頑張っているという話が特集されていたのだが、やりたい事をやるのは人の勝手であって、好きなようにしたらいいとは思う。でもその人が憑かれたように「親父として頑張る姿を娘に見せたい」というのはまるで理解できない。不気味ですらある。

親子なんぞ他人の始まりであって、片一方の思い込みが相手に通じる保証なんぞどこにもない。こんなに頑張っているのだから、娘はそこから何か受け取ってくれるのでは、という発想はそのままストーカーの思い込みと相似している。マスコミなんぞに煽られて、なんだか歪んだ父性を目指すというのは、無意味かつ有害なエネルギー浪費だと思うのだが。獣医になってせこく儲けてやろう、と要領よく立ち回る、ということではいかんのかね。

 2001/06/24

昨日は御徒町で降りてオーディオ関係の店をいくつかチェックし、ついでに自転車パーツの店などもひやかして、電気街ハートランドに進出し、数少なくなったアマ無線の店から、秋月通商周辺の怪しい電子機器店を一回りし、駅前の妙な電気バサールを巡るという昔からの定番コースをたどったのだが、あまりの密集したオタクパワーに力負けしてしまう。昭和40年代前半の日本橋を思い出す繁盛である。

そのためか帰宅してから足がつるという醜態を演じてしまった。私はちんたらフルマラソン走ったりするのは今でもなんとか出来るが、目を血走らせたオタク達をかいくぐって買い物するというには、いささかパワー不足のようだ。

 2001/06/23

都内でお食事会があるので、ついでに秋葉原にでも寄って来る予定。妙なパーツ買ったりするならまだしも、駅前で実演販売している台所用品なんぞを買い込んで後で悔やまないようにせにゃならん。

きのうの夜ここで書こうと思いついたネタは結構面白かったはずなのだが、まったく思い出せない。こういう落ち着かない気持ちで酒なんか飲むと、ろくな事がなさそう。仕事がらみではないし、本関係でもなく、ペット関連でもない。スポーツネタでもなかったような……、と考えていくと、生きてる世界って案外狭いものだと再発見する。

 2001/06/22

措置入院鑑定のことなどをグダグダ書いていたら変に長くなってしまい、「医学業界雑感」に移動した。もっとどうでもいいことで書こうと思っていたことがあったが、忘れてしまった。

 2001/06/21

F・フロム=ライヒマンという分析医は、「精神科医は自分の臨床能力を自己評価の指標にしないほうがいい」と言うような事を書いているそうだ。そんな不確定なものを基盤にしていたら、精神的健康など維持できないというのだ。うろ覚えの孫引きなので、ちょっと違うかもしれない。その上で、自負心をもちたいなら、別の科も勉強して、そちらで得るようにしろとも。私の場合、身体科プライマリケアもある程度平行してやってきたのには、そういう意識もあったのかもしれないな、と思う。

ライヒマンに言われるまでもなく、精神科診療で自分の能力に自負を持つことは実に困難な事だ。もし、一般的な謙遜のレベルすらわきまえぬ、自称天才的名精神科医がいたとしたら、それは単なる自惚れ屋、偶然が織り成してくれた幸運を自覚できぬ厚かましさ、自分のやってる事を客観的に判断すら出来ない鈍感さの表現以外の何者でもない。この手の「痛い」精神科医とは何度か同僚になったが、たいがい全面的フォローが必要になる。しかも本人はそれを自覚しない。

と言って、自分が若造だった頃、どこの病院にもいる「慢性精神科医」(中井久夫氏の名言)のすねた治療的悲観主義にイラつかされたことを思い出す。それとは違うつもりなのだけれどな。傍から見れば同じなのかも。もうちょっと考えてまとめて見るべきテーマかも。

 2001/06/20

月初めに、ジロ・デ・イタリアのプロローグでチッポリーニが着た筋肉スーツのことを書いたけれども、実際に見ないと何のことか判らん筈だと画像を探してみたところ、これだけがみつかった。ちょっとアングルと光の具合が悪くていまひとつ判りにくいけれども、雰囲気は伝わるのでは。あの格好をチッポリーニ以外の選手がやっても、まず様にはならないでしょうな。

 2001/06/19

こんな本買ってるところを人に見られたら、しばらく外は歩けないぞ、と思い内容も確かめずにレジにもっていってしまった「読ませる技術」(山口文憲:マガジンハウス)。読んでるところを見られてもまずいので、エロ本並みの注意が必要な本だが、かなり面白い。

のっけから「うまい文章を書く秘訣というのはありません。あれば私がとっくにやっていますし、絶対人に教えたりしないでしょう」とある。あとは全部白紙であっても文句をいえない。それでも著者は親切に、文章の組み立て方を教えてくれて、さえない文章のリライト例までしめしてくれている。ど素人のヘボ文章を放置しておけば、プロとしての優位性が保たれ続けるだろうに、ほとんど自分の首を絞めているとしかいえない。要は下らん事ぐだぐだ書かずに、自分の思考を論理性と程ほどの修辞で展開しろ、ということなんだけれども。言われて出来る事ではないような。

でもね、プロから見れば愚の骨頂と見えるような雑事へのこだわりだけが素人の独自性なので、身近な小さな発見なんて示されても、クソ面白くもないのは見えている。枝葉末節の末端肥大にこそ、素人が目指すべき「読ませる技術」があるのでは。

 2001/06/18

えらい昔の話だけれども、八切止夫というトンデモ素人歴史家に、とことんはまってしまったことがある。トンデモながら、精力的に本が出ていて、次から次に買い揃えたものだった。この人は大会社の社長さんで、自分の出版社から自分の本を出していたのだ。

この人の歴史観をひと言でいうと、日本史は民族間戦争の歴史である、ということだ。大陸や海洋ルートで次々に支配者が渡ってくるのを、原住民たちはある時は妥協、ある時は全面対決と戦略を駆使して独自性を維持して来たとみる。出される本ごとにかなり主張が変わっているのも愛敬だったが、かわらぬのは皇室を「囚われの王朝」とみる所で、原住民たちの統合の象徴を祭り上げることで他民族による統治を容易にしていたとする。その根拠は、というとかなり大胆かつ無謀なロジックだけなんだけれど。

とにかくこの人のこじつけ発想はすばらしく、源平の闘いというのは、平氏=アラブ系海洋民族対源氏=大陸系騎馬民族の支配権をめぐる闘いで、勝利した源氏の大将が原住民系と妥協してしまうのに怒った原則派=義経は援軍を求めて大陸に逃亡、元寇というのは結局騎馬民族本隊の源氏原則派への遅すぎた援軍であった、と言うような説が目白押しなのだ。

白土三平とか、五木寛之などがこの人の歴史観をぱくったと言われているらしいが、中世史の網野善彦さんなんかも、発想の原点にこの人のトンデモ学説をなんとかサルベージしようという思いがあるのではないか、と疑ったりすることもある。

そんな経緯からか、本屋で「源平合戦の虚像を剥ぐ」(川合康:講談社選書メチエ)なんて本を見つけ、おもわず買ってしまった。内容は八切史観とは何の関係もなく、源平内乱の軍事的ダイナミズムを掘り下げて、「平家物語」的脚色を排しようとする意欲的なもの。古代王朝制度をそのまま軍事的に簒奪した勢力と、反乱軍として制度的にフリーハンドを得た勢力との闘いが源平合戦の本質であって、必ずしも氏族間の闘いではなかったらしい。大体、頼朝の盟友である北条氏とか千葉氏って、平氏なのね。

でもやっぱり、アラブ系対モンゴル系の闘いとするほうが圧倒的に面白いな。「新しい教科書を作る会」の皆さんよ、この程度のトンデモを主張してくれるなら、私はいつでも味方になります。

 2001/06/17

またもやメールをためてしまった。日曜日にはメール返信、と堅く心に決めていたのに、いざ書き始めると数通でダウン。最近のものには返事しやすいが、一月以上も放ってあったメールには、どんな言い訳すればいいか、などと考えてさらに放置を重ねることになる。

