The Museum of Hoaxesによれば、アメリカの電子楽器メーカー、RAD MONKEY™社は、このたび「VLC800デジタルカウベル」を発売するという。「サウンドを追い求め、ひたすら演奏に自らを没入させても、ひとたびステージに立てば、その努力は無駄になってしまう。カウベルプレイヤーにとって、昨今のギターやドラムのオーバーサウンドに自分の楽器の音がかき消されてしまうほど情けないことはない。その手作りの繊細なサウンドは、聴衆の元に届くことはないのだ」。
と言うわけで、そういうカウベリストのために作られたのがこれ、カウベルの革命なんだそうである。このカウベルには特殊ピックアップが装着されており、単に強力なサウンドを発生させるだけでなく、12種類の音色を切り替えて演奏することが出来る。Rad Monkey™社のサイトでは、それぞれの音源を視聴できるようになっているので、ぜひ体験して頂きたい。
ところが、価格とか具体的な発売スケジュールはまだ決まっていないようで、この会社のサイトを隅から隅まで読んでみても、会社のロゴと"More Cowbell"と書かれたTシャツを買うことしか出来ないのが残念なところ。米国内のディーラーも不明とのことなので、日本でこれが買える日はまず来ないような気もしますな(もちろん、米国でも)。
この"More Cowbell"というのは、本来は2000年4月に放映されたサタディ・ナイト・ライブ(SNL)のコントが出所になっているらしい。そのコントは、70年代半ばにブルー・オイスター・カルトというバンドが、ブルース・ディキンソンをプロデューサーに迎えてアルバムを作った故事(ホントかどうかは知らん)に由来しているらしい。SNLのコント映像はあちこちにアップされているので、見た人も多いのではないだろうか。
なんと言ってもブルース・ディキンソンに扮するのがかのクリストファー・ウォーケンで、イッてしまっている人間を演ずれば右に出るものがいない彼のこと、この短いコントでも素晴らしい味を出している。はた迷惑なバンドメンバーというネタ自体は昔からあるものだが、プロデューサーがそれをクールに"More Cowbell !!"と煽るのが秀逸。
ブルー・オイスター・カルトはあの時代、そういえばそんな名前のバンドもいたな、と言う程度の認知のされかただが(ファンのかたはごめんなさい)、このSNLコントのおかげで再び注目され、最近はコントの再現演奏ツアーまでやっているのだそうだ。世の中、どこに僥倖が転がっているかわからぬものだという教訓であろう。
コントでは最後の場面で、カウベルを叩いているジーン・フレンクルという役柄の人物がストップモーションになり、「ジーン・フレンクルの思い出に捧げる」というキャプションが出るのだが、こういう名前のメンバーがブルー・オイスター・カルトにいたことはないそうで、部外者にはわかりにくいオチと言うことらしい。なお、コントで使われている"Don't Fear the Reaper"という曲を初めて聴いてみたが、カウベルはかすかに聞こえる程度であった。あのぐらいがうるさくなくて、丁度いいんじゃないでしょうかね。
一時、痴呆老人病棟で猖獗を極めた疥癬であるが、最近は他施設から転医してきた人に散発的に見られるぐらいになっていた。たまに疥癬患者が入院してきても、ちょっと前なら、人間に使ってはいけないことになっているガンマーBHCを塗りたくるような方法しかなかったのだが、近頃はストロメクトールという原虫駆除剤が使えるようになったので(といって、保険は通りませんが)、二次的感染にさえ注意すればほぼ完全な対応が出来るようになった。
ところがここ3週間ほどの間に、内科病棟に数人以上の疥癬患者が多発してしまった。聞いてみれば別の病院から転院してきた人が全身湿疹として治療されていたのだが、同室者に次々と同じ症状が出てきたとのことである。本人の病変部からは一応検体が提出されていたが、ヒゼンダニは検出されなかったので、慢性湿疹としてステロイド治療が続けられていたと言うことである。
でもね、教科書見ればちゃんと書いてあるのだ。病変部から適当に検体をとってきても、うまい具合にダニが見つかる率はそう高くない。細菌とかウイルスなら病変部周辺でいくらでも見つかるだろうが、相手は何しろ虫である。肉眼的な大きさではなくても、うまいことその虫がいる部分を検体として持ってこないと、見つかるわけがないのである。この疾患に熟練した人が検体採取しなければ、検出率は1割程度のものだろう。
ところがキョービの若い皮膚科医は、その辺に対してリアリティを持っていない人がかなり多い。検査したがダニはいない。だからダニによる疾患ではないとえらく簡単に結論を出す。症状をちゃんと検討すると言うことをしないというか、出来ないというか。私みたいに、戦後の上野の浮浪者みたいな疾患を、小汚い収容所の中でいまだに抱えて放置されているようなところを、しょっちゅう診たような経験もまず持っていないしねぇ。
今回の疥癬蔓延も、今まで大学から回ってきた皮膚科医には疥癬疑い患者を見せても無駄だという私の指示が、まさか天下の大学講師がアホな精神科医より無能であるわけがないという、新人看護婦さんの当然の思いこみによって無視された事が原因であったようだ。結局、この事態を収拾させる仕事はこちらにまわってくるんだからな、とブツブツ言いながら指示に精を出せねばならぬ土曜の午後なのであった。
iPodはその使用者に「音楽幻覚」をもたらす危険があることを、ウェールズの精神科医が指摘している。ビクター・アジズ医師は同じ曲を何度も長時間聞くユーザーにこの危険が特に高いと言う。この幻覚は音楽が常時頭の中で流れ続けるという特徴があり、睡眠障害をもたらすこともあるという。
「これに侵されると、人は眠れなくなり、思考能力を失います」、アジズ医師はイブニング・ポスト紙の取材にそう答えている。「音楽を頭の中でいつも思い浮かべることは全く正常な行為ですが、音楽幻覚はきわめて不愉快なものです」。
アジズ医師がこの現象を初めて確認したのは、7年前に心臓のバイパス術を受けたばかりのレジナルド・キング氏が、彼の元に相談にきた時だった。キング氏は、ポピュラーソングとクラシック音楽がのべつ頭の中で聞こえるようになったと訴えた。曲は相互に入れ替わり、音楽番組を聞いているかのようだという。アジズ医師はこの体験を「音楽幻覚」と呼んだ(そのまんまやんけ)。
アジズ医師はこの状態を小グループで検討し始めた。メンバーたちは、キング氏などに見られる幻覚は、正常時には音楽を知覚する脳のネットワーク異常によるものではないかと疑っている(うーん、わからない現象をわかっていない事で説明してもしょうがないような……)。
このような現象は数百年前から存在していたが、同じ曲を簡単に何度も繰り返すことの出来る個人用のオーディオ機器の発達のために、より発現しやすくなっているのではないかと、アジズ医師は疑っている。
7月に発刊される精神療法雑誌に、彼は共同研究者と連名で音楽幻覚をもつ30例についての論文を発表するが、これはこの現象についての初めてのまとまった症例報告になる。(中略)アジズ医師は、今後音楽メディアの種類が増え、利用者が増大するにつれてこの音楽幻覚はより一般的なものになるだろうと予想している。
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以上、こちらの報道より。他にもこの論文内容に関する報道は多いのだが、おおよそiPodの普及と関連づけた、似たようなものになっている場合が多いようだ。PCゲームで脳みそがぶっ壊れると言われたかと思うと、今度はiPodがいかんとのこと、新しい技術は人を不幸にするだけですなぁ、と言いたくなるところなのだが、ネットで調べただけでも、この報道はかなりおかしいのである。
まず、アジズ医師がこの論文を発表するのは精神療法関連雑誌ではなく、「老人精神医学雑誌」であるということ。しかも、その内容はここ15年の間に著者たちが遭遇した音楽幻覚の症例報告なのである。iPodって売りだされたのは4年ぐらい前の事じゃなかったっけ。まして、その題名は「聖歌とアリア:ウェールズ老人の音楽幻覚について」と言うものなのである。お年寄りたちはiPodは使わなかったにせよ、ウォークマンにでも聖歌やアリアを入れて、繰り返し聞いてたんでしょうかね。
報道機関が、むりやり新しい音楽メディアの話に改ざんしようとしたのが丸わかりである。マスコミの煽りに協力してくれる人はいくらでもいるのだから、こんな風にすぐバレるでっち上げはいけません。なお、こういう細かなところまでリアルな幻覚というのは、幻聴、幻視をとわず脳器質的な失調がバックにある状態では結構よく見られるものだ。幻視の場合はシャルル・ボネ症候群と言うが、その手の幻聴というか、錯聴には確かに術語がない。
私は昔、お年寄りが「耕耘機のエンジンをかけると、必ず美空ひばりの『港町十三番地』が聞こえてくる」と訴えて来院してきたのを診たことがある。あのとき、一例報告でいいからしておくんだったな。「他者の欲望の場所としての港町十三番地」とか何とか、訳のわからんこと書いておけば、少なくとも音楽幻覚の報告としては評価されたろうに。
英国王立協会が発行している" Proceedings: Biological Sciences"に投稿され、現在発刊準備中の論文"Costly but worthless gifts facilitate courtship"(高く付くが価値のない贈り物は求愛を成功させる)より。著者たちはロンドン大学の生命科学および実験生物学研究所数学物理センターの研究者たち。抜粋しか読めないが全部読めてもゲーム理論を用いた数学的考察なので、どうせ肝心の所はよくわかりませんが。
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求愛時に適切な贈り物とはなんであろうか。我々はこの疑問に対して、求愛を連続したゲームとして捉えることで考察した。この過程は次のように整理できる。①男性が女性に贈り物をする。②女性はその中身を確かめた後、それを受け入れるかどうかを決定する。③女性は男性とつがうかどうかを選ぶ。③-1女性がつがうことを選んだ時点では、男性がその後に離れていくかどうかは不明である。③-2拒否した場合、男性からの保護は受けられず、彼の資質も不明なままにおわる。
この二つの決定は、数学的には同値といえる。我々は、きわめて贅沢で、男性にとってはかなりの負担を強いられるが、女性にとっては本質的に無価値であるような贈り物の後につがいが成立したケースにおいて、突出した安定性のある関係性が築かれることを発見した。そうした負担をものともせぬ態度が、男性側の強固な意志とその資質についての信頼できるシグナルとなるのだ。
また同時に、女性にとっては本質的に価値のない贈り物であるということが、男性獲得への意図ではなく、実利的目的で接近してくる女性を排除する結果につながる。このように、経済的には価値がない(が負担は大きい)贈り物は、男女両者にとって適切なパートナー獲得に役立つのである。
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そんなわけで、彼女が喜こんで使ってくれる贈り物を必死に考えているそこの君は、すでにもう敗者なのである。簡単に言えば、換金性があるような有用ブランド品なんか贈らずに、とにかく金を使うことだけにつとめるというのが、異性獲得における一番正しい態度、ということですな。男は黙ってポトラッチ。これは経験則から言っても、極めてうなずける結論といえよう。
Peter D. Sozou & Robert M. Seymour. Costly but worthless gifts facilitate courtship. : Proceedings: Biological Sciences. (in press)
マーチン・ガードナーの弟子が運営しているらしき、Ohpurleese.comよりの情報。
TVをぼんやり見ていたらサラ金のCMが流れていて、それはちょっと太めの女の子が突然マイクを持って「忘れな~いで、お金よ~りも、大切なものがある」と、ムード歌謡風のカラオケを歌い出すというものだった。夜遅い放送だったので、そのままうたた寝してしまい、金より大事なものとはいったい何だったのか、結局わからない。高利貸しにとって金より大事なものって何だろう。悪どいやり方がばれずに、営業許可が続く事かな。でも、それだって結局金だしなぁ。
あのCMを見ながら思いだしていたのが、子供の頃読んだ新聞の投書である。もと小学校教師という人が、自分の経験を投稿していたのだが、それが受け持ちの子供たちに「金より大事なもの」を聞いたというものであった。「家族」とか、「友達」といったありきたりな答えが続くなか、ある女の子は「それは、忠兵衛さんです」と元気に答えたのだという。
ああ、この子は花柳界に近いところで育ったのだなとその人はおもい、実際、芸者置屋の子供であった事を知ったというのがオチになっていたと思う。しかし、今考えてみるとこの話にはおかしなところが多い。小学校の担任が、受け持ち児童の家業を知らないというのは昨今ならともかく40年ほど前なら考えにくい。何よりもその子供のコンテクストを受け入れるなら、「金より大事な」のは忠兵衛にとっての梅川であって*、「金より大事なのは忠兵衛」という答え自体が錯綜したものだ。古典を尊重するつもりなら、子供の微笑ましい勘違いで済ましてはいけないはずである。
そもそも、あの浄瑠璃は未熟な若造が色ボケして、経済的契約も守れなくなり、結局愛する相手も破滅に引き込んでいくという話であって、人間、せめて金の事だけは隙を作らずちゃんとしておこうねという教訓として読むべきである。「金より大事なもの」の例として、あやふやに受け入れているような子供には、ちゃんとした教育をするいいチャンスだと思うのですがね。
高利貸しが若い女の子のソフトな笑顔で「金より大事なもの」をアピールするのも、結局、期限内に支払いを済ませる誠意とか信頼とか、業者にとって都合のいい金の論理を主張したいのであろう。そんなポーズが堂々と通用するというのも、甘っちょろいあやふやさを認めてしまっていた、戦後民主教育のワキの甘さが原因だったのかなと、世代的な責任すら痛感するのであった。
*参照:「冥土の飛脚」
ノーベル賞受賞物理学者であり、ボンゴ演奏や金庫破りの達人としても知られるR・ファインマンが晩年に解明を試みつつ、解けぬままに終わった力学上の難問があるのだという。それは、「スパゲッティーの両端に力を加えていくと、必ず3っ以上の断片に折れる」という現象なのだそうだ。手近にロングパスタがある人は、ぜひ試して頂きたい。もちろん生パスタではダメですよ。
ファインマンの遺志を継いでこの現象の解明に乗り出したのは、パリ大学の力学モデル研究所のグループである。彼らは正式な論文(PDF)も出版しているが(もっとも、何に発表したのかよくわからん。研究所の紀要かなぁ)、QT画像をそえた判りやすい解説をウェブにアップしてくれている。
といって、物理学にまるっきり素養のない私には、その判りやすい方の説明もさっぱり判らなかったのだが、読ウェブ百遍自ずから意通ずの精神で繰り返し見ていて、大体こんなところではないかと理解したのが以下の点。
まず、パスタの両端をもって曲げていくと、まず一次的破砕がおこる。ここは必ずしも中心部ではなく、材質に脆弱性がある部分におこり、それがどこになるかは基本的には予測できない。そこで、パスタが弧になるように引き絞られた状態でハサミを使い、一次的破砕を意図的に起こすと、その場所以外のところで二次的破砕が起こることが観察できる。
つまり、二次的な破砕は力を加えた時ではなく、パスタが初期状態に戻ろうとするときに起こるわけである。このときには、たわみの波は固定側から解放された側に振幅を増しながら伝わり、解放端の直前で最大になることが観察されるという。これはキルヒホフ方程式によって示されるそうだが、およそイメージ不能である。高校物理のキルヒホフの法則の人と同じなんですかねぇ。