サイトを公開しておいて、しかもメールアドレスも公開して、実際にメールが来るといやな気分になる人がいると言うが、ちょっと了解できない心性である。私の場合、返事をなかなか書かない理由はただ怠惰だけ。

 2001/06/16

こんなこと言ってもしょうがないとは思うのだが、トヨタのブレビスのCMだけは何とかならんだろうか。購買動機を差別化する、という王道を目指しているのは判るが、差別化を通り越して、張り倒してやりたくなるようなユーザーモデルを提示するのはいかんと思う。あの広告戦略では絶対に売れない事を予言してもよい。

昔、山崎務がやってた、「私とロシア・フォルマリズムについて語りませんか」の名CMを思い出してほしい。あれには「つまらん無個性商品に、無理な差別化してゴメンね」という自己言及的批評精神が感じられたが、ブレビスにはそれが微塵もなく、バブル期のように浮ついた消費の快楽をアジっているだけだ。そんなのに乗せられる連中なら、こんなせこい車でなく、ジャガーでも買いますわな。

 2001/06/15

掲示板のほうで予告していた、プラセボ効果に関する記事を[都市伝説」のほうにアップ。もっと軽妙にするつもりが、えらく中途半端にくだくだしいものになってしまった。「業界雑感」のほうにふさわしいものだったかも。

意外に思われるかもしれないが、一般的に精神科医にこれを使う人は滅多にいない。というのは向精神薬という、近代薬物のなかでもかなり効果のはっきりした薬剤を使い慣れていて、メリケン粉やら塩水などでは相手に見透かされることを実感としてよく知っているからだ。逆にいうと、プラセボで誤魔化そうとする精神科医と言うのはかなり鈍感にしてヤブだ、といえるので、覚えて置かれるといい。(ほかの科でも同じかな)

 2001/06/14

池田小学校事件について最後の追加。この事件でトラウマを受けた子供たちに対して、様々な援助手段が検討されているとのことだ。カウンセリング専門家の派遣から、校舎の建て替えまでさまざま。

そんなにおんぶで抱っこの援助など必要なのだろうか。私は結構長い間この商売をしてきて、正直なところ、人間というのは結構図太いものだ、というのが基本的認識になっている。精神の危機は、表面的ストーリー展開から生じるものではない、という実感だ。まして子供である。可塑性に富んでいる。単に専門家と呼ばれているだけの人が、援助してやるんだぞとズカズカ入り込んで、「精神外傷→言語化による癒し」というような単線的な因果を押し付ける面接なんかしたら、悪影響のほうが多いんじゃあるまいか。

私は子供や家族の負担を増やし、見当外れの神話を押し付けるだけの専門家は山ほど見てきたが、役に立った例など見たことがない。そりゃ、本当に役に立ったら、私らの所には回ってこない訳だけれども。新聞記事で、ある親が「おびえる子供に何も言えず、ただ抱きしめてあげました」と言っていたが、これが周りの人間が出来る全てであるように思える。

我々は理不尽な悲劇が起こりえる世界に住んでいること、しかしほとんどの人は互いに理解し、愛し合いたいと願っていることを伝える、と言う事だ。政府派遣の専門家がそれをやってくれりゃいいんですけどね。

とりあえず、実行犯の事後従犯でしかないマスコミの、無責任かつ無神経な取材から子供たちを守ってあげる事が、さしあたってもっとも効果的な対策だろう。まあ、これならどんな人でも体を張れば出来ますな。

 2001/06/13

自宅のネット環境が高速化して、快適この上なし、と言いたいところだが、職場のほうが128Kなので、こちらでのイラつきが増しただけ、というのが正直なところである。一年前まで64Kぐらいで文句も言ってなかったのに。ほんと、スピードは麻薬です。

 2001/06/12

契約しているCATV会社よりメールが届き、いままで上下384Kbだった回線が、下りだけは突然2Mbになるのだという。地域の会社だったのが、先ごろM$と合併し、サービスがイマイチになっていて、別にADSLも使えるようになったことから、乗換えを考えていた矢先である。

たゆまぬ技術革新にむけた研鑚の結果、というよりはヤバくなる前の目先のリップサービスという雰囲気がしてしまうところが、結構真面目にやっていても信頼性を集めるには至らないM$系企業の悲しいところである。7月1日から、という話であったが今日からそうなったようで、少なくともプロバイダーからのダミーファイルのダウンロードに関しては、5倍のスピードになった。

でも、ここが借りているところも含めて大概のサーバーとそのバックボーンは妙にとろいようで、あんまり実感的なメリットはない。どうせたいしたアクセスはないのだから、このさい自前のサーバーにしてやろうか、などと考えたり。こんな非対称な流れのところにサーバーを設置できるのかどうかがよく判らないが、ちょっとそそられる内容ではある。

電気代とか保守の手間を考えると、どこに得があるのかさっぱりわからん話ではあるのだが、何となくそうしたくなるのは不思議なところ。科学技術の本質は、コントロールを自らおこないたいと言う欲求でしかない、という誰やらの指摘の正しさが証明されるところなのかな。

 2001/06/11

CATVではまだ8日目を放送しているジロ・デ・イタリアであるが、昨日全行程を終えてしまった。いまのところの放送分ではトップを維持している選手がドーピングがばれて追放されてしまうし、優勝選手もラッキーで勝ちを拾ったと言う印象が強く、今ひとつ盛り下がった展開だった。

何より一番盛り下がるのは、そうした結果を全部知ったうえで、これから二週間も放送に付き合うことになる視聴者である。どうもTV局の側では、ジロのあとすぐにツール・ド・フランスの放映につないで関心を集めようと言う作戦だったようだが、そいつはちょっと了見違いと言うものだ。この日本でロードレースなんぞ最初から全部見ようという人間は、かなりのマイナー志向の持ち主なのだから、ツールみたいにある程度名の知れたものでは、オタク心がイマイチ満足できないのだ。エキスパート気取りで、ジロあたりにウンチク傾けたがる欲求を無視するという、とんでもない間違いをしている事に気づかないといけません。

 2001/06/10

もうちょっと池田小学校事件について触れようと、前に書いた「犯罪と精神疾患」の続論を書き始めたがどうにもまとまらないので中止。ここで書き加えるだけにしておく。

こういう事件があると精神障害者の犯罪防止のための法律を作れ、と必ず言い出す輩がいる。どうも小泉政権はポピュリストの習性として、そういうのに早速乗っかる所存らしい。学界では左翼的人権団体が反対するのでこういう制度ができない、などと見当外れかつ事実認識からして間違っていることを言っている専門家までいる。そんな制度作っても無意味だってことが、フツーの臨床家に共通認識としてあるだけなんだけれどな。

仮に保安処分制度が出来たとしても、それは刑事罰に相当する事件を起こした患者を、医師の専権事項がない収容施設にいれる、というだけの事だ。どこにも予防的な内容はない。今回の容疑者にしても、以前に措置入院で入院しているが、これがもし保安施設だったら出てこれなかったはずだ、と思っているならそれはちょっと甘い。人に薬入りのお茶を飲ませた、という事件でもし普通の刑事罰を受けていたなら懲役一年程度のものだろう。保安施設だって、もし症状が軽快していれば、本来の刑事罰以上の期間収容することは難しいだろう。何しろ未来予測などどこの誰にも出来ないので、目つきが悪いとか、口の利き方が悪いなどと因縁つけて退所を永遠に引き伸ばすという方法をとることになるが、それをやっていたら、たちまち数万床の施設が必要となってパンクしてしまうことになる。