そんなわけで、一次的破砕によって生じたたわみの解放によって生じるたわみの波が、パスタを折る力を越えている間は、次々に別の破砕点を生むというのが、「パスタは必ず三つ以上に折れる」という現象の理由なんだそうである。全く勘違いしている可能性もあるけれど、そういうことなんですよ、ファインマンさん。
「インテリジェント・デザイン」という言い方で、公的教育で神による創造論を教えようというカンサス州教育委員会の動きは様々な論議を呼んでいる。なんと言っても「創造的」なのは、創造論固執派による「インテリジェント・デザイン」という創造論の言い換えである。これで結構リベラル派もこの動きを容認するようになったというのだから、CIというのは有効な方策といえよう。
そうした動きに対して、反対運動を展開している人によって立ち上げられたサイトのひとつがこちら。カンサス州教育委員会への公開質問状がアップされている。普通に「保守反動策動を許すな!」では面白くないと言うことなのだろう、インテリジェント・デザインという多様な考え方のひとつが子供たちに教えられることに、全面的同意を示す内容で始まっている。
ただ、サイト管理人はそればかりが教えられて、普通の進化論というやはり多様な意見のひとつが無視されることに一番の危惧を表明している。その上で彼自身の信念である、この宇宙は空飛ぶスパゲッティー・モンスター(見出し画像)によって作られたという意見も教えられるべきだと主張している。多様な観点からの教育が重視されるなら、このスパゲッティー怪物理論も重要ではないかというのだ。
そしてその過程で、今ひとつその関連必然性がよくわからないのだが、管理人はこの200年来の地球温暖化の最大の要因を指摘している。それは何かといえば、「海賊の人数」であるのだそうだ。ここにその相関を示すグラフがあるが、1820年には3万5千人いた海賊が、2000年にはわずかに17人に減少し、それはそのまま2℃以上の平均気温上昇と明白な反比例関係にあることが示されているのである。
この管理人は、子供たちに、このような柔軟で多様な視点から世界を眺める契機となりうるカンサス州教育委員会の英断を支持し、理科の授業では3分の1をインテリジェント・デザインにあて、同じ時間をスパゲッティー怪物理論に、残りを温暖化海賊理論のような、論理的思考を培う内容に当てることを提言している。なお、管理人は彼の理論をアピールするTシャツやマグカップも売り出しているので、興味のある人はぜひ購入を。ちょっと色は地味ですが。
7月23日発刊のBMJより。「社会経済的位置と小児インスリン抵抗性:デンマーク、エストニア、ポルトガルの比較研究」。ブリストル大学の社会医学研究グループを中心にした研究者たちによるもの。
人間、贅沢をしていればどこかでその報いというか、帳尻があうことになるに違いないという確信というのはかなり強いものがあるようで、健康診断などで「生活習慣病の危険」なるものを指摘されて来た人々は、みな一様に自分が普段やっている節制をアピールするものだ。「アブラものを減らして、野菜を一杯とっている。朝晩一生懸命歩いている」、なのになんで高コレステロールだ高血糖だとインネンつけられるのだ、やっぱ、遺伝がすべてなのかねと、気の毒になるほど落ち込んでいたりする。まして逆に、多少不摂生を自覚しているような人は、容易にその手の脅しにのっかって、医療機関の従順な顧客になってくれるものだ。
私なんかは正直に、あれは悪徳リフォーム業者が「このままでは家が崩壊する」などと脅すのと同じなので、あまりアタフタしないことを勧めるのだが、やはり命に関わると思いこまされている側は、怪しい田舎医者がちょっと違うことを言っていても、ほとんど耳に入らない場合が多い。
まして、幼い頃から経済的に恵まれて、いいものばっかり喰っているようなガキなら、そのうち手ひどい天の配剤が来るに違いないという確信もあるようで、まさしくそれを実証しようとしたのがこの研究であろう。デンマーク、エストニア、ポルトガル3ヶ国から、9才から15才の小児、それぞれ1000強のサンプルを取り出し、彼らのインスリン抵抗性*と、その両親の収入と学歴との相関を見るというものである。小児期からの豊かな食生活が、糖尿病の原因となる高インスリン抵抗性を来すのではないかという仮説が、この研究の背景にあるのは明らかだと思える。(*内因性インスリン値と血糖値から算出されるHOMAを使用)
22日のBBC報道でもこの研究がふれられており、その題名「金持ちの子供は必ずしも健康ではない」(" Wealthy kids not always healthy")をみれば、因果応報的な結果がえられているように思えるのだが、実際はそうではない。サンプルにした3ヶ国のうち、エストニアとポルトガルでは、確かに高学歴の親を持つ子供たちは10%から18%のインスリン抵抗性高値が見られたのだが、デンマークでは逆に20%低下していた。(グラフ参照)
つまり、ヨーロッパ最貧国を競うエストニアとポルトガルでは、高学歴、高収入家庭の子供にインスリン抵抗性(他にも、中性脂肪、BMI、血圧なども)が高くなる傾向が見られたものの、富裕国の代表であるデンマークではそれとは反対の結果が得られたのである。これをどのように解釈すべきであろうか。容易に思いつくのが、「社会全体が豊かでないと、本当の豊かさは味わえない」というもの。ビンボー人に囲まれた状況で多少の金があっても、ろくな金の使い方は出来ないということであろう。
つまり、富や教養を有用に使える環境がないと、ジャンクフードや不摂生に金が回るだけ、というところではないかというのが、私の考察。とってつけたように遺伝子をもち出すよりは、いくらかでも教訓になるのではないだろうか。もっとも、日本の場合を考えれば、ヨーロッパ最貧といわれるようなところとくらべたって、そのインフラと基本的な文化背景が情けないのは明らかなので、デンマークと同じような結果はまず得られないでしょうけどね。まあ、日本の場合、学歴と収入というのがそれほど相関しないというか、そういうところでは社会経済的位置が決まらないので、既得利権との相関を調べた方がいいかもしれないけれど。
書いている途中に、この論文がすでに極○ブログで言及されているのを知った。富裕化は不健康のもとというような視点で、当初この論文を読み間違えられていたようで、根強い粗食信仰が典型インテリにもあることを知れて興味深い。もっとも、ご本人が実践しておられるように、人が皆、クソ高い手作り食品を各地から取り寄せるようにしていれば、高収入とよりよき健康は相関するかも知れませんがね。
あんまり一般的興味も引かないことをグダグダ書いてもも仕方ないと思って、今年はジロ・デ・イタリアのことも、ツール・ド・フランスのことも書かずに、ひたすら夜遅くまで観戦するに止めていた(普段書いてる一般性のないことはどうなんだよ、という正しいツッコミはなし)。
おかげでこの1ヶ月はコーヒー摂取がバカみたいに増え、おまけにいつもは絶対買わないような「エスカップ」とか、「ユンケル」みたいなのをやたらに飲む羽目になってしまったことであった。だって、仕事中眠いんだもの。さすがにリタリンまでには手はださなかったものの。
まあ、そんなこんなでTDFも明日は閉幕。ランス・アームストロングに有終の美を飾らせてなるモノかという、フランス人の底意地の悪さを露骨に示した今年のとりとめのないコース設定も、結局ランスと彼を支えるチームの高い能力はあっさりそれを逆手にとり、彼をこの業界の最強ヒーローとして、記録にも人々の記憶にも止める結果になったようだ。彼に手厳しかったフランスのマスコミも、最近はさすがに軟化している。
今日の個人タイムトライアルでいくら他の選手ががんばったとしても、ちょっと今の差を覆す事は無理なので、勝者はもう決まったといってもいいだろう。ランスはTop 100 Greatest Americansに選ばれているという話だけれど、ディスカバリー・チャンネルが選んだというちょっと公平性に怪しい部分があるとはいえ、20位なんぞという中途半端なところではなく、3位程度にはランクされても不思議はない人だと思うぞ。少なくとも、ブッシュ大統領よりは上ではないかい?
ま、今夜はゆっくり彼がその勝利を確定させる過程を見させてもらおう。手ひどくすっころんでリタイアしたりして。ところで、箱買いしたエスカップはどうしようか。
滅多にないことなのに、いろんな事情が積み重なって文書仕事を山ほど貯めてしまった。普段のカルテ書きはすべてPCになったのに、ある種の診断書とか役所に出す文書というのはすべてカーボンコピーの手書きなので実に面倒。それもちょっと前までならかなり杜撰な事を書いておいても黙認してくれていたのが、最近は意味なくトリビアルな事まで書くように要求されたりする。頭にきて役人に、「アンタがそれを詳しく知って、患者側にはどんなメリットがあるんだ」とふて腐れて見たりするのだが、そんなことが通用する相手ではない。大体、患者の個人情報を守ろうとする義憤ではなく、単に自分がめんどくさいだけだというのははじめからバレてるし。
そんなわけで午後一杯を書類書きに費やしたら、疲れ果ててネタを見つけるのも面倒になったので、ちょっと前に発見した"Cannot Find Server"のフラッシュ画像を紹介。有名なのかも知れないけど。ついでなので、このサイトの"404:Not Found"文書もそちらにリンクさせておいた。文句がきたらすぐにやめますが。内部リンクミスで404になったら、トンカチでちょっと遊んでみてください。
404エラー文書を外部リンクさせたつもりなんだけど、さっぱりそれが反映されないようだ。どっか間違えてるんかなぁ?まあいいわ。文句言われる心配なくなったし。
ネタの有力パクリ元だった"The Museum of Hoxes"の管理人が休暇を取って、自分の本の校正なんかをやっていたらしいのだが、やっと更新が再開されて一安心。早速その一部を紹介。といって、最新記事はグーグル・マップねたで、しかも一部はすでにこちらで紹介済みだった。しかし、新出モノはなかなかのインパクトといえる。
ペルーの砂丘表面に現れたイエス様の顔といわれているらしいが、不信心モノには不気味なオッサンの顔にしか見えまへん。それでも、壁のシミを無理にマリア様に見立てたりするよりは、よっぽどスケールが大きくて豪快といえます。なお、元のサイトにはグーグル・マップがリンクされているが、Google Earthで見る方が多少画像がきれいなので、上のサムネイルをクリックして出てくるのはそちらのほう。
英国テレグラフ紙7月17日号の記事より
英軍兵士たちは現在、訓練用空包不足のために、口で「バン、バン」と叫ぶというえらく情けない真似をさせられる危機に瀕している。空包不足は重要な演習の中止や、縮小という結果も招いている。
この危機は英軍が9000人の部隊をイラクに駐留させていることと、4000人を来春までにアフガニスタンに展開する予定だという事に起因している。不足は空包だけに止まらず、グレネードランチャー訓練が充分行えなかったり、機銃のクリーニングキットの不足にまで及んでいる。
この大失敗の詳細にふれた英軍演習指揮部門の報告書を、今回テレグラフ紙は入手することができた。この報告書は6月24日の日付で、「夏期予備役演習における5.56mm空包の不足について」と題されている。この空包は英軍が正式採用しているSA80アサルトライフルに使用されるものだ。報告書は続けている。「これは英軍全体の問題で、供給が全く需要に追いついていないということだ。兵站部門は解決策を求めているものの、この8月までに片づけるのは困難だ。」
英軍兵站部門は文民、軍人あわせて2800人で運営されており、軍事行動に必要なすべての物資と設備を調達して配備する任務を担っている。この部門は、イラク戦争開始当時より、批判的な姿勢を表明してきた。ある軍部長老は、今回の訓練用空包の不足は「恥の象徴」だと語り、英軍全体にとって最悪の時だとしている。
「兵士が演習の時に、空包が足らないからといって『バン、バン』なんて怒鳴るほど情けないことがあるかい。兵士が真面目にやらないと、演習の効果なんかないんだよ。イラクで自分の命を脅かされる兵士が、国防省の誰かが基本的算術が出来ないおかげで口でバンバンなんて、恥知らずもいいところだ」。
ジェラルド・ホワース陰の内閣国防大臣は、空包不足は国への裏切り行為であるという。「これは軍の変質のグロテスクな一例だ」。
国防省スポークスマンは次のように語っている。「空包不足は確かに事実であるが、具体的な軍事作戦の訓練については全く問題はない。ただ、予備役訓練に影響が出ているだけだ」。
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昨日の記事があちこちでウケたのに気をよくして、またもしつこくイグ・ノーベル賞サイトからの情報。ここがこれを取り上げたのは、すでに5年前、英海軍が戦艦の艦砲射撃訓練の時、爆薬を使わずに「バン!」と叫ぶという命令を兵士に下したという英断に対して、2000年度イグ・ノーベル平和賞を授与されたという前史がある。
ありがちなオチで納めるなら、ホントの戦争もこの「バン!バン!」でやったら、もっと画期的なんですけどね。
イスラエル・テルアビブ大学の研究者が中心になって行った、カタツムリを利用したデータ転送プロトコール開発の記録。イグ・ノーベル賞選考母体のthe Annals of Improbable Research7/8月号に掲載された論文(PDF)。
著者たちは、ジャイアント・アフリカ・カタツムリを媒体としたデータ転送方式の検討を行った。一般にはきわめて遅いものの代名詞になっているカタツムリだが、それを使ったデータ転送は、モデムやISDNは当然のこと、ADSLをも遙かにしのぐ転送スピードを示す能率的なものであった。
この実験には先行する研究があり、ひとつはデータ媒体が磁気テープであった時代にオーストラリアで行われた、ワゴン車によるデータ転送実験で、もうひとつは昨年、このカタツムリ実験を行ったメンバーによる、伝書鳩を用いたものである。両者とも、当時のデータ転送手段に比べてかなりの効率を示した。特にハトを使った実験は、フラッシュメモリーをつかった画期的なものであったが、鳥は夜飛べないという限界が普及の大きな妨げになった。それらを踏まえて行われたのが、今回の実験である。
写真でも一部示されるように、カタツムリはバルサで作られた牽引システムを装着され、一般的なフォーマットでデータ記録されたDVDを車輪にして移動させる。移動の方向性に関してはLGS (Lettuce-based Guidance Subsystem)と呼ばれる、餌による誘導が必要であるのが現在の課題である。LGSは習熟した人間によって操作される必要があり、それはコスト増の原因となるからだ。
克服されていない問題があるとはいえ、このSNAPと略称されるシステム(SNAil-based data transfer Protocol)は様々な展開が予想される有望な技術である。実験では転送距離は52センチであったが、距離そのものは問題ではない。二枚のDVDを運んだ場合、秒あたりのデータ転送量は3.7Mbyteになる。しかも、LGSによるコントロール下では、セキュリティも万全といえるだろう。
著者たちはLGSに依拠しない、自己コントロールSNAPシステムを開発するために、さらに研究を重ねているとのことだ。
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この前MT3.17にアップグレードしたばかりなのに、またマイナーアップグレードが出たみたいで、その辺意味なく追従しないと気になる私は、早速20分ほどの作業に忙殺される。単純にファイル置換すればいいのだろうと、説明も読まずに、当然バックアップもとらずにアップグレード作業するが、幸い不都合もなかったようだ。米国ではすでに3.2が出ているようで、こうしてネタを考える手間を軽減してくれるsix-apartsの深慮遠謀には、ただただ感謝するばかり。
それはそうと、すでに有効にしていると思っていたnofollow属性がまだ生きていない事に気づき、それをオンにしたら数日後に、Googleのページランクがひとつ下がってしまった。正直言って、Googleからここに来る人はそう多いわけではないので、別にページランクが低かろうと関係ないのだが、何となく心中愉快とは言えない。
トラックバックに関しては言及があるなしについて、えらく真剣な論議があるようで、その理由が私には全く理解できないのだが、少なくともコメントにnofollow属性を有効にすればリンクが減ったのと同じ効果があるのだから、ページランクが下がっても文句は言えない。したがってわざわざego-dystonicな指標を貼り付けておくのも無意味なので、あのページランク表示は削除することにした。色のバランスも悪いし。右カラムと本文が不均衡だ、という理由だけで貼り付けていたんですものな。
なお、連休は人並みに休めることになったので、更新は二日間お休み。