いまの精神科医療の現状では、かなりの凶悪犯罪を起こした人間でも、措置入院となる場合は私的医療機関が引き受けている事が多く、それはそれで問題なのだが、だからといって公的病院が専門病棟を作って犯罪がらみ患者の引き受けを行ったとして、モラルに乏しい終身収容病棟が増えるだけのことだ。何度もいうが、「予防的効果」など何もない。もし何らかの予防策をというなら、家庭内暴力とか地域トラブルにも積極的にかかわれるような機動的チームを、警察と保健所、病院などが協力して作り上げることだろう。関係者がやれるだけの努力をしてみた上で、それでも駄目だというなら保安処分でも何でも考えればいい。

 2001/06/09

きのうの小学校乱入大量殺人事件で、結局どこも匿名報道はやめてしまったようだ。主治医側の病気と関係ない、という意見も影響したのかもしれない。当たり前のことだが、どんな病気であれ、殺人との間に関係なんかあるはずはない。自分はある種の陰謀による被害をこうむっているという病的判断をしたからといって、だからその原因を作ったあいつは殺していい、という結論に至るとすれば、それは極端な私的制裁を是とするその人の判断によることなのであって、病気自体が原因ではない。もし、病気で人を殺す事に完全な免責があるとしたら、意識障害下の行動だけだろう(もちろん、自分で意識障害の原因作ってるようなのはダメでしょう、常識なら)。

あなた、職場でヤな上司がいたとして、あんな奴いつか殺してやる、と思うことがあっても実際には殺さないでしょう。確かにある種の精神状態で、軽はずみな事をする傾向があるのは事実だが、大層な行動につながるかどうかはその人の倫理と人格水準によることだ。自殺のための殺人、と本人は説明しているようだが、他人を巻き込んでいいと言う判断は、病的状態とは別のものだ。もちろん、自己中心的理解しか、その時は出来ないだろうから、後になって行為の結果を受け止められず、病的状態にこもる、ってことはありえますがね。

精神科医によって運営されているサイトでも、こう言う事件の原因を法的整備のおくれ、なんて見当外れの意見をいうところが多い。この容疑者に即して言えば、程ほどに社会適応していたと同時に、困った事件を結構起こしているのだ。安全な市民生活の維持が目的という建前どおりなら、警察はちゃんと実情把握に動いているべきなのだ。どうせ相談に行った近所の人に、警察が言ったことは、「はっきりした事件を起こしてないのに、介入は出来ない」という紋切り型回答だったに違いない。病気がらみの人に対して、検察庁から出頭命令出てるから終わりだ、と思っていたとすれば、その使命感というのがどの程度のものであるのか、てのは容易に知れる。

公的病院がこういう人をちゃんと面倒みるべきだ、なんていう専門家もいる。こういう人に限って、精神科医に人の行動を予測する事は難しいなんて言うのだ(手前が診ている患者が事件起こした時の予防線張ってるわけね)。じゃあ、公的病院の医者はあんたには出来ない、神様みたいな未来予測が出来るのか、と言ってやるしかない。自分はやな事はしたくない、というだけならさっさと自費患者だけを相手にして、つまらん精神療法やっていなさい。

確かに、ある種の法的チェックで、刑事事件がらみの精神疾患患者の治療状況を関係機関で共有する、という程度の不愉快なネットワークは必要かもしれない。病院というところは治療が目的のところであって、その人の行動の法的吟味などは本来の役目でもないし、その能力もない。でも、それに前提となるのは、市民生活の基本的な安全を守るという当事者のモラルなのであって、差し当たってその当事者であるべき警察関係者とか、保健所の職員の能力とモチベーションは圧倒的に不足しているとしか言えない。

法律を作ればいい、と言うものではない。このあたりをすっ飛ばして論じている連中は、要は素人と言う事だ。

 2001/06/08

池田市の小学校で起こった大量殺人事件は、病気がらみらしいということで、報道には及び腰の態度が感じられる。一部のTV局は実名報道して、顔写真まで出しているが、多くは匿名に徹している。

もちろん誰が起こした事件であろうが、容疑者の知り合いでもない限り、素顔や実名がわかっても意味はなく、それなりのプロフィールを示せばいいことだ。得意になって(いるかどうかは知らないが)実名報道している報道機関が、人物像をちゃんと分析して報告しているか、といえば全くそんなことはない。

ネットアイドル志向のサイトなのか、名前の紹介に加えて写真ばかりが陳列されているのがある。どこの誰かなんて知りたくもないが、どういう背景を持つ人がどのような契機でこういう情報を発信しようとしているのかがほとんど分からない、というのは妙なものだ。

実名報道というのはそれに似たところがある。世の中に顔と名前をさらして制裁しようという、報道するがわの独善だけは充分感じる。できれば報道する側も、自分の名前と顔をさらしてやってほしいものだ。なに、TV報道ではそうしているではないかって?あれは台本読んでるだけでしょう。

この事件と精神疾患の関わりについて考えることもあるが、それはまた別に。

 2001/06/07

最近掲示板が重くなりすぎるので、20発言ぐらいでどんどん過去ログに収納するタイプのCGIに入れ替えるべく奮闘してみるが、何故かエラーの連続。しまいに頭が痛くなってきたので今日は早寝。

 2001/06/06

ジロ・デ・イタリアの録画だけを楽しみにして帰宅する毎日である。昨年はジロをメインの目標にしているチームの知識がなかったため、今ひとつ楽しめなかったが、今年は自転車雑誌をたっぷり立ち読みしているので、準備は万端だ。

ツール・ド・フランスでもその一端は知れるのだが、ジロでは自転車ロードレースの文法というものがさらに濃く主張されている。これは私が見れば八百長でしかないプロレスを、愛好家が見ればスポーツと表現行為とのハザマに成立する、危ういパフォーマンスとして認識するのに似たところがある。

今日放送された第3ステージでは、プロローグでラッキーを拾ったベルブルッゲという選手がまだマリア・ローザを着ているのだが、こいつがずっとトップでいることなんか、当の本人も含めて誰も思ってはいない。しかし差し当たってのレース・リーダーに対する選手たちの畏敬というか評価は大きい。今日のステージでベルブルッゲが落車し、集団から大きく遅れた。大集団後方でおこったこのアクシデントは選手たちに気づかれず、先頭では二重三重のアタックがかけられた。

普通の感覚なら、トップが脱落しかけていて、それをチャンスだと思うのは当たり前なのだが、長期間協力して空気抵抗を分散させてしのぎ、なおかつ競い合うというステージレースでは、こうした行為は非難されることになる。ベテラン選手は前方のアタックを諌めて集団のペースを落とし、トップ選手の復帰を待たせた。

この競い合いと相互扶助の微妙な釣り合いというものと、日本式の談合体制のどこが違うのか、というのはなかなか簡単には語れない。既得権をとにかく守るという作法と、差し当たっての勝者と同じ土俵で戦うよう配慮する、ということの違いなのだが、ほとんど同じものに見えてしまうのもまた事実。でも文化的豊かさがどちらにあるか、といえば答えははっきりしているのだ。

昨今のニュースで見る田中外務大臣に対する官僚と一部マスコミ一体となったせこいアタックに、イタリアが苦言を呈するというのは、さすがにジロの国だな、と思わずにいられない。

 2001/06/05

一昨日のジロ・デ・イタリア録画中継に関する記載で、レポーターを大安氏と書いたのは大間違い。正しくは白戸太朗氏。別のロードレース中継でこの二人が一緒にレポーターをしていた記憶があって、ごっちゃになってました。

石原行革担当大臣が、私的諮問機関を組織し、そのメンバーに評論家の猪瀬直樹氏などを選んだそうだ。猪瀬氏とは縁がないわけでもなく、あの人が政府関連の仕事をねぇ、といささかの感慨を覚える。いままでの官僚アリバイ追認機関ではなく、新しい発想を吹き込んでくれることを期待したい。

この組織の名称はまだ決まっていないそうで、「行革評議会」とか「行革断行会議」などと憶測されている。行革評議会は今ひとつベタなので、意味は同じようなものだから、「行革ソヴィエト」とか「行革レーテ」なんていうのはいかんかな。「断行会議」はちょっとその意あまりて智足らず、という印象がつよい。猪瀬氏がいるならこのさい、「行革共闘会議」はどうだろう。猪瀬「行共闘議長」の、トッチャン坊や大臣が腰抜かすような獅子吼が聞きたいものだ。