7月16日発刊のBMJ最新号に、「成人における抗うつ剤の効果について」という論文が掲載されている。これは英国政府が運営している"The National Institute for Health and Clinical Excellence (NICE)"が最近出した「成人うつ病の治療にはSSRIを第一選択剤とするべき」という、うつ病の治療指針に対して真っ向から反論した画期的なものである。かねてより私は、SSRIはあんまり効かんのではないかと思っていて、滅多に使うことがないので(『論文読む限りでは、毛唐には効くみたいなんですけどねぇ』なんて説明したりする)、こりゃ有り難い援軍だと、早速内容を斜め読みしたので紹介してみる。
この論文はロンドン大学精神衛生科学の講師、ジョアンナ・モンクリエフとプリマス大学心理学教授、アービング・キルシュの共著であるが、ふつうなら言わないようなきつい調子で、製薬会社に都合のいい提言をする政府機関や、まず結論があるような論文を書く研究者を批判していてなかなか小気味がいい。
著者たちはまず90年代に行われたうつ病克服キャンペーンでSSRIが宣伝された結果、処方量が10年で2.5倍に増えたことを指摘する。そのうえで、NICEがSSRIを推奨した事は、NICE自体が行った調査データを無視したものだと批判し、すでに使用が制限されている18歳以下の場合のように、成人においてもその効果を冷静に検討する必要があると主張している。
そのNICEが行ったメタアナリシス結果を端的に示すのがこのグラフである。赤線がSSRI治療群のハミルトンうつ病スコアの分布、青破線がプラセボ群である。スコア点数にしてわずか1点の差、たいして違いはないことがわかるだろう。しかも、SSRIとプラセボを比較する場合前者の副作用は独特なので、いくら厳重に二重盲検手順を行ったとしても、ほとんどの被験者には、自分がどちらを飲んでいるかというのは丸わかりなのである。プラセボに催吐剤か、よっぽど胃もたれするような物質を使うしかないが、さすがにそういうわけにもいかん。
ここまで二重盲検手続きに無理があれば、はやりのEBMの観点なら、この程度の差など薬の効果判定にはなんの意味もないとされるはずである。ところがNICEはそうせずに、カットオフ値に絶妙な数字を選んで、無効有効群の数差が一番多くなるような操作をしているのである。
他にもこの論文が主張していることは何点かあるのだが、とにかくSSRIはたいして効かないと主張しているのは私だけではないことがわかって、実に気分爽快である。あれがよく効くと言ってる、観察能力すらない奴らの顔が見たいぞ。SSRIを延々と飲まされてさっぱりよくならない全国の遷延うつ病の皆さん、この論文をプリントアウトして、主治医のところに持って行ってあげようね。(その場合はPDFがコンパクトでおすすめ)
スペインのエロ系オタクサイト、Yonkis.comより(あまりのエロさに直リンは避けさせていただく)。要はグーグルマップネタなんですけどね。
カリフォルニア半島の根っこのあたりに、密かに作られたネオナチの秘密基地だ、という見立て。向こうの人は、いまだにこのフォルムには敏感なんですな。ま、ギャグにしているのだから、余裕は充分あるのだろうけど。写真クリックで拡大。元のグーグルマップはこちら。
確か京都で有名な女子大附属高校の校舎は、この構造になってたのではなかったかな(向きは反対だろうけど)。グーグルマップの衛星写真が、日本全国で高精細になったら、そのうち問題になるかも知れまへん。
今朝NHKのTVニュースを見ていたら、同級生をまとめて殺そうと、教室に爆弾を放り込んだファンキーな高校生があらわれた山口県の高校で、事件後の生徒たちの心的外傷を癒そうとして、スクールカウンセラーが常駐しているというような話題を報じていた。なにせ寝ぼけ眼で見ていたので、詳しい事はあんまり覚えていないのだが、校長の危機管理の巧みさの一例というような感じで紹介されていたような気がする。
正直言うと、私があの事件で感じたのは、花火の火薬を集めたという実行犯のショボさで、県内有数の進学校の生徒だというなら、もう少し腰の入った爆弾作れよという、はなはだ世間の良識に反するモノだった。そうでないなら仕掛け花火みたいなギャグっぽいものにするか、どっちかだと思うんですがなぁ。具体的にイジメなるものがあったがどうかは知らないが、そういうことをする連中にとっては、ヘタレの反撃は結構怖いという、反省すべき事実を知らしめた意味があるのではないだろうか。
そんなことはどうでもいいのだが、気になるのはスクールカウンセラーなる人たちの活躍の内容。彼らは5人~8人程度が派遣されている(といって、一体どこから来たのだろう。文科省?)らしいのだが、すでにかなりの生徒たちに対して、カウンセリングを行ってきたのだという。その活動の結果、事件当初、被害を受けて入院した生徒以外に、10数人が欠席していたのが、次第に減少して学校は常態に戻っていったとのこと。
一体この高校はどの程度の規模なのかよくわからんのだが(必死に探したが、ホームページがない。ウェブアーカイブにもない)、結構大きな高校みたいだし、10人やそこらがずる休みしていて、なんか不思議があるんだろうか。しかも学校の周りにはアホなマスコミがとぐろを巻いているのである。私なら、あんな状況で学校なんか行っても無意味だと、一月ほどは図書館にでもいってますがなぁ。大体、この高校、ホントに優秀なところなの?嫌みに聞こえるかもしれないが、医学部に来るのはほぼ全国の有名高校出身者ばっかりなので、結構そういう情報には詳しくなるんだけど、この学校の名前なんか今まで聞いたことがないぞ。
カウンセラーの一人はこんな事を言っていた。「これで大丈夫と思っていても、油断してはいけない。ある程度時間がたったあとで、心的な外傷体験の記憶が押し寄せて来ることはよく見られる」。彼らの活動はまだまだ続ける必要があるんだそうで。
おいおい、ホンマかコラ。私はカウンセリング理論というのはフロイトの「喪の仕事」というものを下敷きにしていると理解している。言語化することでその作業が進むというドグマも精神分析が背景にあるからこそしつこく主張され、人があまり反論しない根拠となっているのだとおもう。でも、最近の研究はその辺にはかなり懐疑的である。言語化することにはなんの意味もないばかりか、かえって有害だという意見も結構あるのだ。
精神分析内部でも反省はあり、ホントに心的外傷なんてものがあるのかという事を公言する人も多い。フロイトだって、遮蔽記憶というニセの外傷体験について記述している。こりゃいい理由が出来てラッキー、ちょっとさぼってようかなと思うズルイ奴らのほうが多いんじゃないか。まして多少頭の出来がいいほうらしい高校生が、事件に巻き込まれたり目撃するぐらいで、深刻な人格崩壊の危機に至ることなんかあるわけがないと思う。
綿密に経過を追わないといけないと主張していたあのスクールカウンセラー氏も、要は自分らの仕事を作ろうという動機のほうが勝っているんじゃないですかねぇ。私なんか、無意味な行政のキャンペーンなんかに利用されるのは大嫌いで、つまらん会議でアホらしいこと報告させられたりするようなことは絶対しないんだが、世の中には、そういうところで仕事しているフリするのが好きな人がいるんだわ、これが。
まあ、心的外傷が原因せよ、そうでないにせよ、そのあとビョーキになる連中がいたら私らがちゃんと面倒見てやるから、派遣されたスクールカウンセラー各氏に置かれては、役にも立たんありがた迷惑仕事はさっさと打ち切り、立派な天下り先を確保するために、役人で栄達を極める本来の道を歩まれる方がよろしいのではないかと、老婆心を抱く次第。
ふとカウンタを見ると、明日か明後日未明あたりに200万アクセスが達成できそうである。達成といったって、カウンタCGIはしょっちゅうクラッシュしていて、リセットするときもいい加減な数値で再開していたりするから、こんなあやふやなものはない。そこは一応の区切りが出来るということで、まあ、感慨もひとしおというモノである。
でも、今のサーバー会社のサービスに含まれるアクセスログ解析と、自分でくっつけているCGIではなんか全然数字が違うんですよね。それも倍ぐらい。そのせいなのか、サーバー移転してから急にアクセスが増えたようにも思うし。そもそも、PVとユニークビジットなるものの区別もようわからんのですが。
昔働いていた病院の広報ページの埋め草記事からはじめて丸7年、独立ページにして5年、独自ドメインとってほぼ4年、よくここまで続けられたものだと思う。それに意味があったかどうかは別にして。支えて頂いた読み手の方に、なんか感謝の意を具体的に捧げるべきだと思うのだけれど、オフ会開くにもちょっと時間がとれず、ここで言葉でお礼を言うしかないのに痛み入る次第。
イグ・ノーベル賞サイト経由で知った、ウェブ版BBC6月30日の記事から。
約3万年前に絶滅し、現世人類とも密接な関係があったネアンデルタール人は、独自の歌と踊りを発達させていたと研究者は語る。リーディング大学のスティーブン・ミズン教授は、穴居人たちはラップミュージシャンたちのリズムとサウンドを堪能するに違いないとものべる。
彼はこう語っている。「人々はネアンデルタール人を、鈍重で不機嫌な連中だとイメージしているけれど、彼らは音楽的センスにあふれていた」。彼らの歌は、当惑とか幸福感という感情の動きを、そのまま表出したものだった。
ミズン教授はBBCに対してこういう。「すべての人々は音楽センスを持っていて、それを楽しむことができる。我々はみんな音楽に反応するからね。音楽と言語というのは一緒に発達したんだ。ネアンデルタール人には歌とその歌詞というのはセットになっていたんだね。それは現代言語のように、分けられるものではなかったんだ。
彼らは歌と手拍子、踊りを自分たちの精神内界を伝える手段に使っていた。彼らには言葉がなかったんだ。そういう意味では、彼らは我々たちよりもずっと音楽的だったわけだ」。
ネアンデルタール人たちは、多分かなり『鼻声』だったはずで、それは彼らの大きな鼻が証明しているとミズン教授はいう。彼らは洞窟の中でお互いに助け合いながら暮らしていた。教授はいう。「そこにはいつも歌があったはずだ。音楽は今でも集団の結びつきを強めるのに使われている。サッカーの応援を見ても、教会の聖歌をでも、遊び場の子供たちをみてもわかる。ネアンデルタール人たちはそれを楽しんでいたはずだ。彼らは特別創造的な人たちではなかったので、世代を通じて歌を伝えていた。彼らは踊りながら自分の身体を叩いたり、木の枝を打ち鳴らしていたはずだ」。
ネアンデルタール人は、声帯と広い感情の動きを進化させていたし、それは共通の祖先を通じて現生人類も共通している。彼らは鳥の歌声や、自然の物音をまねて音楽を作っていた。言語は音楽から分かれ、アフリカに生まれた現生人類が発達させてきたものだと考えられている。しかし、ミズン教授によれば、調べというものがよかったなら、言葉はいらなかったという。「もしネアンデルタール人がロックコンサートに出かけたら、彼らはとても気に入って、素敵な音楽だと思うに違いない。彼らはとくにラップが気に入ると思うね。彼らが楽しんでいたのはああいう種類のものだったんだから。私には彼らがラップに興じているところが心に浮かぶね」。
ミズン教授の著書、「歌うネアンデルタール:音楽、言語、心の起源」は7月7日に出版される。
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BBCのサイトを開くと、えらくワイルドな感じの人物の写真が掲げられているので、向こうの大学教授というのはファンキーだなと感心していたら、それは合成されたネアンデルタール人の写真でありました。
それにしても、恐るべしは認知考古学。形に残らぬ音楽や歌を、まるで今そこのパフォーマンスのごとくに説明してみせる手管が素晴らしい。残った骨から解剖学的に推論しているんでしょうかね。どこかの国の、旧石器時代遺跡みたいな話にならなにゃいいんだけど。
DVDライブラリ持ちの同僚がいる職場で働かなくなったおかげで、最近さっぱり映画を見なくなってしまった。私の場合、蓮実重彦が何を言おうと、映画を見るというのは家でビデオかDVDを見ることだけを意味する。何が悲しゅうて、わざわざ外出して人いきれの中で狭い椅子に座り、数時間を窮屈にすごさにゃいかんのだ。その点家なら寝ころびながらみて、電話がかかったり、トイレに行きたくなったらポーズをかければいいし、センベイ食おうが酒のもうが文句を言う人もおらず、まことに健康的でよろしい。
欠点はDVDでは新しい映画を見られないことと、多くの場合、映画館入場料より高いことである。前者は別に新しい映画で見たいものなどないし、ある程度評価の定まったものをゆっくり見た方が、スカをつかんで怒り狂う事もなく、精神衛生によろしい。
しかもである。値段に関しても、最近は廉価版が半端ではない値段で出るようになった。今までよくあった2980円の安売りにしても、家族で見に行くことを考えればトントンだし、後でまた見ることも出来ると納得すれば出すのもそう惜しくない額ではあったが、最近の1000円未満になると、これはちょっと驚天動地である。DVD-Rのメディアより安いんじゃないか。
むかし、ウッディ・アレンの映画を見ていたら、自宅に映画のライブラリィを持っているシーンがあって(映画評論家という設定だったけど)、あんな生活が出来ればいいのにと憧れたものだが、それがほとんど経済的負荷もなしに実現できるのである。と言うわけで、早速アマゾンにまとめて10枚ほど注文してしまった。早速明日には届くらしいので、当分帰宅→DVD鑑賞→TDF観戦というルチーンが確立しそうである。更新の方に影響あったら、ちょっとゴメンと言うことで。誰も気にせんか。
「都市伝説」とするのは言い過ぎかと多少恐縮なのだが、私が昔から不思議でならないのが、「過労で倒れる」という、健康上のトラブルを表現する言葉である。具体的にどういう事を言うのか、自分でさっぱりイメージがわかないのと、なにより実際にそういう状態で病院に担ぎ込まれて来るような人を、いままで見たことがないというのが大きい。
そりゃね、TVドラマなんかにはこの「過労で倒れる」人がよく出てくるのは知ってますよ。主人公とかその周辺が色々苦労をしていて、突然体調をくずして病院に入院するのだが、出てくる医者は「過労ですね」などと曖昧な言い方をし、点滴ぐらいしかやってない割には絶対安静だと厳重な命令をするのである。しばらくすればそう後遺症もなく退院しているし、一体ああいう状態は何をモデルにして描かれているのだろうか。
不思議といえば、この「過労で倒れる」というのをしばしばリアル世界で示すのが、もっぱら芸能人とか政治家など、セレブ系の人々にほぼ限られることである。グーグルで「過労で倒れる」を引いてみると、4000件近くが出てくるのだが、そのほとんどが芸能人についての報道記事だったり、ドラマの筋書き上の事だったりする。どなたか、自分の身近な人とか自分自身が、この「過労で倒れる」という経験した人います?
もちろん、人が身体的失調を起こすときは具体的な疾患に冒されているわけだ。たまたま休養も充分とれない状態で身体的疲労が続き、それが疾患の発症や悪化を来したような例を、「過労で倒れる」と総称しているのだというのが常識的な理解であろう。しかし、それにしてはえらく「過労で倒れる」という状態が実体化されて捉えられているように思えるのだ。
むしろ私らの守備範囲である、急性ストレス障害とか、パニックみたいなのがこの「過労で倒れる」の理念型を作るうえで、重要なモデルとなっているのかもしれない。でも、あれは「過労」じゃないからなぁ。どちらかといえば、あえて自縄自縛の泥沼状況を自ら選び取っている場合が多いわけで、純粋に外在的な原因で起こるとは言い難い。
もっとも、この「過労で倒れる」という常套句は、私らにとっては患者さんとその周辺を差し当たって納得させるには非常に便利なものなので、人がそういう方向で理解しようとするのにイチャモン付けたりはしませんけどね。そうしてみれば、「過労で倒れる」というようなあいまい言葉が流通している責任は私らにある、ということになりますか。
BMJ最新号の「私の臨床をかえた患者たち」と言う投稿欄の記事。
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救急病院で、シニア・レジデントとして研修を受けていたときのことである。私は救命室である年配の婦人を診るようにと言われた。彼女のトリアージ・カードには、「原因不明の意識消失」と書かれてあったと思う。彼女は特別の救命処置が必要な状態ではなかったので、私は病歴をとって診察を始めた。
多少おざなりな脳神経検査をしていて、第7脳神経(脳からは直接頚部以上の末梢部に分布する12対の神経が出ていて、これを脳神経という。7番目は顔面神経とよばれ、もっぱら顔面の運動を支配する)まで進んだので、私は老婦人に「歯を見せてください」といった(顔面神経の検査では、唇をイーっと動かすのを観察するのが手順になっている)。
彼女はそれに従い、手のひらに自分の入れ歯をはき出して、不安げに私に差し出した。私はそれをちらりと眺めて、とても結構ですねと告げると、彼女はそれをもとの場所に納めた。
それ以来、私が脳神経の検査をするときは、患者さんに「私に向けて歯を食いしばるようにして見せてください」と頼み、自分でその動作をしてみせるようにしている。そのときの私はずいぶん変に見えることだろう。でも、そうやって私は、あの手のひらの入れ歯に償いをしているのだ。
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ええ話やないかい、というべきなのか、英国風の皮肉なのか、もう一つ判断しがたいところがあるものの、検査指示は常にわかりやすくしようねという実用的教訓になる話。
Jonathan Stacey.A patient who changed my practice/A gnashing of teeth.BMJ 2005;331:88 (9 July)
Darwin Awardsサイトより。
<セルビア発 2004年12月26日>ダニーロ・ペトロビッチ(36)は、インド洋で発生した巨大津波災害における唯一のセルビア人被害者として知られる。しかも、彼は津波発生時に、セルビアの自宅にいたのである。彼はあの悲劇を報道したTVを非難している。