 2001/06/04

MSNの「今日のトピックス」なる特集で、都市伝説がとりあげられ、ついでということでこのサイトも紹介されたためか、朝からアクセスが殺到している。なにせ廉価版貸しサーバーなもので、CGIが何度か落ちたようだ。今日明日ぐらいは2000アクセス/日の人気サイトの仲間入りが出来そう。すぐに中味が見透かされて、いつもどおりになってしまうのだけれど。

一時的アクセス増であって、リピーターになって頂けるようなことはまずない、と判っていても、たくさんの人に見てもらえるというのはうれしいものだ。自閉的勘違いをして増長せぬよう、地道に努力せにゃなと、えらくフツーの自覚をしてしまう。

 2001/06/03

半日がかりでメールの返事を書ききる。20通なんて書いていたけれど、実際はほんの16通でした。なんですぐに返事が書けないのかなぁ。どうもどうも有難うございます、で済ましておけばいいのに、反論すべきところには反論してしまうサガがまずいのだろうな。

CATVでようやくジロ・デ・イタリアの放送が始まったが、なんで実際の開催から2週間以上ずらせて、しかも真夜中と早朝しか放送しないのかようわからん。確かにみる人は少ないだろうが、WWF以下の扱いってことはないのではないか。

しかしサエコの人気者エース、チッポリーニがプロローグで着た筋肉スーツには感動である。ユニフォーム不着用のペナルティなど知ったこっちゃない、受けが一番、というイタリア魂には負けた。

それにしてもレポーターの大安さん、オオクワガタはどうしたの?(一般には判りにくい話でゴメン)

 2001/06/02

この土日こそ、たまっているメールに返事を書こう、と決心したので、ここでごちゃごちゃ書いてしまうと、メール書きに備給されるべきリビドーを浪費してしまうに違いないと思うので、今日は形だけ。

 2001/06/01

私の職場にも、つい先日国家試験をとおったばかりの研修医が、バイトにくるようになった。当然実際の戦力になるわけではないが、免許さえあれば医師充足基準への何がしかの寄与はあるし、大学の医局に恩を売って常勤医派遣の布石にもなるし、という先行投資なのだ。知識経験不足をものともせず、患者さんやスタッフの役に立とうと、溌刺として動く(働くところまでは行かない)彼らをみていると、例の万年筆こだわり指導医にいわれた言葉を思い出す。

「学問などと言うものはしょせん芸事の一種であって、人様の役に立つことなどは二の次である。自分の芸の輝きを常に追及するからこそ、身勝手な芸人人生が許されるのだ。未熟なくせに人の役に立とうなどというのは、目先のへつらいで傲慢さを誤魔化しているだけだ」

唖然として聞いたものだが、そのうちなんとなく分かるような気になった。少なくとも、世の中を渡る営業行為と、芸事志向を混同しないことだけはやれてきたのではないか。いま、若い研修医に納得させるに充分なほど、私の芸はあまり輝いているとはいえないけれど。

 2001/05/31

研修医になったばかりの頃、私の指導医のアドバイスはまず、「いい万年筆を買え」と言うものだった。精神科医は何よりも患者の状態記述に専念するべきだから、読みやすい字をさらさら書くことが出来る筆記具の選定が大事なのだと。その指導医は大作家が使うような特別あつらえのペリカンを使っていた。だいたいその人は、ドイツやフランスの専門書を山ほど訳している、ほとんど物書き業者だった。

私は結局その言いつけを守らず、いや、一応守ろうとしたのだが金を惜しんで中途半端なものを買い、それでは複写の処方箋などではうまく書けないものだから、安物のボールペンに持ち替えたりしているうちにどこかに行ってしまった。ただでさえヘタクソな字がおかげでますます読みにくくなり、カルテ開示など、実現してもまず誰にも読めない自負がある。

石原慎太郎なども恐るべき悪筆らしく、出版社には慎太郎係という判読担当者がいると聞く。自分のことは棚に上げて、ある種の自閉的思い上がりが悪筆の是正に向かわせないのだろうなと考えたりする。見事な達筆で、要点をきっちり押さえたカルテ記述などを見ると、今からでも遅くないから、ちゃんと人に読める文字を書こうと思うのだが、私の場合はどうも空間認知に根本的欠陥があるらしく、一字一字の文字造形以前に、あるスペースに文字列を配置すること自体うまくいかない。メモ用紙にメールアドレスを書こうとして、なぜか、@以下を書くところがなくなってしまったりするのだ。

この歳で日ペンの美子さん門下に入るのもなにだし、ここは筆記具を改善するしかない。と思っていたところ、ものすごく書きやすいボールペンに行き当たった。ゼブラのハイパージェル(太字)である。万年筆感覚で手に力を入れずにすむので、字が下手な人間でもそれなりにまとまった字が書ける。もちろん複写式の伝票などでもちゃんと書き写せる。

ところがいい事ばかりではない。このボールペン、インクの減りがきわめて早い。ちょっと真面目にカルテ記載していると、2日で空になる。近くのホームセンターで10本まとめて買ったのに、半月でもうなくなりかけている。ここは恥をしのんでMRさんにお願いするしかない。使われぬまま引出しの奥にしまい込まれる書き心地の悪い三色ボールペンを儀礼的に持ってくるのは止めて、各社持ち回りでいいから、ゼブラハイパージェル(太字)を週に2〜3本ずつ提供していただく訳には行かないだろうか。

さもしいお願いで5月は終わってしまった。これで半年間、毎日ここを書きつづけたことになるが、もうしばらく今のままで続ける事にする。ちょっときついのだけれどね。

 2001/05/30

昨年ぐらいから、日本でも向精神薬の代替わりが進みだし、抗うつ剤ではSSRIが次々に認可され、分裂病圏に使われる非定型精神病薬もどっと一度に発売されだした。欧米におくれること約十年であるが、ここで自分たちの許認可権をふりまわして、退職後の製薬会社天下りなどの、利権を確立しないといけない厚生官僚にしてみれば、まだ早かったほうかもしれない。

もちろん彼らが最優先しているのは国民を薬害から守ることですよ。欧米ではとっくに使われていて、今認可されている薬よりよっぽど安全で効果も高いことがはっきりしている薬でも、日本人が使うととんでもない副作用があるかもしれませんからなぁ。

おかげで新薬ラッシュとなり、毎日売り込みが激しい。古典的向精神薬と新薬の中間的な薬は一番シェアが奪われる可能性があるので、こちらも防衛に必死である。今日も新薬説明会が開かれ、さもしくも提供される弁当目当てに出席する。昔「プロパーさん」と呼ばれていた頃の営業員の人たちは、とにかく金出して接待すればいいわ、という姿勢がミエミエであったが、「MR」(何の略だったか何べん聞いても忘れる)と呼ばれるようになってからは、学術的装いをメインにして、接待もせいぜい仕出し弁当程度である。

でもしかし、商売でしかない学術的装いというのに付き合うのはきつい。最近はやりのEBM何ぞと言うものが持ち出されるのだが、本当に診断が確かかとか、改善の判定を数値化したって、肝腎のその基準はヒモ付き主観じゃないか、と言い出したらきりがなく、結局弁当だけ食って、呼び出された振りして消えてしまう対応になってしまう。何とか製薬の鳥肌実氏似のMRさん、怒らないでね。

 2001/05/29

普段思いつくままに書いて、あとで推敲なんてしないし、まして酔っ払っていたときなど、翌日見直すとなんじゃこれはと言いたくなる事を書いているのに気付くものだ。メインの記事などは時々変な表現を書き直したりしているが、ここは今まであえてそのままにしていた。もちろん誤字脱字は気がつく限り訂正しているが。