彼はTVの津波報道映像をみてショックを受け、自分のアパートの窓から飛び出したのだった。彼は二階の窓から落ちていくとき、あの津波は大陸を隔てたインド洋で起こったことで、南セルビア地方には全く脅威ではないことに気がついた。しかし、差し当たって受ける衝撃を避ける役には立たなかった。彼は両足を骨折し、脊椎の損傷を受けることになった。
津波による傷害から回復した後、彼は地元のTV局を訴えると息巻いた。TVで「津波が我々のところに迫っています。すぐに避難してください」とアナウンスした、と主張したのである。TV局のスポークスマンは、「ダニーロ氏はレポーターの言葉を誤解したのだろう」と述べている。
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現地報道はないかと検索してみたものの、ダニーロ・ペトロビッチというのはセルビア地方の歴史的人物と同名らしくて、歴史サイトはいっぱい引っかかってくるのだが、こういう事故に関する記述は、ここの記事と、それをコピペした掲示板ぐらいしか見つからなかった。ダーウィン賞サイトでもUnconfirmedとされている。完全なでっち上げかも知れないのでご注意を。
朝出勤してみると、もう10数年来入院しているA氏が、同室の患者さんのちょっとした振る舞いが気に入らないと言って、真夜中に殴る蹴るの暴行を加えたとのことで保護室に収容されていた。隔離後も興奮収まらず、こんな病院は今すぐ出て行ってやる、責任者呼んでこいと息巻き、食事も薬もいらんと騒いでいるとの報告である。
この人は慢性分裂病と言うことになっているが、興奮と言っても幻覚妄想が出るわけでもない。私が主治医になってから、どうも体重の増減が激しいのが気になったので、調べてみたら甲状腺機能亢進症を合併していた。性格的な問題か、甲状腺機能も関与しているのか、とにかく10代後半から易興奮、暴力といった問題が続き、精神病院を渡り歩いたおかげで、めでたくも狂人ラベリングが固定した人だと思われた。あまり安易に分裂病と診断できる人ではない。もちろんそうはいっても、一度確定してしまった芸風というものは脳のどこかにしっかり構造化されるようで、言語レベルで修正が効くようなものではないのだけれども。
私の顔をみるなり、何ともないのにいつまでもこんなところに閉じこめやがって、今すぐここから出して退院させろ、どこでだって働いて金ぐらい稼げるんだと怒鳴り散らす。へぇー、なんともないと言いながら、無抵抗の人を袋だたきにしてもいいと思っているんだねと切り返すと、もう下を向いて勢いがなくなってしまう。「何をするかわからない→何をしても許されるキチガイ」という袋小路の絶望的特権に小ずるく依拠していることを、この人はよく自覚しているのだ。
当面隔離は続ける事を伝え、薬を飲まないならそれで結構、注射に切り替えるから、食事も止めるわけには行かないので一応出すけれど、放り投げずに食べた方がトクだと思うよ、と告げる。そうこうして、別の用事をしていると、A氏の担当看護師が電話してくる。「薬は飲むから注射は堪忍してくれと言っているので、やめますがそれでいいですか?」なるほど、看護からすれば反省の色が見えるので、敢えて圧政路線に切り替えることもないだろうという温情なのだろう。でも、ここで態度がぶれてはいかんのだ。ここは「テロリストには一切の妥協はしない」という、ブッシュ=ラムズフェルド路線を貫く必要がある。
しかし、タイミングというものもあり、いったん妥協する姿勢を見せてしまえば、私がふたたび、飲まないと言ったんだから飲まんでよろしい、そういうことの決定権はアンタにはもうないと告げに行くのも間抜けである。こういう事はスタッフがみな一致していないと意味はなく、一部が原則にこだわるとかえって雰囲気がおかしくなる。逸脱行動への理解と言うことと、その行動をズルズルと認めると言うことは別物なのである。敢えて言えば、キチガイじみた行動をし続けるなら、それ相応の扱いしか受けられないよ、という態度は一貫していないといけない。もちろん、意識障害とか、完全にあっち側に行っているときの行動に対してこういう態度をしても意味はなく、臨機応変な対応が必要になるのだが、これをうまく切り替えられるような精神科医療チームというものは滅多にお目にかかれない。
人権など無関係というような、昔タイプの権威的運用をされていた病院が「民主化」されて、患者の人権を留意するようになるとむしろ医療水準が落ちてしまい、病棟が大混乱になってしまうというのはよく見られる事である。社会に適応できない人を、医療という名をかりて、ある意味暴力的に支配していた事に無自覚なまま、木に竹を接ぐようなやり方でソフトな運用をしても、傷つきやすい大多数の患者さんには決してメリットにはならない。じゃあ昔ながらのやり方が正しいのかといえば、永遠に収容し続ける機能を前提にするのでない限り、そうではないのもまた明らかである。
結局、臨機応変という言葉で表すしかないような、個々のスタッフの能力と感受性にすべてがかかっている。ホスピタリティーという言葉は、およそ病院と言うところには似つかわしくない現状があるのだが、まして精神科病院が幾分かでもそれにふさわしい内容を獲得する日は来るのだろうか。様々な病院改革の報告などを読んでも、そういう希望を持てるようなものはほとんどない。とめどもない善意の浪費と、燃え尽きを繰り返しているのがこの業界なのである。
BBCニュース7月5日の記事より。
来る7月23日にネス湖で行われるトライアスロン大会の参加選手には、ネッシーに襲われた場合に備えて、100万ポンドの保険が掛けられることになった。
NIG保険会社はこのたびネス湖とその周辺で行われる、スコットランド・アドベンチャー・トライアスロン大会に出場する100人以上の参加選手に対して、保険引き受けをする決定を行った。選手たちは、ネッシーがもっともよく目撃されるウルグハルト湾を、2周回泳ぎ切る必要がある。
ノバ・スポーツエージェンシーが主催するこのレースには、英国、フランス、南アフリカ、イタリア、およびドイツからのチームが参加し、レースの模様はチャンネル5で放映される。選手はネス湖で1500mのスイムをこなし、マウンテンバイクで19kmを走破した後、10kmのランニングを走りきる。
「我々は最大100万ポンドの保険金を、ネッシーの襲撃による傷害に対して準備した」、ノバ責任者のデビット・ハートはそう語る。「選手たちは結構な物音をたてるし、水しぶきも上げるだろう。多分それらは湖の怪物を困らせるだろうね。その上、食欲も多分そそられるのが困ったところだ」。
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10年ほど前、私がこのトライアスロンというスポーツにはまっていた頃、ヨーロッパの大会に出ると、悪ふざけの好きな英国選手が山ほど出場していたものだ。連中、レースの前であろうが後であろうが、無意味なまでに必死になって遊びまくるので、とてもつきあいきれないんですな。
あんたらの国では大会がないのかと聞くと、「イギリスって所は雨が多いし、この大会はなかなか開けないんだね。土地もなかなかないし、自然保護で色々うるさいし」なんて言うので、「ネス湖でやったらどうだ」というと、「ネッシーに襲われる」とマジともつかない真面目な表情で答えていたものだった。
ショートコースレースで、しかもMTBを使った変則レースとはいえ、まさか、あの時の冗談がホントになるとは。
運命経済学者(カルマ学者)によれば、ニュージーランドは「真に恐るべき」カルマ輸入赤字に直面しており、高貴なキューウィー魂はカルマ輸出の増進とプラスエネルギーが入り込む事のコスト増大対策に苦悩しているという。
「これはピーター・ジャクソンと彼の映画のせいです」、そうヘレン・クラークNZ首相は語る。「私たちにはよき未来以外何もなかったのに、彼がこの国で映画を撮り始めてからというもの、カルマがやってきて私たちを食い荒らすことになったわけ。問題は、破綻はいつになるか、ってことね」。
ピーター・ジャクソンは、オスカー賞受賞作「ロード・オブ・ザ・リング」を、NZで1999年から2001年まで撮影した。16ヶ月以上の撮影期間、彼は35ヶ所におよぶロケ地点をまわり、数千人の人々を雇用した。それだけでなく、彼の映画製作はNZの観光業界に多大なインパクトを与えた。トールキンのファンタジーに飢えたファンたちや、映画の風景に感銘を受けて、直接それを見たいと思った人々は、NZに次々にやってきてロケ地を巡るツアーに参加したのである。
「数十億ドルは儲けたわね」、クラーク首相は嘆息する。「撮影の過程でも、私たちが最優先している自然保護にも適切な対策が打てたし、収入の公平な分配もうまく行った。悪いことは何もなかったのよ。何もね!」
こうしたよき経験と陽性カルマがNZに流れこんだことは、このささやかな成功を成し遂げた国家にとっては先例のない事であった。当局は昨日、この5月に到来した陽性カルマは2千5百万ドルの輸出に匹敵し、なおまだ3億ドルの黒字が予測されている。
「3月にウェリントンで起こった大火とか、10代の行動やモラルが急激に悪化していることは、この国に多少の陰性エネルギーをもたらしてくれはするでしょう」、クラーク首相はいらだつ。「でもそんな事では全く不足です。観光客たちは腹立たしくも満足していて、数は減ってくれそうにありません」。