昨日の文章に限り、ちょっと意味がとりにくかったり、くだくだしい部分などは訂正加筆させてもらった。医療事故に対する業界関係者の意見は、しばしば敢えて歪められて受け取られるので、なるべくそれを避けるためである。

 2001/05/28

群馬県の伊勢崎で、出産したばかりの女性がくも膜下出血による意識消失発作を起こして、それがちょうど授乳していた時だったので、母親の体が赤ん坊に覆い被さる形になって両者重体、と言う悲惨な事故があったらしい。

新聞で読んだような気もするが、世の中には運の悪い人もいるものだ、と言う感想で終わっていた。ところが、たまたまこんなサイトを見て、この事件に対する感想は一般的にはちょっと違うらしいと気づいた。

確かに夜中の零時45分になって気を失っている母親と、その下敷きになっている乳児を発見した、というのはお粗末にも思える。でも母親と乳児の親密な時間を看護スタッフが時計を持って監視している環境なんか私なら願い下げだ。この病院はおそらく、母子の接触を重視する方針で対応していたのだと思いたい。充分な巡視体制がなかったのは事実のようだが。

それと、参照したサイトの筆者は、すぐに確診がつかず、手術をしなかったことをもって、変に「責任逃れするな!」と怒りまくっているのだが、残念ながらその怒りは全く見当外れであって、むしろ医療に対する意味不明な幻想を拡大する方向に荷担するものだ、と言うしかない。大概の医療批判もどきがそうであるように。

およそ、ほとんどの病気で「早期発見・早期治療」というのは、全く意味のない医療者側の自己満足もしくは権威付けかつ経営方策なのだが、くも膜下出血においてもそれは例外でない。くも膜下出血で手術適応となるのはただ、「再出血の予防」と言う一点であり、発作後、程ほどに意識も回復して小康状態にならない限り、手術などしても意味はない。

新聞報道を見なおす限り、くも膜下出血になった母親はけいれん発作を起こしていて、それがやっと治まったのち意識障害状態が悪化していったらしく、とても手術適応だったとは思えない。もしそこで手術するなら、それは単なる「経験の少ない脳外科医の開頭術経験を増やす」以上の意味はないはずだ。

このあたりは当の脳外科医たちが、「手術しても別に意識水準が回復するわけではない」という当たり前の事をいうと手術件数が減ってしまうと言う危機感をもっているためか、あんまりはっきり語られない事だ。これは「くも膜下出血 治療」で検索して、現れる記事をちゃんと読んでみれば、ちょっと思慮のある人ならわかることだ。

なんて言いながら、私もくも膜下出血で昏睡状態なんていう状態の人を、何人も手術を受けいれる所に転送するのに付き合ったなぁ。手術は意識を回復するものではない、といくら説明しても、家族は幻想に依拠しようとするものだし、そう言う幻想(もちろんそれを作っているのは医療側だが)を利用して無意味に手術件数を増やそうとする病院はそこらじゅうにあるのだ。そういう医療機関に限って、どヘタ若造の開頭練習に使うだけのくせに、妙にえらそうに対応するんだよなぁ。運命というのは受け入れるしかないのだよ、というのは医者が言ってはいけないことになっているもので、これは仕方がないことかも。

 2001/05/27

メール有難うございました。

分不相応なお褒めの言葉をいただき、まことに有り難く思います。今後も細々と更新を続けていくつもりですので、ご愛顧の程、よろしくお願いします。

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昨日のは、記述に対しての指摘や助言が添えられていたメールに対する返事、今日の分は励ましメールに対する返事。いくらサボっているとはいえ、高々20通ぐらいなんだから、コピーアンドペーストで返事出しゃいいじゃないかと自分でも思うのだが、それでは失礼だと思ってしまい、結局返信しないという、もっと失礼な事をしてしまう。

なお昨日の文章で、「付記を付け」るというのはいけません。馬から落馬だった。

 2001/05/26

メール有難うございました。

ご指摘の件にかんしましては、至急に調査の上、なるべく多数の人にわかりやすい記述になるべく検討し、付記を付けさせていただきたいと思います。貴重なご意見有難うございました。

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メールをいっぱい頂いて、連休中のものまで返事してないので、ここでまとめておきます。どうもいいかげんで申し訳ない。

 2001/05/25

昨日までの気分変調は、要は運動不足による脳内モルフィン不足だったらしく、久々の快晴の下、昼休みにちょっとペースをあげて一走りしたら、たちまちのうちに気分改善。放っていた書類の山をかたづけ、面接などもすべてすませる。こんなに単純なつくりでいいのか、と逆に不安。

ハンセン氏病患者団体訴訟への控訴断念の件について考えているのだけれども、隔離に医学的根拠がないということが昔からはっきりしていたなら、それをずるずる続けたのは明らかに不当なことであり、国が敗訴を受け入れるのも当然であろうと思えるが、国が認めているのは隔離された人々の精神的肉体的苦痛だけなのだ。それを知りつつ放置したという、「立法の不作為」指摘が判決にあることは全く認められないようで、それは控訴断念したいまでも同じだ。高齢患者が多いのでまず救済しよう、こっちの責任については言い分はあるが、あえて控訴しないといっているだけ。

立法の不作為というけれど、要は実際に行政運営している官僚のサボりであるわけで、そこを突いた判例が確定することをおそれるために、当初の控訴した上で和解するという訳の分からん方針があったのだろう。さすがにそれを認めると小泉人気もそれまで、という官邸側の判断か、官僚たちの「肉を切らせて骨を絶つ」捨て身バーター作戦かは知らないが、ああした結論に落ち着いたのに違いない。それ自体はけっこうなことである。それでも国側は、しぶとく「不作為」を認めていないことを忘れてならないと思うけれど。

新聞の投書欄を見ていたら、「議員の不作為はそれを選ぶ国民の不作為である」などと一般論に解消しようとするピンぼけ意見が出ていて、ネット上でも似たような意見がみられた。この国での反動のあり方のひとつに、こういう一般論にずらすという論法があり、先の戦争責任論で、「一億総懺悔」などということが言われたのは有名だ。形式的な責任者を処断してそれでよしとする、もう一方の誤魔化し方と好一対といえる。

実際に隔離政策を運営維持していた連中の責任を問わずに、どうやってあの誤りから得た教訓を今後に生かす道があるというのか。国民皆が偏見のない善人ではなく、それを正そうと動きもしなかったので隔離政策が維持されたと言うなら、あらゆる政策なんて全部現状追認しか出来ないではないか。

私は不勉強にして、ハンセン氏病治療にかかわった医療関係者が、どのように政策の誤りを正すべく動いたのか、と言うことをほとんど知らないが、隔離とは切り離せない精神科医療にかかわるものとして、その歴史を概括的にでも知っておくべきだと痛切に感じた。個々の治療に尽くしているつもりで、国家的犯罪行為に荷担する危険は、いまなおこの領域では残っているからだ。

 2001/05/24

猫への服喪反応と旅の疲れが重なっているのか、体調がよろしくない。深爪するとかの、ちょっとした傷などで炎症が起こるので、免疫力も落ちていることがうかがわれる。こんな時はさっさと寝てしまうのが一番。

 2001/05/23

院内LAN構築は遅々として進まない。工事だけは終わったのだが、全く新しく作ったわけではなく、レセプト用のサーバーシステムなどはすでに存在し、一部それらが使っているラインも借用する形で配線されたので、その経路はまるでカスバか九龍城のごとき混沌を呈している。

各末端の接続を確認しようとPINGを打てば、まるっきり違うIPから返事が返ってきたりする。とても半知零解の人間には手におえそうにない。前の病院のときみたいに、素人っぽいネットを立ち上げて、糸電話ごっこみたいな事をして遊ぶのでは投下資金に釣り合わない。ここはやはりプロの手を借りるしかないようだ。

しかし、設計施工した連中もプロだったはずなんだがな。ど素人からの注文ということで、適当にあしらわれてしまったと言う事か。

 2001/05/22

名古屋の疲れが今日になってやってきて、そう言うときに限って妙に忙しい。顧問をしている特養老入所者がちょっと前、一過性に熱を出し、喀痰検査を依頼していたのだが、今日帰ってきた結核菌培養結果が陽性だったので対策を考えてほしいと、施設管理者がパニックになって連絡してくる。

むこうは入所者全員と職員の喀痰検査とツベルクリン反応をしなくていいかと言う。爺さん婆さんにツベルクリンやってもほとんど意味はないので、職員だけにするように指示し、一応喀痰検査は全員に受けさせることにしたが、なんかすでに片付いているはずの問題を蒸し返されたような違和感がある。そうこうするうちに、経過を思い出した。確かその入所者は、培地検査では暫定陽性、しかし直接検鏡で陰性、結核菌DNAダイレクト検査で陰性だった。これは非定型抗酸菌だからほっといてもいいよ、と一ヶ月ぐらい前に言っていて、私はそれ以来まるっきり忘れていたのだった。大体その入所者は二ヶ月前の数日間、熱と咳があっただけで、今はぴんぴんしているではないか。

最後に上がってきた培養結果がそこのスタッフに無用のパニックを引き起こしたわけだが、もっともらしい詳細な検査結果は大雑把な方向づけより大事だ、とする妙な信仰がこういう誤解の背後にはある。一般論として、大雑把なところでちゃんと方向を定め、詳しく絞り込むという当然のことが出来ない医師はけっこう多く、末端肥大的検査を並列乱れ打ちして、方針とっかえひっかえする事に疑問をもたない。しかも矛盾した方針を同時採用していたりする。傲慢なようだが個人の資質も大きく、ごく普通の思考経路を教えずに、マニュアルだけ覚え込ませる今の医学教育の問題はもっと大きい。そういう医師が些細な数字の差にこだわったりするのを見て、関連業界全体と、当の患者にまで、具体的な状態より一面的検査結果を重視する、奇妙な態度が感染してしまっている。

ま、濃厚過剰診療しておけば、今のところマスコミ的建前では医療の責任は問われない仕組みになってますけどね。私も、施設関係者の不安を取り除く、と言うそれだけの目的で、この入所者の胸のCTと非定型抗酸菌鑑別のためのバカ高い検査を追加しておく。保険制度というのは、こうした人の無知に付け込むような、無意味な検査はまず認めてくれるのが面白い。

 2001/05/21

21日夕方、5月とは思えぬ蒸し暑い真夏日、晴れ上がってはいるが異様なまでの地気の強さで視界が霞んでいる。宏観観察中、猛烈な耳鳴に突然襲われ、断続的に激烈化と沈静化を繰り返す。伊豆〜千葉沖の解放前兆に違いない。

などと「東海アマチュア無線地震予知研究会」風にいぶかしんでいたら、庭木に季節はずれのセミが止まって鳴いていたのだった。本家の方がこれを体験されたら、その季節はずれの異常さに、より危機感を高められるであろう、やはり。

 2001/05/20

親族がらみの用件で、名古屋まで一泊の旅。ここは十数年ぶりだ。遠回りになろうと地下街を使って歩き、地上では赤信号で必ずしゃがみこんで待つように努力してみるが、猫の一件で背景抑うつ真っ只中の身としては、今ひとつ本気になれない。

ちょっと距離をおいてこの街を眺めると、日本の中で一番ヨーロッパの都市に似ているような印象をもつ。街の重要な機能が旧城郭の中にある、という点もあるが、それ以外にも雰囲気として、それを感じる事は多い。それはヨーロッパのように、市民が都市を能動的に形成した痕跡が残されているからではなく、明治以降、旧城郭の中に都市機能が早めに移されたからにすぎないわけだけど。もちろん、尾張宗春候以来の開明政策の影響もあるのだろう。老後に余生を過ごす処としては、いいかもしれないな。

とにかく、味噌煮込みウドンと、天むすせんべいなる奇品を土産に買い込み、何とか帰還。

 2001/05/19

早朝、猫が死んだ。意識がぼんやりしていって、そう苦しまなかったのが幸い。ペット火葬業者の小さいお棺に、庭の花とカツブシの包みをそえて見送る。

 子燕が 窺い見送る 猫の棺

 2001/05/18

猫はいよいよダメである。部屋の隅の薄暗がりまでよたよたと這っていき、そこでじっとうずくまっている。カーテンの隙間から外を見ている様子だが、近所の猫が庭に入ってきても、ほとんど反応しなくなった。一年前までは車の心配もあまりないような田舎で、毎日野山をかけめぐって野生本能を満喫していたのに、引越ししてからは、家の中に閉じこめられっぱなしで、そのストレスが発病のきっかけになったんだろうな。明日は一泊しなければならぬ用事があるが、帰ってくるまでもつかどうか。

死ぬ猫の 目に入りたるや 花躑躅

 2001/05/17

猫の尿閉がぶり返してしまった。しかも今度はかなりの重症で、全くの無尿。前回、獣医さんから「単なるストロバイトのつまりというより、尿道自体に異常があるようだ」といわれ(言外に初診した獣医のミスをほのめかしてはいたけれど)、カテーテルの挿入も出来なかったため、これも天命かとあきらめていたのが、なぜか回復した経緯があるだけに、ラッキーを何回も期待するのは無理がありそう。

膀胱と小腸に瘻孔を作る手術を勧められたが、その気はない。医学管理の自己満足的迷路に迷い込むばかりで、こちらの懐具合も含めて考えたQOLに寄与するとは思えないからだ。ここはマザー・テレサ方式で、最後まで見届けてやりたい。

 2001/05/16

サイトのレスポンスはやたらにトロいのに、配送はやたらに素早く、BK1からもう注文した本が届けられてきた。目的の本以外に、「出版のためのテキスト実践技法」(西谷能英著:未来社)というのが役に立ちそうだったので購入したのだが、ちょっと期待はずれ。文章をかくのにテキストエディタをつかえというのと、表記を統一しろということだけ。記号の使い方で「中略は──(ダッシュ記号2個)および……(3点リーダー2個を使う」など、知らないことがけっこう書いてあったが、その説明で使われる半角算用数字の混在はいいのだろうか、と気になったりする。

考えてみれば、この本は「出版のため」なのであって、ウェブでの表記を問題にしているわけではないのだ。目的が違う解説に文句言っても仕方ない。結局、昨日の文章でちょっと悩んだりした、「五月十五日」とか「5・15事件」などという書き方をどうするべきか、ということにははっきりした結論は出せない。

この本には、お勧めのソフトだけでなく、内容そのものがHTML文で収録されたディスクがついているのだが、ブラウザでみるとえらく内容は少ない。普段読んでいるウェブって、文章量はけっこう多いものなのだな、と思わぬ発見をしてしまう。

 2001/05/15

五月十五日と言うと、5・15事件である。昔、中学生の頃、社会の授業でこの前後の青年将校の決起事件や、血盟団のテロなんかを習ったとき、「彼らは国民の窮乏を救おうと、既得権に浸った財閥や政治家、軍部上層部を攻撃する道を選んだのに、なぜ『これらの事件が、軍部や財閥主導で日本を無謀な戦争の道に導いた』と一刀両断されてしまうのでしょうか」と教師に質問した。教組の活動家だった教師は、「連中は結局グルだったからだよ」と実に明解に答え、質問は一方的に封じられてしまった。

はねっかえりの過激派を利用して、既成勢力がその権力の強化を目論む、というのは一見わかりやすいようだが、実際そんなことがあるのだろうか。某革新政党などは、いまもそういう論理を使っているが、それなら、戦後しばらくのあいだまで、あんたらも既成権力の別働隊だった訳ですかい?と言われたら困ってしまうはずなのだが。まあ、この人たちは、自分たちは間違ったことはないが、インチキな連中がトップに立った事が例外的にあるので、一見間違ったような方針もとられたのだ、という実に都合のいい論理を使うので、この程度の茶々ではまるきりこたえない。