陰性カルマとは異なり、陽性カルマというものはきわめて脆弱で、すぐに反作用を呼び込んで縮退していくものだという認識は世界中に広まっている。ある国家が高度の陽性カルマを保ち続けるというのはきわめて希なことで、現在のNZの状況はカルマ専門家が言う、「パーフェクト・ストーム」の状態なのである。
「NZはピーター・ジャクソンの撮影隊がやってくるまで、とても安定して繁栄していたので、悪いカルマに対して一種の自然防壁のようなものが出来ていたということが問題です」、ウェリントン大の陰性カルマ専門家であるシャーリー・グレッグソンは語る。「おまけに、トールキンのファンたちは変な具合に教養があって裕福なので、カルマの不均衡というものを作りだす傾向が高いのです。今の時点でそのバランスを是正するためには、我々には戦争や巨大地震というレベルの災厄が必要となるでしょう」。
陰性のカルマは多くの国々にとりついており、それを多量に移動させるには、戦争や疫病という要因なしには困難である。しかしながら、報じられるところによれば、合衆国はそれを積極的に手助けしてくれるという。
「NZにはテロリスト組織があるかい?」、ブッシュ大統領はそう尋ねている。「もしそうだったら、すぐに解決してやるよ」。
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以上、"The Watley Review"6月28日の記事より。なお、ここは以前、「チワワは犬にあらず」という冗談記事を載せたので有名なところ。さすがにこれをホントのニュースだと思って紹介する人はいないと思うが、欧米人がこういうカルマの出納を発想するというのが面白かったので訳してみた。
もしかしたら、「指輪物語」そのものにこういう発想の元ネタがあるのかも知れないと思うが、全然詳しくないのでよくわかりまへん。
<ホノルル・アドバタイザー紙7月1日>「お助け女神の相談コーナー」より。
親愛なるお助け女神様:私には5ヶ月つきあっている彼氏がいるんです。私たち、今もアツアツの関係なのよ。私たちは一緒に時を過ごすことが多いし、一週間に6日はパジャマ・パーティをしているの。お付き合い5ヶ月目のお祝いにって、彼ったら週末にディズニー・ワールドに連れて行ってくれるというの。私、とってもうれしいんだけど、ちょっと心配なこともあるの。だって、彼と週末を全部一緒に過ごすことってこれが初めてでしょ。トイレのことが心配なの。彼に知られずにウンチするにはどうしたらいいかしら。--潔癖娘より。
潔癖娘さん:公衆トイレなんかで臭いをごまかすのには、どこかの子供のせいにしておくのが簡単なんだけど、自分たちだけになると、ちょっと難しいわよね。一番いいのは、朝のいつもの用事(夜だっていいけど)の時に、香料入りのろうそくでも点し、グリーンデイでも大音量でかけてバスルームにこもることね。
シャワーとシンクの水栓を流しっぱなしにして、タオルをドアの隙間に詰め込んで音が漏れないようにするの(なんでそんな事するのかと聞かれたら、お肌のためにサウナにしてると言えばいいわ)。もちろん、そんなの方便よ。
でも、すぐにボーイフレンドに、トイレに行くって言っても平気になるわよ。それまでは、せいぜいごまかしておきなさい、潔癖娘さん。
ちょっと前に「うつに負けない」というNHKの番組について書いたことがあるが、それが妙な具合にあちこちで引用されているようで、少々注釈を加えておくべきではないかと思う次第。
残念なのが、あれは「精神科医自体が薬物療法の無力性を表明している」という受け取られ方が一部にあることで、それは全然違うというしかない。同僚の処方とか、自分の所に紹介されてくる患者をみると、今はSSRI処方が花盛りで、特にパキシルと、その次に使われるのがトレドミンなのだが、こいつらが一般臨床で広い範囲の症例治療の役に立ったことなど、少なくとも私は見たことがない。
数ヶ月診ているがさっぱりよくならず、最近では自殺企図さえ見られるので、あんたのところで入院を含めて面倒を見てくれんか、という紹介状は山ほど受けとるのだが、なんでそんなに遷延してしまうのかという反省が含まれたものも残念ながら見たことがない。実際、自分のところで見る限り、へ、なんでこの人にあたふたせにゃならんの、といいたくなるような人だったりする。
パートで行っている病院のほうでも、それこそ毎日のように薬物過剰摂取による自殺未遂が運び込まれてくるのだが、この人たちがまるっきりイッてしまっている連中かというと、そんなことはまずない。あんた、なんでその程度の症状で死のうと思うのよと聞くと、数年治りもしないので嫌になってしまったのだと言われたりする。確かにね、実存的な空虚さを訴えて死のみが自分を救うという決断をしている人はいるのだけれど、それは我々の守備範囲ではない。
本来なら、えらく単純な不安発作が改善されないというようなことが、彼らにとって死を決心するきっかけになっているのである。その辺の症状の解析とか、基本的な不安の布置というものをまるっきり理解しない治療者は多いのだ。抗不安剤を飲めば一時的に症状は改善されるので、そう治療が難しいと思われないところが辛いところであろう。
SSRIの出現はこの傾向をむしろ悪化させた。ある程度の割合で、この薬は以上の症状に著効したからである。でも、その割合はそう高いものではない。せいぜい2割というところだと私はおもう。非哀感と、それにうらはらの攻撃性というところが効果のインデックスになるような気もするが、もう一つ自信はないので、実際に私自身がSSRIを初診から使うことはまずない。もちろん、最終的には結構使いますがね。
結局、何が言いたいのかと言えば、治るも治らないも、ホントにちゃんとした治療を受けているのかどうかということなしに、一般的に言うことは出来ないということ。私は10年以上パニックに悩まされていた人を、ちょっとした薬物変更と自分の疾患に関する認知を変えることで、ほぼ症状を消失させることに成功した(正直言ってそれはそう珍しいことではなく、難しいことでもない)。その後一番困ったのが、その人から「私はなんで10年も家に籠もっていなければいなかったんですか」と問われ続けたことであった。
まさか、あんたの今までの治療者はアホだったからだよ、とは言えませんものな。「病気には治っていくための時間が必要なんですよ」、というようなゴマカシしかないのが辛いところ。
久しぶりにSnopes.comからの引き写し。いわゆるほのぼの系ネタ。「ピーナッツ」を書いた漫画家、故チャールズ・シュルツ氏の言葉として流れているチェーンメールであるそうだ。
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下の問題に答える必要はなく、ざっと目を通して要点をつかんでください。鋭い質問だと思いますよ。
まずこれらの問題から。
(1)世界の大富豪トップ5人の名前をあげなさい。
(2)この5年間のハイズマン賞*受賞者の名前をあげなさい。*(大学フットボール年間最優秀選手らしい)
(3)この5年間のミス・アメリカの名前をあげなさい。
(4)ノーベル賞とピュリッツァー賞受賞者をそれぞれ10人ずつあげなさい。
(5)アカデミー賞最優秀主演男優と女優、6人の名前をあげなさい。
(6)ここ10年のワールドシリーズ優勝チームをあげなさい。
出来ましたか?これでわかることは、我々は誰も昨日の一面記事のことなんか覚えていないということです。一流の人々がそれぞれの分野で最高の業績を残そうと、賞賛なんかすぐに色あせて消えていき、忘れられていくのです。栄誉や勲功は彼らの誇りと一緒に埋もれてしまうのです。
では次の問題をやってみましょう。これなら出来るでしょう。
(1)あなたが学校時代に世話になった先生の名前をあげてください。
(2)困ったときに助けてくれた3人の友人の名前をあげてください。
(3)あなたに大事なことを教えてくれた人を5人あげなさい。
(4)あなたにとって、特別大事な人は誰ですか?
(5)一緒に時を過ごして楽しく感じられる人を5人あげてください。
(6)あなたの心をかき立ててくれた6人のヒーローをあげてください。
簡単でしょう?これらの問題が教えてくれるのはこういうことです。あなたの人生にとって特別な意味がある人々は、優秀な人とか、金持ちとか、栄誉を集めた人ではなく、あなたを気遣ってくれる人だと言うことです。
「世界が今日終わるのではと案じる必要なんかない……、オーストラリアはとっくに昨日になっている。」 --- チャールズ・シュルツ
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「ピーナッツ」の作者にそう詳しいわけではないが、こんなことを言いそうな人なんでしょうな。もちろん、チャールズ・シュルツがこんなことを書いたことはなく、無名のチェーンメール作家の手になるものだとのこと。多少論旨が怪しいところもあるのがご愛敬。
ちなみに、私には「一緒に時を過ごして楽しく感じられる人」を5人もあげることは出来なんだ。それに、自分のことを気遣ってもらうなら、大金持ちにお願いするのが最高だと、かなり本気で思いますがなぁ。