天皇親政なら、あるいはプロレタリア独裁なら、今の矛盾は解消され、理想に近い政治形態になる、と夢想する連中の幼さを揶揄するのは簡単なのだが、そう言う連中の理想など利用されるだけのスカでしかない、と言えるかどうか。既成権力というのは結局現状維持と先送りしか出来ないのがその本質だから、今日までの右左問わぬ情熱は、それなりに歴史の流れにに影響を与えて、もっとひどい道をさける役割を果たしたかもしれないと思いたい。まあ。善意というものは悪意よりよっぽど害をなす、という歴史的教訓をみれば、そう言う考えは慰め以上のものではないのだろうけれど。

 2001/05/14

最近、読みたくなるような本にまるっきりお眼にかからなくなった。本屋に行っても、「チーズはどこへ行った」と、田口ランディの本ばかりが山積み。げんなりして、読みはぐっている古典でも買うか、と思うがそんなものこんな田舎の本屋には置いてない。毎日新聞の夕刊に連載されていた、吉本隆明の近代文学解説が出版されたという話なので、新聞社の新刊本なら置いてあるだろうと探してみるが、見つからない。

仕方なくBK1で注文するが、わずか二百五十円の送料惜しさに七千円以上も注文してしまう。それにしてもBK1のトロいレスポンスには閉口である。あのトロさのおかげで、どれだけの顧客を失っているであろうか。あれならテキストの解説並べておいて、メールで注文受けるようにしておいてくれたほうがなんぼかまし。

 2001/05/13

某大手新聞社の記者氏よりメールをいただく。このサイトの記事を書かれたいとのこと。実は以前にも同じ方から同じ依頼があり、お断りしていたのだ。サイトは公開しているので、それを記事にされるのはご自由だが、新聞記事というかたちで関連情報が開示されるのはちょっときつい、というような返事をした。もしかしたら、もっと攻撃的に、旧来のマスコミなんぞにこういう形の新しい情報提供をグズグズ見当外れに論じられてなるか、なんて意味合いの思い上がった内容の返事をしたかもしれない。もし気分を害されていたら、ゴメンといっておきたい。それだけだけど。

日本で最大発行部数を誇る新聞の記事になったら、アクセスは急増し、にぎわいは増すだろうけれど、それでなんかいいことあるか、と考えても何もないものね。出版しないか、というような誘いも何回かあったけれど、優柔不断な態度しているうちにみんな立ち消えになってしまったし、何より、こういう格好の無責任な文章書きがけっこう気にいっているというのが大きい。紙媒体だといいかげんな事をかけないし、著作権もややこしいし、私みたいにいいかげんが身上の人間には窮屈すぎるのだ。

(ホントはネット上だって同じことで、例えば私が「自己紹介」で使っているような写真の使いかたなんか、「ネットのエキスパート」の立場から言えば、違法を通り越した無作法の典型例らしい。忠告してくれた人には悪いのだけど、あれにちゃんと法的権限がある可能性も確認せず、また自分が守られるべき権限の代理人でもないのに、あれこれ言うのがこの手のうざい連中の特長ですわな)

 2001/05/12

「わたしも新聞の写真を見て、あ、ブンブンの帽子だと思ってしまいました」というメールをいただく。昭和50年代中ごろに子育てをしていた世代と、当の子供であった世代の違いはあるといえ、同じ見方をする人がいるのは心強い。

NHK「おかあさんといっしょ」は、実に1959年から続いている長寿番組だが、80年前後のブンブンがキャラであった時代の事しか知らない。そのあと引き継いだキャラも下の子供が見ていたのだが、ブンブン達と比べると、いまひとつ面白みに欠けたように思う。名前も覚えていないぐらいで。

レッサーパンダのブンブンは優柔不断、キツネのツネ吉は陰謀家、ごじゃえもん(こいつはなんだったっけ。オウムだったかな)はあわてモノと、性格設定がはっきりしていて、その後の子供子供したキャラとは一線を隔していたように思う。私も子供も、特にツネ吉(故山田康雄氏が声優をしていた)が好きだった。でも、それが災いしたのか3年しか続いていない。そのあとのキャラ達は10年近く続いたらしいが。

ツネ吉のフルネームは稲荷山ツネ吉、たしかブンブンはブンブン・イザトナルト・ブンだった。ごじゃえもんは忘れたなぁ。

 2001/05/11

例のレッサーパンダ帽子事件の容疑者逮捕で、報道が少々異様な方向にすっ飛んでいる。先ほどのニュースなど、スクープというからなんだと思ったら、容疑者が警察から移送されただけのことで、しかも何社ものカメラが移送車の周りを取り囲んでいるのだ。「スクープ」という言葉の意味を知らないの?ほとんど無意味な情報に、横並びの大騒ぎをすることがスクープかね。容疑者の髪を切ったという散髪屋のオッサンの話も、何の意味がある?

こういう理不尽な殺人事件はそれなりに起こっていて、近親者や近所の困り者を犯人に仕立て上げることしか能のない日本の警察は、ほとんどまともに解決出来ないのだ。報道機関はそういう構造的問題こそを追及すべきだろう。今回の事件をこんなに騒ぐのは、ただあの帽子のためだけだ。官僚制度や政治家などより、マスコミが一番腐りきっているように思う。

ところで、あの帽子を「ブンブンの帽子」と呼ぶ私は、やはり古い奴でございましょうか。

 2001/05/10

昨日、温暖化について素人考えを書いたら、たちまちいくつかの意見を掲示板やメールでいただいた。自分でも多少調べてみたが、温暖化=地球の危機説と、温暖化現象はむしろ生命にとっては救いの灯というような意見があるようだ。

地球の超長期的運命を考えれば寒冷化しかないわけだから、今のところ暑苦しくなっているように見えるのは、その上で生かせてもらっている寄生的生命存在総体にすれば結構なことといえるが、そのタイムスパンが人類という個別的種に残されている時間からみると長すぎる可能性もある。

地質学的時間が絡む問題は、個別種の利害など関係ないから困ったものだ。ましてや国家だの、個人の利害などとは縁もゆかりもない。そのあたり、しばしばごっちゃにされて論じられるのも目立つところ。不謹慎なようだけれど、ひ孫の世代ぐらいでも関係なさそうだから、これでいいんじゃないの、というのが本音だなぁ。

少なくとも、無駄なエネルギー消費を、ガイアへの敵対行為だとあげつらう立場ならば、PCつけっぱなしてこんな駄文を書いているはずもないからね。

 2001/05/09

報道によれば、日本でも温暖化は着実に進行していて、梅や桜の開花は早くなり、紅葉が遅くなるという傾向がはっきりしているそうだ。

いつも思うのだが、温暖化って、悪い事なのだろうか。四季おりおりの風情などといいつつ、個人的には、冬だけパスして味わいたい。寒くてなんかいいことありますかね。暖かくなれば厚着もいらぬし、毛皮のために動物を殺す必要もなく、耕作地も増え、いい事ばかりみたいに思うけど。炭酸ガスが増えれば、植物には栄養も増えて万万歳ではないのかしら。

地球規模でいえば、海面が上昇して水没する島がある、なんて言われるのだが、あれは本当だろうか。例えば世界的に平均気温が5度上がったとしても、南極大陸の平均気温が突然ぽかぽか陽気になるわけはなく、零下のかなり下ではありつづけるだろうし、海面からの水蒸気発散はかなり増えるだろうから、降雪量も増すのではないだろうか。

多分、かなり初歩的な間違いをしていると思うので、誰かこのあたりを、情緒論抜きでわかりやすく説明してほしい。

 2001/05/08

顧問医をしている特別養護老人ホームに回診に行く。男性入所者の枕もとに、職員たちが折った紙カブトが置かれている。重度痴呆の入所者が多いので、ほとんどの人は無関心だが、「おや、カブトですね」と注意を促すと、瞬間、少年期の笑顔が戻ってくるようにも見える。

山田朝衛門を描いたマンガで、祭りの日に斬首されようとする囚人に、目隠しのかわりに祭りのお面をつけさせるエピソードがあったのを思い出してしまう。痴呆老人を子ども扱いするのは感心しないが、幼い頃を呼び起こさせる道具だて、というのはいいものかもしれないなぁ、と思ったりする。

などと思いつつ、隣りのベッドのじい様のところにいったら、そのじい様、ムシャムシャと紙カブトを平らげている真っ最中でありました。

 2001/05/07

昨日の記事に、一〜二箇所脱字があったので修正。ちょっと意味が通りにくいところもあったので、そこもちょっと書き足す。すごく意味が通りにくいところにも気づいたが、それを直すには根本的に書き直すしかないので放置。

院内のLAN工事が遅れているので、業者が説明に来る。何でも16ポートハブが品薄で、待つしかないのだという。ネットで調べて数ヶ所に電話してみるが、即日納品だという。業務用はまた別だ、と業者は言うが、価格的なことも含めてどうも解せない。昔のたなざらし品を、そのまんま昔の価格で納品しようとしているのではないだろうな。精一杯不審の表情を示して、精細な納品書と価格表を添えるよう要求して今日はおわり。

その後、妙になんども作業進行報告の電話がはいってくる。一ヶ月何の説明もなかったくせに。多少ぼられようとこちらの懐が痛むわけではないが、不明朗なことに付き合わされてはかなわない。昔、こういうのを追及していたら、キックバックの原資作りを発見してしまった、いやな経験があるな。

 2001/05/06

「都市伝説」の記事を書き始めるが、さっぱりまとまらない。気分を変えようと、「料理」の記事を書く。これを読んでも、絶対同じものが作れるとは思えないような記事が出来上がる。これはこれでアップする事にし、またもとの文章に戻るが、どうも埒があきません。柄でもない、変なセクシュアリテへの言及はやめて、あっさり済ませたほうがいいのかもしれないな。

 2001/05/05

手抜き仕事のせいで職場より呼び出しをくらい、午前中はそれでつぶれる。

帰り、道端に「インド・パキスタン料理」のお店を発見し、ランチメニューを注文。はなはだ安めでたっぷり内容に感激。店員数人がみんな向こうの人なんだけれど、インドとパキスタンって、戦争してなかったっけ。

基本的にパキスタン料理がメインな雰囲気で、ああそうか、この人たちはパキスタンの人だけれど、インド料理といわないとポピュラーでないから、敵性国家の名前をあえて名乗るのだな、なんて思っていたら、店長っぽいオッサンがやってきて、妙な建物の写真をしめし、「コレハ、インドノ神様の家デス。ワタシタチ、皆ココニ帰ルノガ夢ナノデス」などと言い出す。

なんだかよく判らないが、「はは、とても美味しかったであります」などと、こちらの日本語まで怪しくなりながら返事。昼間からでかいナンと、タンドリーチキン、ケバブ、その上二種類のカレーにライスまで食べたら、午後は胃がもたれてしまった。でも。一番美味しかったのは、飲み物のラッシーだったな。

 2001/05/04

最近、記事更新間隔が開くばかりである。ちょっとしたことはここで書いてしまうのも一因だが、いままでは言うなら無理やり長く書き伸ばしていたので、そんな記事ばっかり増えてもつまらんだろう、などと口実を作っている面もある。

すくなくとも「都市伝説」のほうの更新をせにゃならんが、さっぱり新ネタを思いつかない。いままで取り掛かって放り出してあるネタがいくつかあるが、それを何とか仕上げるかな。前に予告したのは「処女鑑別法」と言う奴だった。これはある時期まで、世の男性にとって、年頃の女性をどう観察するかという基準的機能を持っていた時代もあったが、少なくともこの20年前ぐらいからはあまり意味のないものになってる。現在、「処女」という存在は、「TDLに行ったことがない」というのと同じような意味合いでしか、意識されていない。

色々な方法がある、と男たちは口伝しあったものだ。即物的お笑い版では、被検者を火鉢の上にまたがらせて、こよりで鼻をくすぐってくしゃみをさせ、火鉢の灰が舞い上がったら処女でない、なんてのもあったな。もっと一般的なのは、鼻の頭を押さえて二つに割れると経験者というやつだ。先の火鉢バージョンと、たいして変わらない連想から来たものだろうが、これは結構古くからあるもので、真面目に取り上げている論文もある。もちろん、その種の科学を装った明治期の衛生思想を分析する内容だが。

いかんいかん、こんな風に小出しにずるずる書いていては、記事になる前に飽きてしまう。連休中になんとかでっち上げてしまおう。

 2001/05/03

先日、フジコ・ヘミングのファイルと一緒に落とした"Hiroshi Kun"であるが、やっと謎が判明した。これは「奈良富士子」という女優が本職の方が、72年に出したシングル盤「はだしの女の子」のB面「ひろし君の世界」という歌である。同年に出されたアルバムにも、ちゃんと収録されているらしい。この頃は、麻丘めぐみとか、南沙織などの、かわいこちゃん純情カマトト歌謡が流行ったころなので、劣化コピー戦略の一環として出されたものだろう。

奈良富士子さん自身は、最近でもTVドラマやショッピング番組などに結構出ておられるらしい。99年には「ニュースキャスター霞涼子」で、美人女子アナを殺した先輩女子アナとか、「三匹のご隠居」で、若侍を誘惑しまくる藩主の生母などの、渋い役どころをこなしておられるとか。ファンサイトも結構見つかる。

OHAHAで探したら、「はだしの女の子」も見つけることが出来た。「ひろし君…」とあわせて聴くと、もののあわれの世界にたっぷり浸ることが出来る。

 2001/05/02

外来で形ばかりの患者あしらいを手伝い、空き時間で電光石火の病棟回診を済ませる。私の母親が死病に取り付かれた祖父を看病していた頃、入院していたところの主治医回診を「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」と評していたが、多分それより素早いのではないか。そして浮かせた午後は例の無線LANの設定。

ここで大事なのが、極超短時間クライアント管理術だ。自分にだけ特異的と感じられるコミュニケーションを交わした、と錯覚させるテクニックである。私はひそかに「田中角栄方式」と呼んでいる。演説会などで動員されたばあ様の一人を狙い、「おーい、マツ婆、元気にしとるか、政ジイにかわいがってもろうとるか」などと声をかけ、超部分的な知識にもかかわらず、その場すべての人々を把握しているがごとき幻想をふりまく手法である。角栄氏は事のほか得意だったと聞く。集団のどういうところを狙えば全体を動かせるかを、身体感覚で知悉していたのだろう。

これは何があっても、精神科医は取得しておくべき技術である。もちろん、身体科医にも必要ではあるが、生得的な手段以外ではなかなか得られないのが欠点である。専門家を目指される方には、方法を特別教えてあげてもいいが、タダというわけにはいかんな。

 2001/05/01

いやはや、もう五月である。今年も半分近く過ぎてしまった事になる。これで連休をすごして、夏休みの算段をして、ごちゃごちゃしていればそのうちまた新年ということになるのだろう。子供時代に、時間はとてもゆっくりと過ぎていて、それがまたアホガキにとっては耐えられない程もどかしく感じられたものだが、30半ば過ぎてからの時間の過ぎ行きザマは指数関数的である。もどかしいもくそもない。あれあれあれだったのが、あっあっあっになってしまっている。それでも不思議な事に、日曜日と給料日だけはなかなかやってこないのだけれどもね。

今週はなんと、今日一日仕事すればまた休み、と思い込んでいて、なんと明日も仕事せにゃならん事をついさっき発見してしまった。すでに明日は、二日酔いで寝込む体制を確立してしまっておる、つまり今現在、もう泥酔モードにはいってしまっているのだけれど。


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